ホーム > 書籍詳細:そうか、もう君はいないのか

天真爛漫な面影、声にならぬ悲しみ。凜として純真な愛に満ちた、妻との半生記。

  • テレビ化そうか、もう君はいないのか(2009年1月放映)

そうか、もう君はいないのか

城山三郎/著

1,296円(税込)

本の仕様

発売日:2008/01/25

読み仮名 ソウカモウキミハイナイノカ
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 158ページ
ISBN 978-4-10-310817-7
C-CODE 0095
ジャンル エッセー・随筆、文学賞受賞作家、ノンフィクション、ビジネス・経済
定価 1,296円
電子書籍 価格 400円
電子書籍 配信開始日 2008/11/14

最愛の妻・容子が逝った……。特攻隊から復員した学生だった頃の奇跡的な出会い、文壇デビュー当時の秘話、取材旅行の数々、甦る人生の日々。そして衝撃のガン告知から、二人だけの最期の時間。生涯、明るさを失わなかった妻よ、君は天から舞い降りた妖精だった……。昨春、少年のような微笑を浮かべて逝った著者が遺した感涙の手記。

著者プロフィール

城山三郎 シロヤマ・サブロウ

(1927-2007)名古屋生れ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎える。一橋大学を卒業後、愛知学芸大に奉職し、景気論等を担当。1957(昭和32)年、『輸出』で文学界新人賞を、翌年『総会屋錦城』で直木賞を受賞し、経済小説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞を受賞した『落日燃ゆ』の他、『男子の本懐』『官僚たちの夏』『秀吉と武吉』『もう、きみには頼まない』『指揮官たちの特攻』等、多彩な作品群は幅広い読者を持つ。2002(平成14)年、経済小説の分野を確立した業績で朝日賞を受賞。

書評

波 2008年2月号より 特集[城山三郎『そうか、もう君はいないのか』刊行記念]  静かに深く心にしみこむ、夫婦の絆

児玉清

最近、とみに思うことのひとつは、長年連れ添った妻に先立たれたらどうしようか、という恐怖である。できれば妻より先に、と折りにふれそのことを口にすると、いや私のほうが先よと言われ、じゃあ一緒になんてお茶を濁して苦笑しているのだが、城山三郎さんの『そうか、もう君はいないのか』というタイトルを目にしたとき、鋭い一撃ともいえる痛みが胸に響いた。
後に残された夫の心を掬う、なんと簡潔にしてストレートな言葉だろう。最愛の伴侶を亡くした寂寥感、喪失感、孤独感とともに、亡き妻への万感の想いが凝縮されている。
愛妻物語は、お茶の水駅近くの講演会場でのエピソードからはじまる。さて、どんな話からと考えながら演壇に立った城山さんが会場内を見渡すと、なんと二階席最前列の端に奥様の容子さんが座っているではないか。しかも、目が合った瞬間、容子さんはふざけた仕草で、その当時の人気マンガのイヤミ君の「シェー!」をしたというのだ。この一節で、容子さんがユニークで、明るくお茶目な楽しい女性であることを颯とわからせてしまうところは、実に見事だ。
容子さんと初めて出会ったのは学生時代、名古屋のとある図書館の前である。臨時の休館日であったために城山さんが外で佇んでいると、その前に、恰も天から舞い降りた妖精か、と思わせる容子さんが現われたという。その瞬間に、この人こそ意中の人と直感した城山さんの類稀な眼力は、その後数々の作品で私たちが知ることになる人間洞察力の鋭さを彷彿させる。その後一旦は離れ離れになった二人が、やがて結婚へといたるドラマチックなプロセスは、まさに赤い糸で結ばれていたというにふさわしい。
城山さんの筆で生き生きと立ち上がってくる容子さんの姿は実にチャーミングで可愛らしい。シロヤマサブロウというペンネームを知らず、文学界新人賞受賞の電報に「そんな人、いません」と答えて危うく受賞を逃しそうになった話も愉快で楽しい。新人賞受賞後、夏休みを一人で軽井沢にこもり、作家として立つべく懸命に書き上げた作品をあっさり「没」にされたときのエピソードは、二人の間柄を象徴していて面白い。
「二夏続けて家を空けて、収穫なしだったが、容子は、何ひとつ文句も質問も、口にしなかった。/それも、深い考えや気づかいがあってのことというより、『とにかく食べて行けて、夫も満足しているから、それでいい』といった受けとめ方であり、おかげで私は、これ以降も、アクセルを踏みこみながら、ゴーイング・マイ・ウェイを続けて行くことができる、と思った」
感情に溺れず、感傷にも走らず、透徹した目で事実を見つめ、虚飾や嘘を嫌う筆致で次第に明らかにされる夫婦の絆は、清々しく品位があり、静かに深く諄々と心にしみこんでくる。日常生活の雑事や世俗的なことは、感謝を込めて「パイロット・フィッシュ」と名付けた容子さんにすべて任せ、思う存分理想の作家生活に埋没できた城山さんに対して、猛然と羨ましさが湧いてくる。
安心して後方を妻に委ねて前線で懸命に戦う夫と、夫をさり気ない気配りで明るく支える妻。深く愛し合っていたことがひしひしと伝わってくる。晩年、癌とわかった容子さんをぎゅっと抱きしめ「大丈夫だ、大丈夫。おれがついてる」と「大丈夫」を連発する城山さん。他にどんな言葉があるだろうか。僕はたまらず嗚咽した。
夫婦愛という言葉が薄れゆく現代、お金がすべてに先行する今日、熟年離婚が当たり前のことになりつつある中で、人を愛することの豊かさ、素晴らしさ、そして深い喜びを真摯に教えてくれる城山文学の最終章である。


