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月夜の晩、林檎の樹の下で誓った愛――。恋の歓びと儚さが綴られた永遠のラブストーリー。

林檎の樹

ゴールズワージー/著 、法村里絵/訳

432円(税込)

本の仕様

発売日:2018/01/01

読み仮名 リンゴノキ
シリーズ名 Star Classics 名作新訳コレクション
装幀 黒坂麻衣/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-208803-6
C-CODE 0197
整理番号 コ-1-1
ジャンル 文芸作品
定価 432円
電子書籍 価格 475円
電子書籍 配信開始日 2018/06/29

徒歩旅行の途中、果樹園のある農場に宿を求めたロンドンの学生アシャースト。彼はそこに暮らす可憐な少女、ミーガンに心を奪われる。月の夜、白い花を咲かせる林檎の樹の下でお互いの愛を確かめ合った二人は、結婚の約束をする。だが旅立ちの準備で町へ出たアシャーストを待っていた運命は――。自然の美と神秘、恋の陶酔と歓び、そして青春の残酷さが流麗な文章で綴られる永遠のラブストーリー。

著者プロフィール

ゴールズワージー Galsworthy,John

(1867-1933)ロンドン郊外で裕福な弁護士の子として生れる。オックスフォード大学卒業後、弁護士資格を取ったが、開業せず放浪の旅に出る。28歳頃から創作を始め、小説『物欲の人』(1906)、戯曲『銀の函』によって名声を高める。前者は『裁判沙汰』(1920)『貸家』(1921)などと共に『フォーサイト家物語』を構成する。さらに1930年には続編を加えて『フォーサイト家年代記』が完結した。1932年ノーベル文学賞を受賞。

法村里絵 ノリムラ・リエ

1957年東京生れ。女子美術短期大学卒。主な訳書に『失踪当時の服装は』『三つの秘文字』「フェレット物語」シリーズ、「イーライ・マークス」シリーズなど。

書評

100億のミーガンに

池澤春菜

 美しい物語だ、と言ってしまって良いのかわからない。素晴らしい描写の中に、時折ざりざりと不快感が混じる。
 思い出したのは、スノーグローブだ。粉雪のようなフレークや、小さな人形、建物を閉じ込め、水やグリセリンで満たした球形のガラス。お土産物屋さんでよく見る、あれ。手のひらの中の世界がとても好きで、ずいぶん集めている。
 この物語は、まるでスノーグローブのように繊細で、儚く、心が痛くなるほどの光に満ちている。
 物語は回想から始まる。銀婚式を迎えた初老の夫妻が荒野ムーアを訪れる。夫アシャーストは辺りの風景に誘われ、若かりし頃のことを思い出す。
 大学の卒業記念として徒歩旅行に出かけたアシャーストとその友人。ところがアシャーストは膝を痛め、途中の農場で滞在を余儀なくされる。そこで出会った素朴で美しい少女ミーガン。お互い惹かれあう2人は駆け落ちをし、ロンドンで共に暮らすことを約束する。
 最寄りの街に資金を取りに訪れた際、ばったり友人に出くわしたアシャースト。本来自分が属している生活様式に戻り、友人の妹の洗練された美しさに心惹かれた彼は、ミーガンと歩む未来を不安に思い始める……。
 ああ、アシャースト! この優柔不断で自己憐憫に溺れるばかりの情けない、くそったれのへなちょこめ!! 靴の中に小石が入って、毎朝髪の毛に結びこぶができて、キャラメルで歯の詰め物が取れて、パスタが全部無味でありますように!
 ミーガンを目覚めさせてやろう、と上から目線の友人ガートンをアシャーストは「都会人ぶった馬鹿な青二才」と批判してみせるが、ガートンはちゃんと理解しているのだ、自分の中の下卑た部分を。それに引き替え、無自覚を言い訳に振り撒かれるアシャーストのその場しのぎの優しさのなんと厄介なこと、なんと罪深いこと。
 己に憧憬の眼差しを向けるミーガンを、アシャーストは「明かりに魅せられた蛾が、炎に近づきすぎて羽を焦がすのを見ているような気分だった」「果樹の花を――咲いたばかりのやわらかで神聖な花を――むしりとって捨てるというのは、冒涜行為に他ならない!」と表す。自分がしていることをわかりながらも崇高で無垢な愛だと嘯いてみせる。
 後半のふてくされ、自己弁護をし、そんなダメな自分に酔うアシャーストときたら……割り箸が常に中途半端なところで折れますように、アサリに必ず砂が入っていますように!

 この物語を、田舎と都会の、男と女の、無作為の美と、洗練の美の、持てるものと持たざるものの、今と昔の、対比として読むことは可能だろう。
 だけどそうした二元論だけでは、時を超えて愛される理由にはならない気がする。
 ミーガンはどうしたら幸せになれたのだろう。アシャーストと出会わずジョーと一緒になっていたら? あの時アシャーストが「やぁ、別の子と結婚することにしたから、なかったことにしてくれる?」と頭を下げたら? それともアシャーストについて都会に行き、そぐわない額縁の中で愛人として生きたら? 真綿で首を絞められるか、袈裟懸けに切られるか、毒殺されるか、の違いだけな気がする。どうやっても、ミーガンは死ぬのだ。肉体的に死なない道はあっても、精神は死ぬ。
 私たちの中にもミーガンはいる。日々殺されるミーガンが。
 毎年、春が来るごとに咲き誇る林檎の花は、手折られ、捨てられ、再び花開くことはない100億のミーガンの葬列の花なのかもしれない。
 それをして「生きるってそういうことだよね」と片付けられない人が、この物語を一生心の中に持ち続けるのだろう。

 スノーグローブの中の世界は、時が止まっている。水を満たしたその瞬間のままだ。およそ100年前に、ゴールズワージーがこの物語にこめたものは、時を経てガラスの外の世界では受け止め方が変わってしまったかもしれない。
 それでも、ガラスの中ではミーガンは笑い、アシャーストは逃げだし、林檎の花が咲きほこる。
 これは、とても美しい物語だ。

(いけざわ・はるな 作家)
波 2018年1月号より

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