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金平糖の味

白洲正子/著

572円(税込)

発売日:2010/10/28

  • 文庫

自分の色をみつけること――。“韋駄天お正”が実らせた人生観。「生誕100年記念刊行」卓越したユーモアによる名エッセイ。

家のおやじは金平糖のおやじ、甘いなかから角が出る──。亡くしてから知った親孝行の意味。本物以上に多くのことを教えてくれた贋物の骨董。初めて拝むということを体験した十三歳の伊勢詣で。「自分の色」を見つけることの難しさ。数々の失敗の末に実らせた“韋駄天お正”の人生観とは。忘れ得ぬ人々や旅の思い出、惚れこんだものを深い洞察で捉えたユーモアあふれる名エッセイ。

目次
幸福について
幸福について
夫婦の生活
美男論
自分の色
ユーモアについて
先生たち
犬はDogではない
奥様のきものについて
暮しの中の美
暮しの中の美
心安まる骨董
古代ガラス
織物は語る
木目に問う
飛鳥園二代
月謝は高かった
持仏の十一面観音
夢殿の救世観音――秘仏開扉
薪能におもう
遠見
世阿弥の芸
ある風景
晩年の祖父
無題〔親孝行とは〕
ある風景
金平糖の味
『無常といふ事』を読んで
青山二郎と犬養道子
散ればこそ
佐々木のおはるさん
ほくろのユキババ――文六夫人のこと
大名と能――細川護立氏に聞く
仏になって描いた絵
旅の味わい
何事のおはしますをば知らねども
FOUR ROOMS
古都奈良の春色
京の味 ロンドンの味
古都のこころ
解説 青柳恵介

書誌情報

読み仮名 コンペイトウノアジ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-137911-1
C-CODE 0195
整理番号 し-20-11
ジャンル エッセー・随筆
定価 572円

書評

こころ惹かれる耽溺のしかた

平松洋子

 白洲正子とは、だれか。
 この問いはつぎのように置き換えられる。
 日本とは、なにか。日本人とは、なにか。
 眼を見開き、からだごと切りこむようにして白洲正子が繰りかえし繰りかえし見いだそうとしたもの、その相手こそ日本であり、日本人に違いなかった。生涯を賭して肉迫した信仰、自然風物、詩歌、芸能、工芸。それらについて書かれた文章を手掛かりに白洲正子を知ろうとすることは、同時に日本の本質に喰いこむことでもある。その二重の構図に、わたしは昂奮をおぼえる。
 白洲正子の文章はほかのどこにもなく、なににも似ていない。いったいこのような文章があるのかとさえ思う。いい、わるい、すき、嫌い、正しい、正しくない、それらを超えている。厳しい文章、孤独な文章というものがあるけれど、それらとも微妙に違う。おのずと天空にある不動の文章といえばよいだろうか。ようするに終始一貫して「つねなるもの」「無常なるもの」について語られている。それが西行や世阿弥であっても、仏像であっても、暮しの美であっても。格があるというのではない、すでに格など超えている。
 このたびの新刊『金平糖の味』には、生身の白洲正子がそこここにひょいひょいと顔をのぞかせており、多面的な表情に触れられて興味ぶかい。第一章の題は「幸福について」。“夫婦の生活”“美男論”“奥様のきものについて”など卑近な題材に向かう文章にも、こころ惹かれる。だって、やっぱり世間も俗も超えているのだ。美のなかに踏みこむ気概がつねにあり、いっそ爽快でさえある。たとえば「自分の色」。着物について書きながら、下げた刀身が青白く冴え光っている。
「たしかに違う、と見わける眼。名前や智識の先入観にまどわされぬ眼。私はそれを養いたい。と同時に、そういう眼で真正面から見られても、たじろがぬだけの自分の物を持ちたい。もともとこれは二つのものではない――それだけが私の念願である」
 ところで、この一冊には祖父や父の記憶にまつわる独自のぬくもりがそなわっており、やわらかな味わいを醸しだしている。そもそも「金平糖の味」とは、白洲正子の姉が昭憲皇太后の前でうたったという都々逸「家のおやじは金平糖のおやじ、甘い中から角が出る」の記憶に端を発している。父を想うとき浮かび上がってくるのが、「庶民的な味と、平凡な甘さの中に、頑固な角」のある金平糖だと知ると、なんだかほっとして、なごむ。
 その父の死をめぐる一編「ある風景」に、わたしはほとほと感じ入った。震撼したといってもいい。三十年来住んだ大磯の家で床に伏す父を見舞う客の様子、医者のそぶり、眠る父、恬淡と綴るようでいて皮膜ににじり寄る眼の動きに息を飲む。刻々と迫る事態に立ち向かう医者に接して、こう書くのだ。
「無益と知っても戦はつづけなければならぬ。そう決心した人間には『個人』に見られぬ美しさがあり、私は後ろにある死より目前の生にひきつけられた」
 父の今わの際にあっても、身内の主観にもぐりこまず、ことさらに客観もよそおわず、文章はまたしても美の懐にまっすぐ切りこんでいる。自身でも書いている。危なげな場所に身を置いて、たましいの在りかを凝視する。それが白洲正子の浪の乗り越えかた、または耽溺のしかたなのだった。
 白洲正子が生まれた年、父が植えた記念樹は樟だという。樟こそ「奇しき」霊木。芳香に包まれ、巨木の枝々にさやさやと繁る緑の葉、あの宙に向かって突き抜けるような燦めきこそ白洲正子の文章に似てはいないか。

(ひらまつ・ようこ エッセイスト)
波 2010年11月号より

著者プロフィール

白洲正子

シラス・マサコ

(1910-1998)1910年東京生まれ。幼い頃より能を学び、14歳で女性として初めて能舞台に立ち、米国留学へ。1928年帰国、翌年白洲次郎(1902〜1985)と結婚。古典文学、工芸、骨董、自然などについて随筆を執筆。『能面』『かくれ里』『日本のたくみ』『西行』など著書多数。1998年没。

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