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史上もっとも饒舌な「三歳児」――選考会を震撼させた、純文学恐怖作(ホラー)。

  • 受賞第149回 芥川龍之介賞

爪と目

藤野可織/著

1,296円(税込)

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発売日:2013/07/26

読み仮名 ツメトメ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 126ページ
ISBN 978-4-10-334511-4
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,296円

「あなた」は目が悪かったので父とは眼科で出会った。やがて「わたし」とも出会う。その前からずっと、「わたし」は「あなた」のすべてを見ている――。三歳の娘と義母。父。喪われた実母――家族には少し足りない集団に横たわる嫌悪と快感を、巧緻を極めた「語り」の技法で浮かび上がらせた、美しき恐怖作(ホラー)。

著者プロフィール

藤野可織 フジノ・カオリ

1980(昭和55)年京都市生れ。同志社大学大学院美学および芸術学専攻博士課程前期修了。2006(平成18)年、「いやしい鳥」で文學界新人賞受賞。2013年「爪と目」で芥川賞受賞。他に『パトロネ』『おはなしして子ちゃん』『ファイナルガール』などがある。

書評

波 2013年9月号より 【藤野可織『爪と目』刊行記念特集】 あなたに語っている

大澤信亮

一度読み始めると、先がどうなるのか気になって、結局最後まで読まされてしまう。この読感はエンターテインメントに近い。しかし、そこには確かに、文学とでも呼ぶしかない感覚が存在している。永遠に続きそうでもあり、一瞬で壊れてしまう私たちの日々を、ただ感動で慰労激励するのではなく、そんな生活の根源自体を見ようとする、意志のことだ。
たとえば、藤野可織氏はデビュー以来、恐怖について書いてきた。鳥人間と格闘する男(「いやしい鳥」)、巨大恐竜に呑み込まれた母(「溶けない」)、自分が幽霊であることに気づけない女(「パトロネ」)、美術館に棲んでいる双子の悪魔(「いけにえ」)……。こう並べると荒唐無稽だが、いずれも舞台は日常の空間であり、そこに書かれた恐怖はすべて、私たち自身に関係している。ただし、善良で平凡に生きている私たちがある日突然襲われる、「日常に潜む恐怖」ではない。
生きていることが怖い。見なれたものを凝視するとき、人は、自分自身の不気味さに気づく。現実を含まないどんな空想もなく、空想を含まないどんな現実もない。両者を峻別することで私たちは生きている。だが、藤野氏が繰り返し書くのは、空想と現実が区別される手前の感覚、人間が異物に遭遇した瞬間に襲われる、生理的な恐怖である。さらに言うなら、その異物を殺して平然と生きる、人間への恐怖だ。
本書の表題作であり、第一四九回芥川賞を受賞した「爪と目」は、そんな「純文学ホラー」の確立を記念している。
冒頭はこう始まる。〈はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った〉。こう語る一人称の〈わたし〉は三歳の女児。三歳児がこんな風に見ているはずがないとか、一人称小説のルールを破っているとか、その種の「常識」的な思い込みは捨てよう。そういう決めつけこそが、私たちの視力を奪うからだ。言葉を習得する前の自分が、何をどう見ていたのか、今となってはもう誰も思い出せない。ならば、私たちに出来る努力は、異物の見ているものを想像し、その声を聞こうとすることだけだ。
気の向くまま父と不倫を重ね、やがて母の死をきっかけに家に転がり込んできた〈あなた〉に、〈わたし〉はずっと語りかけているのだが、その声は〈あなた〉に届かない。当時は言葉にできなかったからだ。しかし、それだけではなく、そもそも〈あなた〉は、人の話を聞く気がない。見たいものしか見ない。だから何も恐れない。〈恐怖はつるつるとあなたの表面を滑っていった〉。それに苛立つように〈わたし〉は自傷的に爪を噛む。黙々と菓子を食べ、丸々と太っていく。
この「見ないこと」が作品の根底を支配している。
「あんたもちょっと目をつぶってみればいいんだ。かんたんなことさ。どんなひどいことも、すぐに消え失せるから」
これは作中で登場する〈架空の独裁国家を舞台にした幻想小説〉の一節だ。こう語った独裁者は無数の人々を思うまま殺した。彼は〈見ないことにかけては超一流の腕前〉で、革命が起き、自分が民衆に殺される瞬間さえ、自分の見たいもの以外は絶対に見ようとしなかった。この男は、夫の不義を見て見ないようにしている自分に耐えられず、死んでしまった〈わたし〉の母すら見ようとしない、父を思わせる。
この独裁者の言葉を読んだとき、ただ一度だけ、あなたはなにかを考えようとしていた。わたしはあなたに目があることを自覚させたかった。見ないことが前提で出会ってしまったあなたたちを何とかしたかった。それで、古本屋の男があなたからコンタクトを奪ったように、あなたの両目に、爪から剥がしたマニキュアの薄片を突き刺した。でも、そんなことより、あなたを立ち止まらせたのは、文字だった。引っ掻き傷のような装丁の、カバーに爪の跡がある、あの本だ。
爪と目の起源は今から五億四千三百万年前のカンブリア紀に遡るらしい。最初に光を手に入れた軟体生物は、未だ目を持たない他生物を一方的に食べた。虐殺から身を守るために彼らは全身を硬い鱗で覆った。やがて鱗は棘状の武器へと進化する。それは爪となり、刻まれた爪跡は時代を超えて、文字となり、本となって、今も「目」との争いを繰り広げているが、それでも、あなたとわたしの区別を超える、その太初の目の先にあったはずの光景を、わたしは信じている。