(こだま・きよし 俳優)

【書評】河瀬直美/共に生きる命への感謝

波 2008年2月号より 特集[城山三郎『そうか、もう君はいないのか』刊行記念]  共に生きる命への感謝

河瀬直美

この本を読んでいると、丁寧に生きてゆきたいと願う。丁寧に生きて、生涯を共にしたもののこと、そのものとの時間を思い返して最期を迎える。そんな美しい人生をおくりたいと思うのだ。これは「書く」ということに真摯にあり続けた人の最後の本である。著者のことを詳しく知らないまま読んだ。家族がすでに旅行先のホテルに到着している。わたしは仕事をひとつ終わらせてからそこに合流することになっていた。読みながら道中の飛行機で涙をぽろぽろと流した。私にはかけがえのない家族がいる。夫と子供と93歳になる養母。その涙を流しながら、いちばんには養母のことを思っていた。彼女の言葉を丁寧にひろって記録しておきたい。彼女のあたりにある時間の流れはとてもゆるやかでほんわかしている。この本の世界はその空気と似たものをかもし出している。わたしのように雑多な日常を過ごすものは、こんな本に出逢わない限り、養母の声をしずかに聞くこと、そのことがどれほどに大切なことかを確認できないのだと思う。
城山さんが生涯「書く」ことに真摯でいられたのは、妻容子さんの存在があったからだ。もしも城山さんが容子さんに出逢わなければ日本の文壇に彼の名前はないだろう。筆一本で生活することは安定を許さないことである。相当な苦労もあったろう。しかし容子さんのあっけらかんとした態度や物言いがそれらをどこ吹く風とやり過ごす。城山さんはこの本をそんな彼女の姿かたちを振り返りながら、声をそばで聞きながら、確かめるように書き綴ったのだろう。そうしてここに城山三郎がいるのは、ほかでもないこの「妖精」のごとき我が妻のおかげなのだということを、世間に知らせておきたかったのだと思う。城山さんのおかげで、共に生きるということを丁寧に成し遂げた人々の物語をわたしは読むことができた。無骨でなんのおもしろみもないような男性がひとりの女性に恋をして、死ぬまで彼女に恋焦がれ逝ってしまった。
茅ヶ崎で執筆活動に専念する日々を過ごしていた時間のことが鮮明だ。原稿に向き合って水泳と午睡をはさむだけの単調な日々。訪ねる人もなければ出かけることもない。そんな中で城山さんの作品は生まれでる。映画の一場面のようだなと思う。匂いのようなものも一緒にたちあがってくる。笑顔の容子さんとまだ幼い子供のはしゃぐ声。こんなにやすらぐ空間が城山さんに与えられたことの奇跡を思う。その時間がどうか永遠でありますように。そう願いながら、もうそれらの時間が過去のことだと気づかされるときの城山さんの横顔が見える。常々わたしが映画を撮ることはこの人生をよりよくするための手段だと思っているが、一方で一刻一刻過ぎゆく日々への決別のようなものもないまぜとなる。つまり実人生で成し遂げられなかったことをやり直すというようなこととしてものづくりがある。けれど3年前に息子を出産してからはその認識が少し変わってきた。成し遂げられなかったものをやり直すというよりは、成し遂げられなかったことがあったとしても、それがわたしの人生であるということを受け入れられた。そうして今このときを生きる「役割」の一部に映画制作はあるという考え方。もしも城山さんが容子さんの逝ったあと、その生をまっとうする「役割」があったのだとしたら、それは人と向き合うことをおろそかにしている現代人に『そうか、もう君はいないのか』で描かれた人間のかくも美しきつながりを伝えることだったのかもしれない。
生涯を共にする相手と出逢った瞬間のことをこんなに克明に描けるということは、そのシーンを何度も何度もくりかえし頭の中に思い描いていたからに違いない。ことあるごとに容子さんによってそこからまたときめき、はじまったのだろう。そしてその容子さんの最期を城山さんは笑顔で飾る。わたしの耳には城山さんの声なき声のつぶやきが聞こえる。容子とともにあったこの命をありがとう、と。


(かわせ・なおみ 映画作家)

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