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「身も世もなく悶える文学」と評された、新・私小説作家待望の新作。

  • 受賞第29回 野間文芸新人賞

暗渠の宿

西村賢太/著

1,512円(税込)

本の仕様

発売日:2006/12/21

読み仮名 アンキョノヤド
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 159ページ
ISBN 978-4-10-303231-1
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,512円

しみじみ女が欲しい、ごく普通の恋人が欲しい――。切望して手酷く裏切られ、ついに手に入れた女と念願の同棲を始めるが……。貧困に喘ぎ、酒に溺れ、嫉妬に狂って暴力をふるい、大正期の作家藤澤清造に熱烈に傾倒する男の、過剰な欲望渦巻く過激な恋愛譚。いま最も注目される作家のデビュー作「けがれなき酒のへど」を併録。

著者プロフィール

西村賢太 ニシムラ・ケンタ

1967(昭和42)年、東京都生れ。中卒。2007(平成19)年『暗渠の宿』で野間文芸新人賞、2011年「苦役列車」で芥川賞を受賞。刊行準備中の『藤澤清造全集』(全五巻別巻二)を個人編輯。文庫版『根津権現裏』『藤澤清造短篇集』を監修。著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『二度はゆけぬ町の地図』『小銭をかぞえる』『廃疾かかえて』『随筆集 一私小説書きの弁』『人もいない春』『西村賢太対話集』『随筆集 一日』『一私小説書きの日乗』『棺に跨がる』『形影相弔・歪んだ忌日』『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』『やまいだれの歌』『痴者の食卓』ほか。

書評

波 2006年1月号より 屑の汗  西村賢太『暗渠の宿』

桜庭一樹

 屑である。
夜、台所の屑箱に捨てられた、蟹の殻の如く。夜の闇を生臭くただよう。屑である。
『暗渠の宿』は西村賢太氏の、表題作が芥川賞候補となった『どうで死ぬ身の一踊り』に続く著作である。「文學界」二〇〇四年十二月号に掲載された「けがれなき酒のへど」と、「新潮」二〇〇六年八月号に掲載された「暗渠の宿」の二編が収められている。
「けがれなき酒のへど」の冒頭、語り手である三十代の独身男性「私」は、買淫に出掛けたものの、やぶ睨みでサイケデリックな顔立ちの女にぶち当たり、「ネズミ女」「ひとつ整形は獣医にでもやってもらうんだなあ」と言い捨ててラブホテルから飛び出し、根が小心にできているためにネズミ女の報で誰か追ってくるのではと怖れて幾度も振り向きながら逃げていく。そうしてしみじみ、女が欲しい、やさしい恋人が欲しい、と物悩む。
「私」は臆病者であるが、親譲りで気の短かさも人一倍である。両親はどちらも激情型で手が出るのが早く、「私」が子供の頃に離婚をした。「私」は中学卒業と同時に家を飛び出したが、時折帰宅して母のパート代を強奪し、やがて親と子は互いを見捨てた。そうして大人となった「私」は、気づくと、冷酷な瞬間湯沸かし器の人間にでき上がっていた。
世の中には恋人や伴侶を得られる人種と、“求めつつも得られない人種”がいるように思える。前者と後者の違いは容貌や社会的な地位だけではなく、心の奥底の問題もあろう。さて「けがれなき酒のへど」の語り手と同じ人物とも解釈できる「暗渠の宿」の「私」は、どうやら、あれから数年を経てようやく恋人を得たらしい。冒頭、その恋人と同棲すべく不動産屋を回るのだが、しかしようやく得た女を「私」は実は信じることができない。どうかすると「どうで、この女はいざとなれば私を見捨てて逃げ去る素質を孕んでいる」と疑い、暗い便所に籠って便座に腰を下ろしながら「根がこれ根拠のない被害妄想から起きたことにしてみれば、やはり有効な安心理論と云っては、何も浮かんでこなかった」と脅える。不安な未来予想図通りに恋人に見捨てられることを望むかのように、「私」は暴力を振るい、女の親から借りた金も使ってしまい、ラーメンの麺の硬さが気に入らずこの世の終わりの如く猛る。“求めつつも得られない人種”は、万一求めたものを得ても、そこに永続性を信じられず、より強い不安に晒されるのだろう。
西村氏の作品に驚かされるのは、一見、古めかしい文体と独特の空気感で、今は無き大正の空気を身に纏いつつも、描かれる対象がどこか現代的な男女である部分ではないだろうか。晩婚化、少子化と聞く度に、問題はこういった強い不安を持つ人間が都市を浮遊し、明るい宿――家庭をどうしても持てぬからではないか、と感じてきた。もしや、女であれば「負け犬」とひとまとめに謗られる存在なのかもしれない。西村氏は、古めかしい大正の屑のように語り手を描きつつも、ある意味、現代的で読者が共感しやすい物語に落としこんでいるように思う。崩れ、酔い、恫喝しながらも、己に対し冷徹なほどの客観性を保つ。文学者でありつつ、屑界のエンターテイナーでもあるのではないか。
「私」は女を求め、性欲と愛されたいという欲に塗れて、夜の街を牡の妖怪の如く徘徊する。酒に溺れ、飲めば暴言を吐き人を殴り、そのくせ小心で、狡い。ソープ嬢に恋人になってくれと頼み「お客さんって三十過ぎてますよね。なんか言うことが中学生っぽいね」と落とされ、台湾からきた売春婦に酒臭い息でねちねち絡んでは「オ前、フザケロ!イイ加減ニシナイトマジデ埋メンゾ!」と怒鳴られる。ただ恋人を得て幸福に過ごす、そんな世間並みの日常茶飯事であるはずの生活が、語り手にとってはどこまでも画に描いた餅、手の届かぬ空中楼閣である。どこまでも。どこまでも。「私」という男は、別の人間に変容することはできない。愛されたいが、やさしく愛することはできない。
「けがれなき酒のへど」の終盤で、風俗嬢に金を騙し取られ、友人を恫喝し暴行を加え、全ての人に嘲られたはずの語り手は唐突に、西日に照らされた百二十畳ほどもある寺の一室にいる。御経が響いている。深く傾倒する大正時代の作家、藤澤清造の法要である。どこにも実のない、求めているが何も愛していないかに思えた「私」の拠所は、このとうに死んだ一人の作家であり、月命日の度毎に墓を訪れていたのだ。恋人の親からの借金は、藤澤清造の全集を出版するという見果てぬ夢のためでもあった。
このシーンだけは、なぜか語り手は屑ではない。とある作家を愛す一人の読者である。しかしそのシーンに女の姿は無い。「私」が屑ではない貴重な一瞬を、女たちは誰も見ていない。読経と、西日、噴き出してお湯のように垂れ落ち、塩と成りはてる「私」の汗がただそこに在るだけである。
ここが、この小説のうつくしいところだと思う。

(さくらば・かずき 作家)

判型違い(文庫)

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