(おおさわ・のぶあき 批評家)

[→][藤野可織『爪と目』刊行記念特集インタビュー]藤野可織/正確に書くこと

目次

爪と目
しょう子さんが忘れていること
ちびっこ広場

インタビュー/対談/エッセイ

波 2013年9月号より [藤野可織『爪と目』刊行記念特集インタビュー] 正確に書くこと

藤野可織

書き終える一年ほど前、六割くらいまで書き進めた「爪と目」を編集者にお渡ししました。
始まりと最後のシーンは、こういう光景を書きたいというものが最初からありました。終わりに向かってどういう風に進んでいくのかもある程度決めていました。ここから出発してこういう道を通りここで着地する、といったストーリーのようなものは、最初の原稿をお渡しした頃から変わっていません。
最初は三人称で書いていたのですが、最後まで書き進めることができませんでした。なにか違う、という思いがずっと消えなかったからです。章ごとに視点が入れ替わっていくやり方で書いたり、一人称で書いたり、文章の手触りをいろいろと変えてみたりと、冒頭から何度も書き直していたのですが、途中でかならず前に進むことができなくなりました。違う小説を書くときは、途中まで書いてある「爪と目」を放置し、時間ができたらまた戻って書き直してまた止まって、を繰り返していました。
それが、いまのかたち、「わたし」が「あなた」について語っていくという書き方で直し始めたところ、最後のシーンまで進むことができました。言葉にするのは難しいのですが、「時間の幅」のようなものを小説のなかに作り出せたというのが、書き上げることのできた理由のひとつなのかもしれません。過去、現在、未来と、幅のある時間軸を自由にいったりきたりするのに、いまの書き方がしっくりきて、「わたし」と「あなた」の関係性が描きやすくなりました。
平凡さが突き抜けすぎているために、作中の「あなた」のことが非凡な人間のように感じられるかもしれませんが、「爪と目」は平凡な女性の平凡さを描きたいと思って書きました。違ういいかたをするならば、鈍感で傷つかない人を描きたいと思って書いた小説です。
これまでも、傷つかない人、鈍感な人に注目してきました。小説にも書いてきました。小説の登場人物としては、傷つきやすくて繊細で、感受性が豊かで、というような性質を持っている人の方が、取り上げられがちなように思います。そういうタイプの人のなかにも、鈍感さや雑な部分があるはずです。雑な部分があるからこそ、人間は生き続けることができるのではないかとも考えています。
登場人物の性格やふるまいについて、良い悪いといった判断をしないように心がけています。鈍感で傷つきにくい人間を書くからといって、鈍感であれとみなさんに推奨しているわけではなく、どんな人にもそういう一面があるということを、価値判断を交えず、観察者として記録していきたいと願っているからです。人間の持っているいろいろな感情、性質、なかには、自分がそういうものを持っていると認めたり受け入れたりすることが難しいものもあるかもしれません。それらをすべて、ただそこにあるものとして書いていきたいと思っています。
わたしの頭の中で起こった出来事を、正確に文字に書き写す。情報を正確に伝達することを重視し、観察したものを記録しているような方法で小説を作る。このやり方は、大学院で論文の書き方を学んだときに、「正確に記述しなければいけない」とたたき込まれて以来、体に染みこんでいます。
もちろん頭の中で起こっている出来事は、自分で作り出しているわけですから、体験したことや読んだ本、マンガ、観た映画、音楽など、わたしを通過していったいろいろなものに影響を受けていることは間違いありません。しかし、それを文字にするときには、観察者に徹して、正確さを追求したいと思っています。
いつも、自分は正確に書けているだろうかと不安になります。次に書くだろう小説のことを想像すると、その小説はきっと完璧だ! 面白い! と有頂天になることもあるのですが、書き始めた瞬間に、自分が正確に書けているかどうかが心配になり厭にもなります。そして、書き始めたその小説のことではなく、次に書くことになる小説のことを考え、完璧だ! と思うのです。そうやって少しずつ、前に進んでいきたいと思っています。

(ふじの・かおり 作家)

[→]【藤野可織『爪と目』刊行記念特集】大澤信亮/あなたに語っている

判型違い(文庫)

芥川賞受賞記念インタビュー

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