ホーム > 書籍詳細:贖罪〔上〕

一生をかけて償わなければならない罪があった――。世界文学の新たなる古典!

  • 映画化つぐない(2008年4月公開)

贖罪〔上〕

イアン・マキューアン/著、小山太一/訳

596円(税込)

本の仕様

発売日:2008/03/01

読み仮名 ショクザイ1
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-215723-7
C-CODE 0197
整理番号 マ-28-3
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 596円

現代の名匠による衝撃の結末は世界中の読者の感動を呼び、小説愛好家たちを唸らせた。究極のラブストーリーとして、現代文学の到達点として――。始まりは1935年、イギリス地方旧家。タリス家の末娘ブライオニーは、最愛の兄のために劇の上演を準備していた。じれったいほど優美に、精緻に描かれる時間の果てに、13歳の少女が目撃した光景とは。傑作の名に恥じぬ、著者代表作の開幕。

著者プロフィール

イアン・マキューアン McEwan,Ian

1948年、英国ハンプシャー生まれ。シンガポール、トリポリなどで少年時代を過ごす。イースト・アングリア大学創作科で修士号を取得後、1976年に第一短篇集でサマセット・モーム賞を受賞。『アムステルダム』(1998)でブッカー賞受賞。『贖罪』(2001)は全米批評家協会賞など多数の賞を受賞、ジョー・ライト監督により映画化された。2011年、エルサレム賞受賞。現代イギリスを代表する作家のひとり。他の作品に『初夜』『ソーラー』『甘美なる作戦」など。オクスフォード在住。

小山太一 コヤマ・タイチ

1974年生まれ。東大英文科卒業、ケント大学(英国)大学院修了。専修大学准教授。専門は英文学、映画。著書に『The Novels of Anthony Powell:A Critical Study』。イアン・マキューアン『愛の続き』『アムステルダム』『贖罪』『土曜日』、アントニー・ポウエル『午後の人々』、P・G・ウッドハウス『ジーヴズの事件簿』(岩永正勝氏との共訳)など、訳書多数。

書評

波 2008年3月号より 原作を携え、映画館へGOのこと!

豊崎由美

一人の少女がついたひとつの嘘。それが、ひと組の若いカップルの人生を狂わせていく――。今回「つぐない」として映画化された『贖罪』は当社比的にいえば、現代イギリス文学を代表する作家イアン・マキューアンの最高傑作なんであります。
物語は一九三五年夏、十三歳の少女ブライオニー・タリスが休暇で帰省する兄とその友人を自作の芝居で迎えるべく、朝から大忙しという牧歌的なシーンから幕を開けます。タリス家に預けられた従姉弟(十五歳のローラと九歳の双子の兄弟)を巻き込みながら、しかし、芝居の準備は遅々として進みません。一方、大学卒業後の身の振り方が定まらない姉のセシーリアは、自分をこの退屈な屋敷に引き留めているものの正体がわからず苛ついているのですが、やがてそれは明らかになります。それは使用人の息子で幼なじみのロビーの存在。ぎこちない会話と小さな諍いを経て、二人は互いの気持ちを確かめあうのです。ところが家出した双子を探している最中に、ローラが強姦される事件が発生。淡い恋心を抱いているがゆえの幾つかの誤解を通して、ロビーに愛情と背中合わせの憎しみを抱くようになったブライオニーは、虚偽の告発をしてしまいます。「犯人はロビーだ」と。
たった二日間の出来事を描き尽くし、美しくも残酷な余韻を残す第一部。三年半にも及ぶ刑務所暮らしの後、第二次世界大戦に従軍し、フランスで敗走しているロビーと、彼に手紙を出し続けるセシーリア。二人の強い愛を、戦争という悲劇の中にくっきりと浮かび上がらせる第二部。見習い看護士になり、かつて自分がついた嘘、その罪の意識にさいなまれ、贖罪を心の底から願うブライオニーの心の葛藤を描く第三部。ローラを襲った真犯人は誰なのか、ブライオニーが狂わせてしまったロビーとセシーリアの人生は修復可能なのか、果たしてブライオニーは罪を贖うことができるのか。あの“たった二日間”の後の人生を描く第二・三部がもたらすサスペンスは、滋味と痛みと感動を伴って読者を文字通り震撼させます。そして願わずにはいられなくなるはずなのです、贖罪の成就を、三人の幸せと和解を。
が、わたしたちはその後、とても残酷なエピローグを迎えなくてはなりません。一九九九年、七十七歳になり、医師から脳血管性痴呆を宣告され、自分の人生の終幕を予感しているブライオニー、この物語の語り部たる彼女は読者にある事実を明かすのです。その告白がもたらす衝撃と哀しみ、やがてもたらされる諦念は、わたしたちを第二・三部の物語へと立ち返らせずにはおきません。
罪を贖うことの可能・不可能性を深く追求して容赦ない物語であると同時に、十九世紀末から現代に至る小説の骨法を注ぎこむことで文学の可能・不可能性をも追求したこの傑作を映画化ぁ? 正直いって、観る前からがっかりしていたのです。というのも、傑作であればあるほど小説は言葉でなくてはできない表現、つまり映像化不能の表現をとっているわけで、それを理解せず、ただ物語を愚直に追いかける、もしくは無神経にはしょる映画があまりにも多いので。が、しかし――。嬉しいことに、杞憂だったのです。ジョー・ライト監督はこの小説の魅力を、わたしなんかよりずっと深く理解していたのです。幾つかのシーンをブライオニーとロビー&セシーリア双方の視点から描くことで、事実はひとつではなくそれを見る者の心の数だけあるという、原作の中の重要なモチーフのひとつを見事に表現。かつ、英語にして十三万語を有するこの長篇作品を、“言葉にしない”という逆説的な手法で克服。台詞を極力抑え、あくまで映像での表現にこだわる寡黙な演出を選択することで、逆に原作のテーマを純化した形で抽出することに成功しているのです。
いや、ほんとに、これほど原作と映画化作品の魅力が拮抗している例もあまりありません。観る前に読むか、読む前に観るか、大いに悩むところではありますが、いずれにせよ両方楽しむが大吉。これを機にめでたく文庫化なった原作を携え、黄金週間は映画館へGOのこと!


(とよざき・ゆみ 書評家)

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