『解説』 ―― 山崎洋子  
 
 
 正直なところ、岡嶋二人氏の存在がなければ、わたしは作家になれなかった
のではないかと思う。
 岡嶋氏は江戸川乱歩賞の先輩である。わたしは昭和六十一年に受賞したが、
氏はそれをさかのぼること四年前の昭和五十七年に、『焦茶色のパステル』と
いう作品で受賞されている。わたしが乱歩賞を目指して応募作を書き始めたの
が、ちょうどその頃だった。
『焦茶色のパステル』は、日本のミステリー史においてエポック・メイキング
的な作品だったと思う。ミステリーとしての仕掛けもさることながら、ヒロイ
ンのいかにも現代的なキャラクターや、ヴィヴィッドな会話が、翻訳ミステリ
ーを思わせた。たいへん映像的でもあった。
 ミステリー界はこのころまだ、いわゆる"社会派"が主流だった。だからこの、
トリッキーでありながらアメリカ映画風な明るさと軽さを持った『焦茶色のパ
ステル
』は、新感覚の本格派としてミステリー・ファンに迎えられたので
ある。
 さらにわたしを喜ばせたのは、氏のインタビュー記事やエッセイである。受
賞まで七年もかかった、とそこには書かれていた。わたしはこれを、七回も落
選した、と受け取り、これから始まる応募人生の励みにしたのである。
 それはわたしの誤解で、実際は四回めの応募で賞を射止められたらしい。が、
これから応募作を書いてなんとかプロを目指そうという素人にとっては、じつ
に勇気のわいてくる一文だった。
 その翌年がわたしの乱歩賞初応募だったのだが、もちろん落選。三年後に受
賞するまでずっと落選。
 でもあきらめてはいけない、いま大活躍しているあの岡嶋二人でさえ、何度
も落選している、頑張ろう! と、ひたすら自分を励ましつづけた。そのおか
げで受賞できたのだと、いまも信じている。
 そういえば、井上夢人氏の著書、『おかしな二人――岡嶋二人盛衰記』に、
こういう箇所がある。
「一九八二年七月一二日。 僕は、その日の朝から、ずっとビートルズを聴い
ていた。頭の中では、ジョン・レノンの言葉が繰り返し鳴り続けていた。
《だれだって成功できるんだ。時間さえたっぷりあれば、きみも成功するんだ
》」
 乱歩賞発表を待つ、不安な一日を描いたくだりである。
 わたしが岡嶋二人氏の言葉で希望を得たように、井上氏は同じような内容の
ジョン・レノンの歌に励まされていたようだ。言葉というものの力を、あらた
めて思わずにはいられない。
 わたしも物書きになってから、エッセイなどでは、親が嘆くほど自分の恥ば
かり書いている。その恥が、もしも誰かの励みになってくれたら、こんなに嬉
しいことはない。
     ◎
 ご存じのとおり岡嶋二人というのは、井上泉、徳山諄一という二人の男性で
構成されている一人の作家である。わたしが彼らに初めて会ったのは自分の乱、
歩賞受賞パーティの席上であった。新受賞者は、担当編集者に連れられて会場
を回り、先輩乱歩賞作家に挨拶して回る。
 こちらが岡嶋二人さんですよ、と言われて顔を上げると、眼鏡をかけた井上
さんと、背がちょっと低めの徳山さんが、並んで立っていた。
「あのう、お二人は一緒に住んでらっしゃるんでしょうか」
 緊張の極みにあったわたしは、そういうアホな質問をしてしまった。
「いいえ、別々に……」
 井上さんのほうが真面目な顔で答えかけたが、たちまち仰天したように眼を
むいた。
「一緒にって、まさかそんな……!」
 わたしにとんでもない勘違いをされていると、彼は思ったのだろう。徳山さ
んは黙ってにこにこ笑っていた。
 男性二人のコンビ作家とはいえ、彼らはもちろん、一緒に暮らすような間柄
ではない。井上さんには、わたしと同じ名前の洋子さんという奥さんがいらっ
しゃるし、その時点では独身だった徳山さんも、後日、結婚なさったと聞いて
いる。
 それから後、徳山さんのほうとは会う機会がほとんどなかったのだが、井上
さんとは何度かご縁があった。岡嶋二人を解消し、(この顛末については、先
に紹介した『おかしな二人――岡嶋二人盛衰記』〈講談社刊〉をお読みくださ
い)井上夢人さんとして再デビューされてからも親しくお付き合いさせていた
だいている。
 井上さんがビートルズの大ファンなのは有名である。作家仲間の小杉健治さ
んが結婚なさった時は、井上さんと島田荘司さんのギターで、わたしと宮部み
ゆきさんがビートルズを歌うという、アトラクションをやった。井上さんと島
田さんのギターはプロ級だが、わたしと宮部さんの歌はほんの一日、音合わせ
をしただけという超まにあわせ。
 井上さんはこの時、わたしたちの歌をリードし、ギターを弾き、カズーとい
う楽器まで吹き鳴らすという活躍ぶりだった。
 こう言うと、とても活動的な人のように聞こえるかもしれないが、実際は仙
人のような人である。お酒は一滴も飲めない。食事も一日一度、ほんのぽっち
りあればいい、という程度の小食。車の運転をしないどころか、清里の家から
ほとんど出ず、昼間は寝て、夜になるとパソコンとビデオとオーディオをいじ
くるという、世に隠れた生活ぶりである。
 とはいえ、決して暗い人ではない。穏やかでよく笑い、何時間でもお喋りに
付き合ってくれるやさしい人である。
 奥さんの洋子さんがまた、ほんわかのんびり、ほっそりしていて、ちょっと
浮世離れした感じの女性である。岡嶋二人の苦闘時代を支え、いま現在もほと
んど動かない夫に代わって、車の運転から日々の力仕事までこなす女丈夫には
とても見えない。
 二人とも、構えたところや肩に力の入ったところがまるでなく、いつ会って
もほっとするご夫婦である。
     ◎
 さて最後になったが、この『解決まではあと6人』は、いかにも岡嶋二人ら
しい作品である。
 まず構成がたいそう凝っている。ひとつの章ごとに、別々の探偵社が登場し、
平林貴子という謎の女から奇妙な依頼を受けるのである。五軒の探偵社が受け
た依頼内容は、全部異なっている。
 ●あるカメラの持ち主。
 ●Ⅴで始まるふたつの単語から成り、緑色のマッチを使っている喫茶店。
 ●ある車の後部シートがなくなった理由。
 ●わけのわからない音が録音されたカセット・テープに、秘められているら
  しい情報。
 ――を、それぞれ探り出してくれというのである。そして最後の探偵社に依
頼されたのは、「宇野茂男という男を空き地へ呼び出し、吉池礼二はいつ戻る
か、と尋ねる」というものだった。それぞれの探偵社にはなんのつながりもな
く、また探偵社同士は他の社に来ている依頼を知らない――。
 こんなおもしろい仕掛けをされると、ミステリー作家は、やられたな、と唇
を噛み、読者は背筋をぞくりとさせて喜ぶ。
 さて、てんでんばらばらに見える奇妙な依頼が、どんなふうに結びついてい
くのか、それはもちろん、読んでのお楽しみである。
 途中で犯人を当てるのが得意だという、手練の読者もおられよう。
 が、岡嶋二人といえば、そのようなミステリーおたくをおもな読者とする作
家である。この犯人も、絶対に最後までわからないだろう。わたしだってわか
らなかったもの……。