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空前絶後の大帝国は、いつ、どのようにその幕を閉じたのか。

  • 受賞第41回 新風賞

ローマ世界の終焉―ローマ人の物語XV―

塩野七生/著

3,240円(税込)

本の仕様

発売日:2006/12/15

読み仮名 ローマセカイノシュウエンローマジンノモノガタリ15
シリーズ名 全集・著作集
全集双書名 ローマ人の物語
発行形態 書籍
判型 A5判変型
頁数 444ページ
ISBN 978-4-10-309624-5
C-CODE 0322
ジャンル 世界史
定価 3,240円

教科書によれば、西暦四七六年に西ローマ帝国は滅亡し、東ローマ帝国は一四五三年まで続いたとされている。しかし、地中海世界全体に高度な文明をもたらした空前絶後の大帝国は、本当にそのような「瞬間」に滅びたのか――古代ローマ一千三百年の興亡を描き切った前人未到の偉業、世紀をまたぎ十五年の歳月をかけ、ここに完結。

著者プロフィール

塩野七生 シオノ・ナナミ

1937年7月7日、東京に生れる。学習院大学文学部哲学科卒業後、1963年から1968年にかけて、イタリアに遊びつつ学んだ。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくみ、一年に一作のペースで執筆。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2001年、『塩野七生ルネサンス著作集』全7巻を刊行。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2006年、「ローマ人の物語」第XV巻を刊行し、同シリーズ完結。2007年、文化功労者に選ばれる。2008-2009年に『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。2011年、「十字軍物語」シリーズ全4冊が完結。2013年、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)を刊行。2015年より「ギリシア人の物語」シリーズ全3巻の刊行を開始。

目次

はじめに
第一部 最後のローマ人
 (紀元三九五年―四一〇年)
東西分離/ローマ人と蛮族/将軍スティリコ/後見人/“現場証人”/西ゴート族(ヴィジゴート)/アラリック/地中海が「内海」であった時代/アフリカ、反乱/農民から農奴へ/生産しない人々の増加/公共心の衰退/侵攻再開/イタリアへ/対決/ガリアを捨てる/凱旋式/ラヴェンナ遷都/襲い来る大波/迎撃/ローマ帝国の実戦力/フィエゾレの戦闘/ガリアの現実/毒をもって毒を制す/孤立/謀略/苦悩/死/空白/恐喝・その一/恐喝・その二/「ローマ劫掠」/ローマから去る人々
第二部 ローマ帝国の滅亡
 (紀元四一〇年―四七六年)
覇権国の責務/進む蛮族化/「三分の一システム」/東ローマ帝国/女と権力/「軍司令官(マジステル・ミリトゥム)」たち/「軍司令官」ボニファティウス/ヴァンダル族/聖アウグスティヌス/「軍総司令官」アエティウス/瓦解/フン族/アッティラ/シャンパーニュの会戦/ヴェネツィア誕生/自壊/再び「ローマ劫掠」/最後の二十年/東西最後の共闘/ローマ帝国滅亡
第三部 「帝国以後」
 (紀元四七六年―)
オドアケル/共生路線/ブリタニア・「帝国以後(ポスト・インペリウム)」/ガリア・「帝国以後」/ヒスパニア・「帝国以後」/北アフリカ・「帝国以後」/「パクス・バルバリカ」(蛮族による平和)/棲み分け/テオドリック/イタリア進攻/東ゴート(オストロゴート)王国/敗者の活用/忠臣カシオドロス/「東」の長い手/「パクス・バルバリカ」の終わり/学園(ヴィヴァリウム)/修道院/ユスティニアヌス大帝/『ローマ法大全』/聖戦思想/将軍ベリサリウス/アフリカ進攻/ヴァンダル王国壊滅/イタリア進攻/ゴート戦役/ローマ攻防/将軍ナルセス/ラヴェンナ落城/戦役再開/終戦/イタリアの死/ベリサリウスの死/ユスティニアヌスの死
終わりに

