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男の影はこちらへ向かって来る。辻で道の尽きるのを願っている――。待望の最新刊。

古井由吉/著

1,620円(税込)

本の仕様

発売日:2006/01/27

読み仮名 ツジ
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 236ページ
ISBN 978-4-10-319207-7
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,620円

緩慢に物狂っていく老いた父の背中に、自分の来し方を思いふと立ち止まる中年の男。生涯のどこかの辻で出会い交わり往き迷った男と女。女は受胎して子が産まれ、子は壮年となってまた幾つもの辻に差しかかる。――鋭い感性と濃密な文体で、日常の営みのなかに生と死と官能のきわみを描く十二の見事な連作短篇の世界。

著者プロフィール

古井由吉 フルイ・ヨシキチ

1937年東京生まれ。東京大学文学部独文科修士課程修了。1971年「杳子」で芥川賞受賞。その後、1980年『栖』で日本文学大賞、1983年『槿』で谷崎潤一郎賞、1987年「中山坂」で川端康成文学賞、1990年『仮往生伝試文』で読売文学賞、1997年『白髪の唄』で毎日芸術賞を受賞。2012年『古井由吉自撰作品』(全8巻)を刊行。他に、『楽天記』『野川』『辻』『白暗淵』『やすらい花』『蜩の声』『鐘の渡り』『雨の裾』など多数の著作がある。

書評

言葉が霊となる

藤沢周

 その径を知悉しているからこそ、迷う、ということがある。
 何も山中の杣径ばかりでなく、ごく日常的な小路で、辻で迷い、途方に暮れる。知り過ぎて油断していたと苦笑してくれるならばまだしも、そのまま十日ほども彷徨い続け、女の肌の記憶だけが遺る、と言われたら、こいつは近いうち死ぬかも知れない、と直感し、納得する自分がいたりするのだ。
 まずは自らの感触として、日常の中での迷子は意外に近しいものだ。いや、五○歳前の評者がそんなことを漏らすのは僭越かも知れないが、古井由吉著『辻』中の「半日の花」に描かれる石垣を、やはりどうしても、見る、のではなく、聞く、という主人公と同じ呼吸をして対さなければ落ち着かない。
「列のところどころに、繰り越されてくる歪みを溜めて、今にも傾いではみ出しそうな、おのれを吐き出しそうな石たちがある。あれこそじつは、その場その場で、要の石になっているのではないか、と思って耳をやった。人の声のような思いだった」(「半日の花」)
 この時、歩き馴れた石垣の路であるにもかかわらず、主人公は紛れもなく路に迷っている。迷っていなければ、そんな石に目を留めないものなのである。そして、彼は友人の「見ているはずの自分がどこにもいない」という言葉に引っかかりもしないだろう。
 人はこの事態を、デジャ・ヴュ的なものであるとか、あるいは、末期の眼などと解釈しがちだが、もっと救い難い位相の彷徨であると、怖気づいていいのかも知れない。この連作短篇に登場する人物達は、つまり、もはや生が「飽和」してしまっているのだ。運命や寿命が飽和している。だから、辻を歩いているのは、本人ではなく、彼岸によって結露している輪郭であり、死の側によって気化された陽炎の輪郭のようなものなのだ。意識や魂がすでに渡っているというのに、肉体はまだこちら側にいるから、一体自分は何処にいるのだろうと訝ってしまうのである。
「一歩ごとに、すでに間違えているのにひとしい。とうに間違えているのにひとしい」
 同じ風景を表裏から同時に見てしまう時こそ、人が迷うということではないのか。その迷いの「境」にある時、他者からは霊的なものとして映る場合もあり、認知症として判断される場合もあり、気の触れと思われる場合もあるのだろう。
 私達はそんな「境」にある人の話をする時に、声音を変えることをやるけれども、その時点で、じつは遠い昔日からの生死の辻に遺っている匂いをすでに知っているということになる。山人が猟銃で岩の上で髪を梳いていた美しい女を撃ち、その髪を懐に入れて持ち帰ったが、夢の中で大男が現れ、髪を取り返しにやってきた、という柳田國男『遠野物語』の精霊的な一節を誰も疑わないように。そして、本書「草原」での、闇の中で抱いている女の眼に、「絶望の封印」としての、前の男の眼が紛れもなく宿っていると嫉妬するように。あるいは、「死んで年々老いていく女親に、世代も隔てた女の内から触れる。それが男の、年が深くなるにつれて、女人を抱くということではないか、その初めの予兆の夢ではなかったか」(「白い軒」)と思うように。
 たえず成仏し損なっている生者が、十全に此岸をこれ以上ないほど熟知し、もはや知ることの対象を喪失した時は、迷う以外にないのだろう。迷いながら細糸の切れぬように、生き遺る肉体を彼岸の方へ手繰り寄せているのである。それが女との交わりであったり、よまい言を発することであったり、一日中窓辺に座って雨を眺め、「一日中同じように降っていても、雨の変わり目というものがあってな、惹きこまれると、魂が抜けそうになる」(「雪明かり」)と漏らすことだったりするのだ。
 まだ一度も死んだことのない我々人間は、死について虚構を書くことに奔放になれるのかも知れぬが、その言葉がまた虚構すらも塞ぐ。『辻』は、死のみならず、その言葉が此岸に現れた恐ろしい境位自体にまで這い入り、死にまつわる凡百の虚構の言説をも無化してしまった。
 見えるものが見えなくなる。見えないものに言葉が霊となる。

(ふじさわ・しゅう 作家)
波 2006年2月号より

判型違い(文庫)

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