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天平の女帝 孝謙称徳―皇王の遺し文―

玉岡かおる/著

869円(税込)

発売日:2018/05/29

  • 文庫
  • 電子書籍あり

秘められた愛、突然の死、そして遺詔の行方。
二度も皇位についた偉大な女帝を描く歴史小説。

奈良時代、二度の皇位についた偉大な女帝、孝謙称徳。彼女は生涯独身を貫き、民のため、国のため、平和な世のために、全力をつくした。大仏開眼供養、遣唐使の派遣。逆臣たちの内乱を抑え、僧道鏡を重用し、九州の民・隼人を侍童として置いた――女帝の突然の死と遺詔の行方、秘められた愛の謎を追い、一人の人間として、そして女性としての人生を求めた女帝の真の姿を描く、感動の歴史小説。

目次
第一章 天皇、崩御
第二章 流人るにん、召還
第三章 姉弟、再会
第四章 男権、復活
第五章 斎王、立后りっこう
第六章 隼人はやと、舞う
第七章 御幸みゆきの途上
第八章 藤原の女たち
第九章 女帝の恋
第十章 星くだる家
第十一章 たたる石、語る塔
第十二章 遣唐使、わた
第十三章 重臣、客死
第十四章 不浄の門
第十五章 皇后、謀叛むほん
第十六章 雷神、捕獲
みことのり
解説――平和な世界を作る物語 島内景二

書誌情報

読み仮名 テンピョウノジョテイコウケンショウトクコウオウノノコシブミ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 水口理恵子/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 592ページ
ISBN 978-4-10-129623-4
C-CODE 0193
整理番号 た-51-13
ジャンル 歴史・時代小説
定価 869円
電子書籍 価格 869円
電子書籍 配信開始日 2018/11/16

インタビュー/対談/エッセイ

偉大な女帝の名誉回復を!

玉岡かおる北河原公敬

奈良時代のキャリアウーマン

玉岡 北河原先生は東大寺の元別当で現在は長老というお立場にいらっしゃいますが、このように奈良を舞台に小説を書いた今、東大寺の別当という天平から続く歴史の中の存在の方とお話出来るなんて、とても緊張しております(笑)。
北河原 東大寺ではずっと寺の住職のことを別当と言ってますが、他ではあまり言いませんからね。
玉岡 今回大胆にも孝謙称徳天皇に挑戦したのですが、どうお感じいただけましたでしょうか?
北河原 例えば聖武天皇をNHKの大河ドラマに出来ないか、という話をしたことがありますが、今まで天皇自身が主人公というドラマはないんですね。どこまで描いていいのか考えると、非常に難しいです。まして女帝にチャレンジするというのは、なかなか大変でしょうが、素晴らしいことだと私は思いました(笑)。
玉岡 有り難いお言葉をいただいて感激です。小説だからこそ出来るはずと挑戦したのですが、最初、天皇の一人称で書き始めたらあまりに畏れ多くて、和気広虫ら女官たちが見た女帝ということで書き直したんです。
北河原 読み始めてすぐ、周りの人物たちから見た女帝を書かれているとわかりました。
玉岡 安倍首相が「女性の活用」って掲げて、私たち女性はモノじゃないわよ、と思うんですけど(笑)、まあ女性がもっと働きやすく生きやすくなるためのヒントが歴史にないかと振り返ってみると、平安時代に『源氏物語』はあるものの、後宮では女性は天皇の寵愛をめぐって争うことに終始しているし、本当に女性が生き生きと働いていたのは奈良時代だった、と。
北河原 奈良時代は女帝が多かったので、孝謙天皇の時には下地がありましたね。男の天皇ばかりが続いていきなり女性ではなく、その前に女帝が何人もおられたから、当時の人にも違和感が少なかったかもしれないですね。
玉岡 この孝謙称徳帝がまさに奈良時代のキャリアウーマンだったと思うんです。21歳で女性初の皇太子となり、仏教も政治も高度な教育を受けて、「女に天皇は務まらない」と言われ、一生懸命勉強して、国のために、民のために生きた人なんですよ。