付録
年表
参考文献/図版出典一覧

インタビュー/対談/エッセイ

波 2006年1月号より [『ローマ人の物語』完結記念対談]  ローマと日本の神々のご加護で、 書き続けられたのかもしれない 塩野七生『ローマ世界の終焉―ローマ人の物語XV―』

塩野七生粕谷一希

――今日は、『ローマ人の物語』が完結したことを記念しての特別対談ということで、塩野さんを四十数年前に作家として発掘した編集者であり、また、『ローマ人の物語』誕生の経緯にも詳しい粕谷一希さんに対談相手になっていただき、『ローマ人の物語』について語り合っていただきたいと思います。
粕谷 塩野さんとの出会いといっても、まったくの偶然ということでしかないのでね。当時は「中央公論」の編集者で、アメリカとヨーロッパを回っていたのですが、たまたまローマに立ち寄り、お会いした。発掘したという気はあまりない。確かに「書いてみないか」とは言ったけど、まさか本気になって原稿を書いてくるとは思わなかった。それがデビュー作となる『ルネサンスの女たち』。二作目以降は、僕は全く関係していない。
塩野 そうだったかしら。
粕谷 その後、僕はずっと塩野さんの作品の愛読者であっただけです。ルネサンスものをいろいろと書かれたあと、今度はローマ史をやると聞いて、これは大変に勇気のあることだと思った。しかも、書き出しで「年一冊、全十五巻」と宣言をしてしまって、大丈夫かなあ、と(笑)。本当に完成するとは夢にも思わなかった。世界中でもローマの通史を完成した人はいないですからね。高坂正堯さんも、ローマ史を書くという塩野さんの宣言に対して、「だけど君、一体どうやって書くんだい」と言ってたよね。大体、僕は完結する時まで生きていられるとは思ってなかった。だが今回、塩野さんは全部を書き上げて、凱旋将軍としてローマから日本に帰ってきた。
塩野 凱旋将軍なんてとんでもない。
粕谷 目も悪くなられただろうし、お互い年も取った。でも腰は曲がっていない(笑)。そういう若さを保ちながら、今日まで塩野さんは書きつづけられ、僕は最後まで読むことができた。感無量です。
塩野 まあまあ。

学者には出来ない仕事

粕谷 塩野さんが東京にいらしたら、『ローマ人の物語』は書けなかっただろうと思います。やはりイタリアに行って、ローマなりフィレンツェに住んだからこそ書けた。その集中力と持続力。この二つですね。ドンコンというか。鈍と根。
塩野 鈍というのは、あまりいかさないんじゃないかしら。
粕谷 いや、大きな物事を完成させるには必要な資質だと思う。どんなに才気のある人でも、大きな仕事を完成できる人は少ないわけですよ。塩野さんは、普段は口は悪いし、男をからかうし……。
塩野 不良少女と言われていたの(笑)。
粕谷 しかし塩野さんは、一大決意をしてイタリアの地に住み着いて、これほど大きな作品を書き上げられた。学者には決して出来ない仕事です。学者ほど、怠け者で仕事をしない種族もいないのではないかと思います。ただ、学者たちと長く付き合っていると、理由もわかる。一つは、学生を教えるという仕事が入っていること。もうひとつは、教授会自治とか学長選挙などという学内政治がはびこっていること。それと付き合わないと大学にいられないし、付き合うと時間がなくなるという滑稽な喜劇というか悲劇が繰り返されている。
塩野 私は何よりもまず学者ではありません。学者とは、他人の書いたものを研究する人です。私は、他人の書いたものを研究するよりも、自分自身で書きたかった。「アジア歴史資料センター」という機関があるのですが、そこのある方が言っています。「歴史事実は共有できるが、歴史認識は共有できない」と。私もこれに賛成で、いろいろと調べた結果の歴史事実を、私はこのように認識するということを書いたのです。だから、歴史認識を私と共有しない人がいたとしても当然です。そのような方は、ご自身でローマ史を書かれたらいいと思う。
粕谷 近代の学者には、実証主義という縛りがあるわけですね。学者の基本は、実証主義的な研究がなければいけないと、呪文のようにみんな思っている。しかし、実証ということになれば、日本の学者が、外国の地元の学者と競争できるわけがない。でも、歴史というのは実証研究以外にも膨大な領域があって、歴史叙述はもっと自由で面白いものだということを、大学の先生は忘れてしまっている。だから、塩野さんがやっていることに終始、僕は疑問を持たなかった。アカデミシャンの中からは、『ローマ人の物語』についていろいろと批判が出たのではないかと想像しますが、塩野さんが自由に書かれたというのは本当に素晴らしい。塩野さんは、学説史は丹念に研究しなかったかもしれないが、現地にいたおかげで実によく各地を歩いている。
塩野 ある意味では、それも実証ではないかしら。
粕谷 うん、それが実証主義といえば実証主義。おそらく塩野さんはイタリア人以上によく歩いている。その努力の厚みが、『ローマ人の物語』の全編を支えていると思う。前人未到の大業を遂げられて、まさに凱旋将軍です。

