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知識より、好き嫌い云々よりクラシックは楽しむのが一番。たとえば、こんなふうに……。

之を楽しむ者に如かず

吉田秀和/著

3,240円(税込)

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発売日:2009/09/30

読み仮名 コレヲタノシムモノニシカズ
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 526ページ
ISBN 978-4-10-324014-3
C-CODE 0095
ジャンル 音楽理論・音楽論、音楽
定価 3,240円

音楽の持つ可能性の大きさが再び見出されている今という時代、かつて味わったことのない、何ともいえない面白い演奏にぶつかることがある。「真珠の粒を連ねたよう」ではないモーツァルト、重さから解放された軽やかなバッハ……。フルトヴェングラー、グールドからアンナ・ネトレプコまで、音楽をきく楽しみを自在に語る。

著者プロフィール

吉田秀和 ヨシダ・ヒデカズ

1913(大正2)年9月23日、東京日本橋に生まれる。東京大学文学部仏文科卒業。1946年、「音楽芸術」誌に「モーツァルト」を連載、評論活動を開始する。1988年、水戸芸術館館長に就任。2006年、文化勲章受章。著書に、『吉田秀和全集』全24巻(白水社刊)、『セザンヌ物語』『私の好きな曲』ほか(ちくま文庫、吉田秀和コレクション)、『永遠の故郷』(集英社)など多数。

書評

波 2009年10月号より 一言の凄み

岡田暁生

よく「音楽は楽しめればいい」という人がいて、若い頃の私はこういう言葉を聴くたびに激高していた。ただの娯楽ではなくて、それ以外(それ以上)のもの――知への洞察ともいうべきもの――があるからこそ、音楽は「芸術」として社会の中で公認されているのではないのか? 吉田秀和の文章が当時の私を魅了してやまなかったのも、それが単なる「これがいい、あれも楽しい」を超えた何かをいつも指し示してくれたからだったと思う。だから『レコード芸術』における氏の連載に、「之を楽しむ者に如かず」というタイトルがつけられていたことは、少し意外だった。グルメ・ガイド的な俗流音楽批評とは常に一線を画してきた氏が、よりによって「楽しむ者に如かず」?
今回この連載が一冊の本にまとめられ、そこで初めて私はこのタイトルが『論語』の一節であり、しかもそれには前段があることを知った。「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」。「楽しむ」とは単に楽しければいいという話ではない。楽しみの極意とは「知ること」であり、知ることこそが楽しい。そして知ることを通した楽しみが「好むこと」、つまりは音楽を愛することなのだ――このように私はこの題名を理解した。
かつてと変わらず氏の音楽の聴き方は、精緻を極めている。常に「なぜこうなのか」と問い、そう聴こえる理由をピンポイントで衝くまで、筆を置かない。だが何より私がうらやましいと思うのは、心のかすかなひっかかり――例えば「どうしてここでピアニッシモにするんだろう?」といった――を、それが腑に落ちるまで飽くことなく問いを反芻する、その時間のかけ方である。作品であれ演奏であれ、音楽には語りやすいものと語りにくいものとがある。しかもやっかいなことに、言葉で雄弁に語れる音楽が常に感銘をもたらすわけではない。すぐには言葉が浮かんでこないような性質の音楽を論評しなければならないような場合、私などいまだに「何を書こうか」と言葉を探して焦ってしまう。言葉が湧いてくるまでの「行ったり来たり」のプロセスを、吉田氏のように「楽しむ」ということは、意外に難しい。
とはいえ、吉田氏は決していつも時間の流れに、悠然と身を任せているわけではない。この本の面白さのひとつは、読者が予想もしていないところで突然、ぎょっとするような辛らつな表現が飛び出してくる点にある。例えば内田光子が弾くシューベルトの小品。『楽興の時』のような愛らしいミニチュアさえも、恐ろしくシリアスな音楽にしてしまう内田の演奏を、まずは次のように吉田氏は形容する。「よくぞまあ、この小品の中から、こんなものを見つけ、つかみ出して来たものだと感心してしまうような、ある不思議な『深さ』の音楽になっている」。穏当な表現でとりあえず肯定しておくというスタンスである。ところがこれに続く一文で、読者はいきなり不意をつかれる。「『自分でみつけた、深みにはまってしまった音楽』と呼んだら、言いすぎだろうが[後略]」。勝手に音楽の底を深くして溺れかけている――こんな批評をされる側にしたらたまったものではないだろうと思う。音楽の背後の、当人が無意識のうちに隠そうとしているかもしれない自我の核のようなものを、わずか一言で言い当てられてしまうのだから。
もちろん氏はこうした観察を、それ以上先へ展開させることはない。何事もなかったかのように、すぐに筆は悠然としたあの流れに戻る。だが随所で巧みに隠されている、一筋縄ではいかない「一言の凄み」に目を凝らしつつ読むこともまた、本書の醍醐味のはずだ。「之を楽しむ者に如かず」、である。

(おかだ・あけお 京都大学人文科学研究所准教授)

目次

I 之を楽しむ者に如かず
変わるものと変わらないもの
「一九六八年」のできごと
遅い理由、速い理由
演奏家たちの「内的要求」
先進の禮楽におけるは野人なり
モーツァルトとは誰か?
新しいもの、古くなったもの
花は盛りをのみ見るものかは
音楽は、自由な野の鳥
ロストロポーヴィチの証言
ベネズエラからの「楷書」
矢代秋雄とデュティユー
アルゲリッチとレーピンの《クロイツェル・ソナタ》
「声」の音楽
管楽器の名手たち
「今と昔の対話」としてのクラシック
カラヤンのマーラーふたたび
この曲には、そんな読み方も?
「古い音楽」の中の「新しさ」
心の真実の流れのままに――アルゲリッチ
アルゲリッチの『イヴニング・トークス』
新しいショパン――ルイサダ、ピリス、ポリーニ
新しいシューベルト――ヘルムヘン、フォークト
ワルターのモーツァルト、ペライアのベートーヴェン
演奏家と作品との関係
それぞれのバッハ、それぞれのモーツァルト
II 今月のディスク
ピアノでバッハを弾いた人たち
演奏の「違い」について
私たちの「耳、心、頭」
『二〇世紀の偉大なるピアニストたち』より
戦争の傷――フランソワ、リパッティ、モイセヴィッチ
音楽を生きているという実感
カルヴェのベートーヴェン、グルダのシューベルトほか
シェーンベルク――ドイツ音楽の伝統の上に
ハーゲン四重奏団のモーツァルト
グルダのモーツァルト
楷書、草書、行書――リ、内田、ヴァント
クリスマスのJ・S・バッハ
ブリテンの無伴奏チェロ組曲
ケラスの弾くコダーイ《無伴奏チェロ・ソナタ》
『二〇世紀の不滅の大指揮者たち』より
ベートーヴェン《チェロ・ソナタ第三番》――グートマン、ケンプほか
ザンデルリングとドレスデン・シュターツカぺレ
演奏における“自由”について
マーラーの《交響曲第一〇番》
メシアンとシェーンベルク
モーツァルトの《ディヴェルティメント》
ムラヴィンスキーのチャイコフスキー《第五交響曲》
キーシンのシューマン、ユンディ・リのリスト
ヘンデルとモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集
ポリーニのベートーヴェン『ピアノ・ソナタ集』
エマール&アーノンクールのベートーヴェン
ピオーとバンゼのドビュッシー歌曲集
バリトン歌手、バスティアニーニ
クレンペラーとムラヴィンスキーの《田園》
ヘンデルのアリア〈ピアンジェロ〉

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