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この学校は好きですか? ひで山です!

 ぼくぼくステーションへ毎度ありがとうございます。わたくし仁木英之が担当する「ひで山雑記」は、これから数回にわたって「僕僕先生」の舞台となっている時代をひも解いて見ようかいな、と考えております。
 歴史的な事実や経緯は高校の教科書を引っ張り出してきたりちょいと検索していただくだけでも相当な部分わかりますが、それすらも面倒くさい、息をするのも面倒くさい、という皆様に向けて、ごく簡単に。

 中国というのは歴史の中で、日本人の想像を絶するほどの大動乱、大混乱の時代を何度か繰り返しております。秦の始皇帝が統一する前の春秋戦国時代、みなさんおなじみの後漢時代末期の三国時代、そして僕僕と王弁たちが旅をする唐の時代の前にあった、五胡十六国・南北朝の大分裂時代とそれを統一することに成功した隋の早すぎる崩壊……。
 この後にも唐末期から始まる五代十国時代や、清末から中華人民共和国の成立までの混乱期などなど、ごたごたはふんだんにあるのですが、とりあえずおいておきます。
 何とか混乱を抑えた王朝は、どこも知恵を振り絞って平穏な世の中を保つような方法を考えるのでありますね。そうして考え出されたのが、みなさんも学校で耳にされていたであろう「律令制度」ってやつです。思い出すでしょ? 社会の時間。ああ、まだバックボタン押さないで!
 これはわかりやすく言ってしまえば、国をがっちり安定させるだけの「きまり」と「お役所」をしっかり作ろうやないかい、ということなんです。唐の時代の前半は、この律令制度が大いに整備されたのでありました。
 ところで、中国には「三大悪女」と呼ばれる女性たちがいまして、そのうちの一人が唐の三代皇帝・高宗のお后だった則天武后です。この則天武后さんというのは、唐王朝を一時期乗っ取ってしまったようなどえらいおっかさんなんですけど、いい人か悪い人かは別にして、政治家としては一流でした。
 彼女は唐の「きまり」と「お役所」が、貴族のボンボンに独占されていたのを見逃しませんでした。中国で隋から清まで行われていた、いわゆる「科挙」という試験は聞いたことのある人も多いと思いますけど、この制度なども上手く使ってアホボンボンを弾き出そうとしたわけですね。役人はしっかり勉強できる奴から集めようぜ、という風に変えていきました。
 まあ、このへんは、「死んでもアナタについていきます!」みたいな子分を集めようという思惑ともウラオモテでありまして、だから則天武后は「悪女」と呼ばれるんですけどね、ともかく庶民でも勉強するだけの資力と学力があれば、これまで近寄ることも難しかった高い地位に昇ることができるようになった。若く、志のあった人たちにとっては、随分と大きなモチベーションの種となったことでしょう。王弁の父である王滔もそうして試験に合格し、県令まで勤めたのであります。
 逆に言うと県令家の長男であり、かつまじめにお勉強すれば官吏になれる立場にいながら励む気配のまるでなかった王弁くんが、親父殿にぶうぶう言われるのも無理はなかった。そういう時代だったのでございますね。



つづく

2008年10月 8日