歴史に物語(ストーリー)を回復させた

塩野 昔の歴史家の仕事を見てみると、例えば、古代ギリシアの歴史家だったヘロドトスの書き方とトゥキディデスの書き方は違う。恐らくヘロドトスの書き方にトゥキディデスは同意していなかったのではないかと思います。ヘロドトスが、ギリシアとペルシアが戦ったペルシア戦役史を書くと、今度は、トゥキディデスがギリシアの中のアテネとスパルタの戦いを書く。ルネサンスの場合だと、マキアヴェッリが『フィレンツェ史』を書いたところ、マキアヴェッリの親友だったグィッチァルディーニは、マキアヴェッリの死後、自分はこのように歴史を認識するという観点で『イタリア史』を書いた。十八世紀にイギリスの歴史家のギボンが『ローマ帝国衰亡史』を書けば、十九世紀にドイツの歴史家であるモムゼンが、ローマの建国からカエサルの死までを自分の史観で書いている(『ローマ史』)。歴史の書き方というのは、ずっとこのようになされてきたのです。私は、このほうが歴史を読む人間にとっては選択肢が広がっていいと思う。他人が書いたものを研究することが歴史学者と見なされるようになったのは、実は二十世紀に入ってからなのです。
粕谷 『ローマ人の物語』で最も大事なのは、「物語」という表題ですね。この表題が傑作であって、本来、歴史(ヒストリー)というのは、ストーリーなんだ。歴史にストーリーを塩野さんは回復させた。僕らは、子どもの頃から、血湧き肉躍る「物語」をたくさん読んできている。プルタークの『英雄伝』や坪内逍遥訳のシェークスピアで、カエサル(シーザー)やクレオパトラの話を読んできた。それが、塩野さんがやられた仕事につながっている。シェークスピアも天才だけど、塩野さんも天才だという感じだな。
塩野 私は、自分が書いたものを「物語」と呼びました。英訳すれば、「story」です。私が「物語」としたのは、日本語で「歴史」と言うと、歴史研究書と誤解されるかもしれないから、それを避けたかった。でも、「物語」も「歴史」(history)も英訳すれば同じです。ギリシア語でもラテン語でも同じ。日本語だけが違うんです。もうひとつ、学者の歴史研究は大勢の方々がそれぞれの専門分野別で書き分ける場合が多いですが、私はなぜローマ史を一人で書いたのかと聞かれれば、一人の見方で一貫しないと、歴史の複雑な現象は描き切れないと思うからです。トインビーは、「不完全ではあるかもしれない。しかし、通史は一人で書いた方がいい」と言っています。
粕谷 まったく同感。しかし日本では、日本史ですら、通史というのは一人では書かないんですよ。古代史の専門家は古代史、中世は中世、近世は近世というように。近世の専門家が近代をやってもいけないし、近代の専門家が近世をやってもいけない(笑)。
塩野 私は一度たりとも学者に挑戦したことはないんですよ。私が書いたのは、あくまで作家が書いた歴史です。学者が書く歴史と作家が書く歴史のどこが違うのかと言えば、調べる史料ならば全く違わない。何が違うかといえば、人間に対する興味が作家の方が断じて強い。ですから作家が書いた歴史作品では、登場する人間たちが生きてくるということはありえます。
粕谷 講釈師、見てきたような嘘を言いと言うけど、小説家はみなそう。あたかもそこに人間がいるかのように書く。
塩野 作家が書く歴史と歴史学者が書く歴史が違って当然なんです。もし日本のローマ史関係の学者が、歴史学のシロウトが通史を書くのに同意できないのであれば、「どうぞ、プロとしてのローマ史をお書き下さい」と申しあげるだけです。どちらが説得性を持つかは、読者が判断すればいいんですから。