道鏡と仏教

玉岡 孝謙称徳帝のされたもっとも華やかなことは、東大寺の大仏開眼供養なのですが、一般には孝謙称徳帝は、道鏡と通じ時代を混乱させた悪い女帝、というイメージを持たれてしまっているようで、私はそれがものすごく残念で……。
北河原 世間一般ではどうなのかわからないけど、我々はあまりそういう意識は持っていませんけれどね(笑)。平安時代に書かれた『日本霊異記』に面白おかしく書かれているから、そんな話が残っているのかもしれません。
玉岡 女帝と道鏡が肉体関係を持った、と書かれているんです。でもそんなはずないと私は思うんですよ。
北河原 孝謙天皇の時代は客観的に見ても良い時代というか、天皇として順調に物事が進んでいた印象ですが、称徳天皇の時代になるとなかなか大変でしたね。
玉岡 藤原仲麻呂の乱の後重祚し、道鏡を法王にし、宇佐八幡宮事件が起き、とインパクトの強い出来事が続いたから、お騒がせな女帝というイメージが出来たんでしょうか。やはり女性だからいろいろ言われた面もあると思うんですが。
北河原 実際に道鏡を重用されたのは事実ですからね。
玉岡 私は道鏡もたいへんな修行を積んで、外国語も堪能で、人徳もある立派な僧侶であったと描いたんですが。
北河原 どの程度かはともかく、サンスクリット語や経典に書かれた外国語を理解出来ていたのではないかと聞いたことがあります。実は、日本で一宗一派となったのは明治になってからで、東大寺は華厳宗を標榜して本山になっているわけですが、それまで東大寺は「八宗兼学」といって、八つの宗を兼ねて学ぶ学問寺だった。奈良時代は南都六宗の六つで、平安に真言と天台が加わって八宗。これを勉強するお寺だったんです。それで例えば弘法大師空海が東大寺に別当としていたこともあるし、醍醐寺を開かれた理源大師聖宝さん、少し下るけれども、京都の建仁寺を開かれた栄西ようさいさんも東大寺の勧進職を務めた。いろんなところに東大寺に関係のあった人がいるわけです。
玉岡 じゃあ道鏡も。
北河原 もちろんつながりがありました。孝謙天皇の時の遣唐使船で唐から鑑真がやって来て東大寺に戒壇を設け、聖武天皇他大勢の人が戒を受けるんですが、その時は孝謙天皇も一緒でした。
玉岡 父上の仏教への信仰を傍で見ていたからこそ、女帝も道鏡から仏教を講義してもらい、精神的に頼りにしていたと考えたのですが。
北河原 「師僧」と言うのですが、我々は入寺する時も得度する時も師僧について学んで指導してもらうので、そういう立場だったかもしれませんね。
玉岡 女帝は仲麻呂の乱が起きたときに身の潔白を証明するということで出家したのですが、やはり人間は弱いので、悩んでいる時に師が道を示してくれると、断固として進めますよね。
北河原 もちろんいないよりは、いた方がそれはもう安心でしょうね。
玉岡 実はこの小説で、吉備真備の娘である由利という女官が、鑑真と一緒に来日した弟子僧と破戒の道を進むという話を書いたんですが、女帝と道鏡はすごく真面目に仏道を歩んできたので、破戒なんてあり得なかったんじゃないかと私は信じています。何とかこの小説で名誉挽回させてあげられたらと願っています。

