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極限のクライミングを描く、究極の筆致。『檀』から十年、最新長編作品。

  • 受賞第28回 講談社ノンフィクション賞

沢木耕太郎/著

1,728円(税込)

本の仕様

発売日:2005/09/30

読み仮名 トウ
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 302ページ
ISBN 978-4-10-327512-1
C-CODE 0095
ジャンル 文芸作品、実用・暮らし・スポーツ
定価 1,728円

最強の呼び声高いクライマー・山野井夫妻が挑んだ、ヒマラヤの高峰・ギャチュンカン。雪崩による「一瞬の魔」は、美しい氷壁を死の壁に変えた。宙吊りになった妻の頭上で、生きて帰るために迫られた後戻りできない選択とは――。フィクション・ノンフィクションの枠を超え、圧倒的存在感で屹立する、ある登山の物語。

著者プロフィール

沢木耕太郎 サワキ・コウタロウ

1947年、東京生れ。横浜国大卒業。ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。『若き実力者たち』『敗れざる者たち』等を発表した後、1979年、『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1982年に『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、1985年に『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞を受賞。1986年から刊行が始まった『深夜特急』三部作では、1993年、JTB紀行文学賞を受賞した。ノンフィクションの新たな可能性を追求し続け、1995年、檀一雄未亡人の一人称話法に徹した『檀』を発表、2000年には初の書き下ろし長編小説『血の味』を刊行している。2006年に『凍』で講談社ノンフィクション賞を、2014年に『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞。近年は長編小説『波の音が消えるまで』『春に散る』を刊行。ノンフィクション分野の仕事の集大成として「沢木耕太郎ノンフィクション」が刊行されている。

書評

波 2005年10月号より 『凍』刊行記念・文学の側面から 生きることの、真実の一端  沢木耕太郎『凍』

中村文則

 世界的クライマー、山野井泰史・妙子夫妻の、ヒマラヤの難峰ギャチュンカン(七九五二メートル)への挑戦を描いたノンフィクションである。
まず、クライミング・バムと呼ばれる若者達の生き方に惹かれる。「バム」とは、浮浪者、流れ者を意味する。アルバイトのような仕事で金を貯め、金の続く限りクライミングをし、なくなればまたアルバイトをしてさらにクライミングへと向かう。そのように自分の生き方を純化し、その目的の全てを山(壁)に登るという行為に集中させる人間達。当然のことながら、命の危険に曝される。雪崩、高山病からくる頭痛、目眩、マイナス四十度を超える凍え、指の切断を余儀なくされるほどの凍傷、一瞬の不覚。しかし彼らは身体を鍛え続け、憑かれたように山に登り、登頂を果たすとまた次の山へと向かう。
なぜ彼らは山に登るのか。泰史氏の場合、幼い頃から危険に対する「ある感覚」があったと書かれている。「(ゆっくりと走る貨車を見ながら)もし自分がこの踏切をくぐり抜け、素早く貨車の車輪と車輪のあいだを走り抜ければ、向こう側に渡ることができるタイミングがある。(中略)すごく満足感を得られると思うのに、やはりできないのはどうしてだろう。」このような危険への誘惑と克服への願望は、人間の本能の深淵からくる、生命の声であるのかもしれない。
しかし、彼は無謀なことはしない。登ることのできる可能性が少しでもある山へは挑戦するが、絶対に攻略できない山(たとえば登ることは出来ても、その壁の性質上降りることのできないもの)には登らない。冷静で慎重な意志をもち、無理だと思えば途中で引き返す。危険に挑む感覚も大きいが、泰史氏の「そこに確かな山があるとき、その山を登りたい」という感情や、「頂点に登った瞬間ではなく、頂上直下を登っている自分を想像するとたまらなくなる」という昂揚感、そして妙子氏の、どのような困難に見舞われても「このままずっと山に登っていこう」とする一貫した姿勢からは、純粋にクライミングが好きだという彼らの思いが、実感としてしみじみと伝わってくる。
それにしても、山野井夫妻のギャチュンカンへのクライミングは、壮絶極まるものだ。天候の突然の悪化で雪崩に遭い、低酸素で目が見えず、肉体も精神も限界の境目を越えていく。「指がカチカチに凍っていく。感覚を取り戻そうと、口に含んで歯で噛む。それでも感覚が戻らないので、岩に手を打ちつける。(中略)一本のハーケンやアイススクリューを打つのに一時間はかかったろうか。四本で四、五時間はかかることになる。一本打つたびに指が一本ずつだめになっていくような気がした。左の小指、左の中指、右の小指、右の中指……(中略)『ああ、心臓が止まる、止まる……』」
妙子氏がロープで五十メートル以上落下し、生きているか死んでいるかわからない状況でも、泰史氏の意識は、冷静に彼女の生死を判断しようとし、ロープをどうするか、これからどう動くかを考え続ける。それでもこのシーンが少しの違和感もなく、冷酷にも思えないのは、彼ら夫婦の希有な絆が、しっかりと全般にわたって書き込まれているからだ。彼らは、死をも超越したような高みで繋がっているように思う。愛などという言葉で簡単には語れない、クライミングという常に死に対峙する行為に精通した同士の、二人の間でしかわからない独特な感覚がある。
一連の息を呑むシーンを読み進みながら、クライミングとは、生物としての人間の、全てを使い切るものなのだと感じた。肉体の中枢から指先までの全神経、少ない酸素を取り入れるための肺から、劣悪な環境で栄養を取るための消化器官、精神、視界を失った時の聴覚に至るまで、自らの全てを総動員し、常に死を意識しながら危険を克服し、頂きへと向かっていく。生きる行為が凝縮したようなその格闘の描写は、読むものを引き込み、圧倒していく。
まだ読んでいない人のために結末は言えないが、読み終えた時、これはクライミングの独特の魅力や壮絶さを通して、生きることの真実の一端を描き切ったものだと思った。泰史氏もさることながら、妙子氏の人柄の描写がいい。彼ら夫婦の日常生活も、とても魅力的に描かれている。
挑んでいく魂と人の温かみを描いた、人間ドラマの秀逸な記録である。

(なかむら・ふみのり 作家)


【書評】ギャチュンカンからの生還(神長幹雄)

判型違い(文庫)

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