キリスト教をどう書くか

粕谷 多々ますます弁ずで、多様な歴史があって構わないわけだからね。最終的には後世の人が評価するのだろうけれど、塩野さんの『ローマ人の物語』が成功したのは、自分の好みをはっきりと打ち出したことだと僕は思っています。
塩野さん自身も言っているように、カエサルという恋人を書きたいというので、結局、全十五巻のローマ史を書くことになったという。なぜカエサルにそれほど惚れているのかの理由を書こうとして、カエサルの巻は二巻にもなってしまった(笑)。僕はそれでよかったんだと思う。客観的と称して、自分の好みを書かないというのはおかしいんです。
塩野 客観性自体からして、どこまで信用できるでしょうか。考古学にしても、文献や史書に表れたものを補強する役割は果たしても、歴史を書き換える役割は絶対にしません。
粕谷 もう一つ、僕が当初から関心があったのは、イエス・キリストをどう出すかということだった。ネロやカリグラなどの悪名高き皇帝たちの話もローマの黄金期を築いた賢帝たちの話も面白いけど、キリスト教をどう書くかが大テーマだったと思う。ローマ人はキリスト教からすれば異教徒の世界。そこにキリスト教がどう入ってくるのか。これまでも、キリスト教徒の立場から書かれたローマ史は数多くあったとは思うけれども。
塩野 反キリスト教会ということで発表当時は批判されたギボンでさえも、本質的にはキリスト教徒でした。
粕谷 塩野さんは、キリスト教徒ではない異教徒の目でローマ史を書き進め、なおかつ、そのローマ史の中にキリスト教がどういう形で入っていったかを用心深く書いた。こういう例は、おそらく世界的にも初めてではないか。第十四巻の『キリストの勝利』で、ローマ帝国へのキリスト教の参入を実にリアルに一つ一つ事実を積み重ねて書いていったのは、本当にすごいと思います。
塩野 私は、個人の信仰は尊重いたします。しかし宗教というものは、組織化する。日本人は情感的に宗教を捉えますが、宗教は、団体、組織になると非常に恐ろしい力を発揮する。時に人の心の中まで手を突っ込んでくる。そういう宗教のあり方について、私は常に疑問を持っていました。
粕谷 その点、ローマは日本と同様に寛容性を大事にする多神教の国だったわけですね。
塩野 日本は八百万の神々がいた国です。ローマにも三十万の神々がいた。ただし、日本とローマの多神教は本質的に違うところがある。日本の場合は自然に神々の数が多くなった。ローマの場合は、他国を征服して、その敗者の宗教まで組み入れた。征服した民族の神までローマの神々に組み入れるというのは、その神々を信じている民族の存続を認めるということでもあります。そして、別々の神を信じている人間が一緒に暮らさなければならない時に何が必要かといえば、それはローマ法。ローマ法とは、全くローマン・スピリットの所産なんですね。
粕谷 そのとおりだね。