聖武天皇と東大寺正倉院

玉岡 今日は正倉院展も見てきました。大仏開眼供養会に使用した品々や奉納された伎楽の面などが面白かったですが、今回の目玉出陳である美しい琵琶を、私は小説の中で隼人が奏でるものとして登場させました。他に光明皇后が東大寺に納経した一切経も眼を惹きましたね。
北河原 正倉院は聖武天皇が崩御された後その遺愛の品が納められた所です。明治時代に大仏殿を修理した際、膝元を掘ったら太刀が二つ出てきたので「鎮壇具」として寺で保管をしていたのですが、数年前にX線で調べたら太刀に「陰剣」「陽剣」という銘が彫られているのがわかったんです。その太刀は正倉院に光明皇后が納めた品の目録(『国家珍宝帳』)の刀剣類の筆頭に記されていたのに、その後「除物じょもつ」といって、ある時何故かそこから出され、千年以上行方不明とされていた品だったんです。聖武天皇が発願された大仏様の膝元に、皇后が2人の最も思い出深い品として鎮められたんじゃないかと、私は思いましたね。
玉岡 また一つ小説が書けそうなお話ですね(笑)。
北河原 いかにお2人の絆というのが強かったか、とわかりますよね。
玉岡 だから後継ぎはどうしてもお2人の御子にしたかったんでしょうね。女帝が西大寺を建立したのは、やはり偉大なる父に続こうとしたのでしょうか。
北河原 東の大寺と西の大寺でね。西大寺はここと比べると町に近いところに造営されたから、今は周囲にかなり家が建て込んでしまったけれど、あのあたりで家を建て替えようとして掘ったら、必ず遺構が出てくると思いますよ。
玉岡 東大寺は何故こんなに広大なままで残っているのでしょうか。
北河原 いえいえ、平重衡に焼かれたり、戦国時代にも焼き討ちされているんです。そのたびに大勧進があり、東大寺単独ではなく、民衆の力を結集して結縁で復興するんです。聖武天皇が大仏建立の詔で「これは自分一人の力で造ったのでは意味がない、大勢の人たちの力を結集して造ることに意義がある。だから一握りの土でも、棒切れでもいい、協力したいと申し出てくる人は、喜んでそれを受け入れよう」と言っています。その精神がずっと受け継がれているわけです。
玉岡 娘には尚更身に染みたでしょうね。女帝が年号を決められる時に「天平」という文字を外さなかったのも、やはり父を継承する意味でしょうか。即位されてずっと「天平」を入れた四文字の年号で、称徳の時代の767年にようやく「神護景雲」とされたのは、自らが国を動かすようになった節目なのかな、と思えます。聖武天皇の偉大さというのは、仏教と結びついて浸透していったんですね。
北河原 そうだと思います。何しろ、聖武天皇は審祥が日本で初めて華厳経の講義をされた時に自らそれを受け、そこに説かれている世界が非常に素晴らしいので、それを我々の生きている社会に実現したいという思いで大仏の造顕ということを考えられたと思えますからね。

女性天皇の時代

玉岡 女帝はとても真面目で、結婚も出来ず、ストレスも発散出来ず、本当に孤独だったでしょうね。仕事も頑張ったのに、後世にあまり評価されていないし。
北河原 やはり弟の基親王が亡くなった時、この人にとって運命というか、宿命的なことになったんですね。
玉岡 この女帝の後継ぎ問題こそ、本当に難しかったろうなと書いたんです。しかし今の皇室も、悠仁親王がお生まれになるまでは愛子内親王を女帝にという意見もありましたよね。
北河原 今の皇室典範はそう決められているので変えられないんでしょうけど、半分以上は女性なんだから、可能性を考えるべき時代になっていると思います。
玉岡 まさに同感です。女性天皇もありというような議論のきっかけにもなれば、と思っているんですけれど(笑)。今日は本当にありがとうございました。

(たまおか・かおる 作家)
(きたかわら・こうけい 東大寺長老)
波 2015年12月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

玉岡かおる

タマオカ・カオル

1956(昭和31)年、兵庫県生れ。神戸女学院大学文学部卒。1987年、『夢食い魚のブルー・グッドバイ』で神戸文学賞を受賞し、作家デビュー。2009(平成21)年、『お家さん』で織田作之助賞、2022(令和4)年、『帆神』で新田次郎文学賞、舟橋聖一文学賞を受賞。主な著書に、『蒼のなかに』『天涯の船』『タカラジェンヌの太平洋戦争』『銀のみち一条』『自分道』『負けんとき』『虹、つどうべし』『ひこばえに咲く』『天平の女帝 孝謙称徳』『花になるらん』『われ去りしとも美は朽ちず』『春いちばん』など。

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