塩野 私がローマに惹かれてどうしても書きたいと思った理由には、自分だけが正しいと思う一神教的な考え方を、私が好きではないということがあります。現代は一神教の時代で、キリスト教でなければイスラム教という感じですが、この人間社会にもかつては多神教の時代が存在した。日本も多神教ですが、自国の中で自然繁殖したようなものでしかない。だから、日本人が植民地を作った時に、神社の鳥居を持っていってしまった。われわれは多神教の精神を忘れたんです。ただし、民間では多神教の精神を持っていた。他人の存在を許容する姿勢をわれわれはまだ持っている。そうした日本人の一人として、私は『ローマ人の物語』を書いたんです。
粕谷 ぜひ今後とも日本人も多神教の良さをもう少し議論した方がいいと思いますね。ただし、いまの靖国問題でもわかるように、明治国家というのは、かなり一神教的だったと思う。明治憲法もあるが、それ以上に教育勅語の影響が大きかった。その上に、国家神道という制度を作り上げた。
塩野 一神教の弊害は、他の神は認めないというところにあります。ただ、今のキリスト教は、十字軍などの失策を経て、少しはお利口になっている。ルネサンスを経過し、啓蒙主義も経験し、近代以降は政教分離で長年やってきている。いわゆる一神教的ではなくなっている。むしろ現代で問題なのは、同じく一神教でもイスラム教のほうですね。イスラムはルネサンスも啓蒙主義も経験していない。それがいま、大きな問題の底辺になっているんです。
粕谷 うん、そうだ。
塩野 最後の第十五巻『ローマ世界の終焉』は、地中海がローマの内海でなくなった時代をもって終わっています。地の中の海であった「地中海」が、異なる文明の境の海になってしまったから。こちら側がキリスト教文明ならば、あちら側はイスラム教文明というように。
粕谷 そのあたりは実にリアルに描かれていますね。『ローマ人の物語』には、塩野さんのいろいろな好みもはっきりと出ているけれど、一方、実に冷徹な叙述がずっと続いている。第十四巻の『キリストの勝利』も『ローマ世界の終焉』という最終巻も、衰亡史を書いているにもかかわらず、それまでの巻と比較しても筆の衰えというものを一切感じさせない。
塩野 ああ、それはとてもうれしい。だって粕谷さん。十五年間も書いていると、やはり疲れてくる。その疲れが肉体的な疲れだったら我慢します。しかし、その疲れが筆力の衰えになったとしたら、物書きとしては、責任を果たしていないことになる。筆力の衰えだけが怖かった。
粕谷 料理人も病気になると、味は駄目になるよね。まあ奇跡だと思うけど、塩野さんは十五年間よく健康でいたね。
塩野 だんだん年を取っていくわけでしょう。どうしようかと思って、私、健康チェックを受けないことにしました。
粕谷 ほう(笑)。
塩野 健康チェックでもしたら、必ずどこか悪いところが出てきたでしょう。そうなれば、日本に帰って治療したくなる。でも、そんなことをしていたら執筆は続けられない。読者は私が一年ぐらいは休むのを待ってくれるかもしれない。でも、一度中断したら、私が続けられなくなる。ですから、ローマの三十万と日本の八百万の神々に頼みました。書いている間ぐらいは生かしておいてくれと。
粕谷 神のご加護があったわけだ。
塩野 (笑)。

アメリカはローマ帝国を知らない

粕谷 最後に二点お聞きしたい。この本には読者に提起している最大の問題があると思う。ローマ帝国は、共和政から帝政に移行した歴史ですよね。ところが現代人は、君主政から民主政に移行するのが歴史だと思っている。少なくとも近代の歴史はそうだった。この問題をどう考えればいいのか。
塩野 私がヴェネチア共和国を主人公にした『海の都の物語』を書いていた頃に、ある会合でお会いした田中美知太郎先生から教わったのです。ヴェネチア共和国は寡頭政、つまり少数指導体制を取っていたわけですが、田中先生は「民主政とか王政とか貴族政というのは、単に国政を決める人間の数の問題であって、優劣には関係ない」と言われた。要するに、善政をやったかどうかだけを問題にすればいいということですね。初代皇帝アウグストゥスの時代に、人口調査をしています。当時、ローマ市民権を持っていたのは四百万人。それ以前、市民集会に集まるのはだいたい全体の十分の一だった。となると、四百万人の十分の一である四十万人を集めるのはもう無理になっていた。そこで、国政は皇帝が担い、それを元老院が補佐する帝政という制度ができた。市民の数がある水準を超えると、市民集会で民意を反映させることができなくなる。民主主義だと、必ず声の大きな人々の意向ばかりが反映されやすい。民主政とは、用心しながら運営しなくてはいけない制度なのです。
粕谷 なるほど。『ローマ人の物語』が提起している問題は、民主主義についての大変なアイロニーというか、パラドックスとも言える。共和政から帝政へというテーマでいうと、日本の小泉政権というのは不思議な内閣だったという印象がある。もちろん帝政ではないけど、小泉さんは非常に変わったパーソナリティで、一種の独裁に近い権力を持っていた。日本のように議会政治を一応表看板にしている国で、小泉さんのような人がトップに座ったのはずいぶん不思議なことだったのではと思います。
塩野 日本で一番権力を持っているのは首相と与党の幹事長と言われています。小泉さんは法に反したことをしたわけではない。ただそれまでの首相が、法に合致していることでも実行する勇気がなかったんです。彼はそれをやっただけ。独裁ではなかったと思います。
粕谷 もう一点うかがいたいのは、アメリカの将来です。現代のアメリカは、よくローマ帝国に似ていると言われるが、考えてみると違う。米ソ冷戦が終わって、一極覇権帝国になったけれども、いろいろな兆候から見ると、アメリカもまた滅びるのではないかという予感や危惧がある。一方、共和党のブッシュ政権がイラク戦争で失敗すると、次期大統領は民主党に行きそうだというので、アメリカには復元力もあるという気もする。
塩野 現代はパクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)だといわれますが、決してそうではないと思います。なぜなら、アメリカ人はローマ帝国のことを少しも知らないからです。帝国とはどういうものか、覇権国にはどういう責務が伴うのかを知らない。帝国は、覇権下にある人々の利害の調整をやる責務がある。そのためにもし武力が必要ならば、それを堂々と行使する。アメリカ人の頭の中にある帝国というのは、大英帝国のことなのですね。アメリカは大英帝国から離れて独立した国なので、大英帝国的な帝国主義にアレルギーがあって、帝国主義をやりたくない。だけど、アメリカは覇権を持ってしまった。なのに、それを使うのが嫌いなんですね。それですべてが、中途半端になっている。かつてロンドン大学のドナルド・ドーア先生が、『ローマ人の物語』について「君は、アメリカみたいな国のことを書くのに十五年も費やすのかね」と言うので、私は「いえ、ローマ帝国がアメリカではないことを実証してみせます」と言いました。
粕谷 それを、塩野さんは実証した。実際、ローマとアメリカは本当に違うんだ。蛇足で最後に聞くけど、アメリカの将来は別として、塩野七生の将来はどうなるの。
塩野 いまのところ、全然予定はないんです。
粕谷 全然ない? 料亭でも経営するか。
塩野 何かをなしたとき、新鮮味を残すための方向転換はある程度必要です。だから、私はルネサンスを書いたあと、ローマにテーマを変えました。会田雄次先生に「男を変えます」といったら、先生は笑っていたけど。ただ、すべてを変えるというのではお利口なやり方ではないので、料理屋の経営はしないんじゃないかしら。
粕谷 それは賢明だ。倒産ということもあるからね(笑)。ともあれ、『ローマ人の物語』の完結、おめでとうございました。
塩野 自分がたいしたことをしたとは思えないんです。ただ、やった、終わった、ということだけは実感しています。

(かすや・かずき 「中央公論」元編集長)
(しおの・ななみ 作家)

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