ホーム > 書籍詳細:「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―

幸せとは、自分の運命を受け容れること――。

「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―

末盛千枝子/著

1,728円(税込)

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発売日:2016/03/28

読み仮名 ワタシヲウケイレテイキルチチトハハノムスメ
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 287ページ
ISBN 978-4-10-340021-9
C-CODE 0095
ジャンル エッセー・随筆、ノンフィクション
定価 1,728円
電子書籍 価格 1,382円
電子書籍 配信開始日 2016/09/16

彫刻家・舟越保武の長女に生まれ、本当に美しいものとは何かを教えられた幼少期。皇后様のご講演録『橋をかける』を出版した絵本編集者時代。戦争や貧しさ、息子の難病に夫の突然死、会社の倒産。そして、故郷岩手での東日本大震災……何があっても、「私」という人生から逃げずに前を向く著者の、波乱に満ちた自伝的エッセイ。

著者プロフィール

末盛千枝子 スエモリ・チエコ

1941年東京生まれ。父は彫刻家の舟越保武で、高村光太郎によって「千枝子」と名付けられる。慶應義塾大学卒業後、絵本の出版社である至光社で働く。1986年には絵本『あさ One morning』(G.C.PRESS刊行)でボローニャ国際児童図書展グランプリを受賞、ニューヨーク・タイムズ年間最優秀絵本にも選ばれた。1988年に株式会社すえもりブックスを立ち上げ、独立。まど・みちおの詩を皇后様が選・英訳された『どうぶつたち THE ANIMALS』や、皇后様のご講演をまとめた『橋をかける 子供時代の読書の思い出』など、話題作を次々に出版。2010年から岩手県八幡平市に移住し、その地で東日本大震災に遭う。現在は、被災した子どもたちに絵本を届ける「3.11絵本プロジェクトいわて」の代表を務めている。

書評

朝ドラのヒロインのような人生波

中江有里

 以前テレビの取材で、末盛さんの弟さんで彫刻家の舟越桂さんにお会いしたことがあります。世田谷のアトリエにお邪魔してインタビューさせて頂いたのですが、その時はご家族のお話は伺わなかったので、皇后様のご講演録『橋をかける』を手がけられた名編集者である末盛さんが、このように波乱に満ちた人生を送られているとは、全く知りませんでした。四十二歳のとき最初の旦那さんを突然亡くされたこと、ご長男の難病と障害、再婚相手の方の介護と看取り、経営していた出版社「すえもりブックス」の閉鎖、そして岩手に移住した直後の東日本大震災……。お写真を拝見すると、とても品がありお優しそうでいらっしゃって、苦労や不幸をまったく感じさせない佇まいに驚くのですが、自伝的エッセイである本書を読み、その理由が分かったような気がします。
 末盛さんは、一九四一年に彫刻家・舟越保武さんの長女として生まれ、高村光太郎によって「千枝子」と名付けられました。「女の名前は智恵子しか思い浮かばないけれど、智恵子のような悲しい人生になってはいけないので字だけは変えましょうね」と高村さんは言われたそうです。その時点でもう、ある種の「運命」を感じてしまうのですが、彫刻だけで家族八人が食べていくことには、大変な困難が伴いました。そんな貧しさのなか、ひたむきに芸術と向き合うお父様と、お父様のことを尊敬し支え続けたお母様の生き様は、「本当に美しいものは何か」といったことや、生きる上での「覚悟」を末盛さんに教えたのだと思います。お金はなかったかもしれませんが、六人の子供たちはとても自由にそれぞれの生き方を選び取っていて――桂さんが苦労を承知の上で、お父様と同じ彫刻家という職業を選んでいるくらいですから。
 また、「信仰」も末盛さんの人生を語る上で欠かせないものです。末盛さんが小学校四年生のとき、八カ月で亡くなった弟さんの死をきっかけに、ご家族全員でカトリックの洗礼を受けました。外国人神父さまとの交流など、日本に暮らしながら「日本的でないもの」に幼い頃から触れてきたことで、この世界には様々な価値観が存在することを、自然と教えられたのでしょう。その中でも、大学時代にある神父さまから、「愛はすすめではなく、掟です」と言われたというエピソードは、その後の末盛さんの人生を示唆するようでもあり、かなり印象的でした。つまりは、最初の旦那さんの突然死といった、愛するがゆえに苦しみが与えられてしまう出来事があったとしても、愛を憎むことなく受け容れるのだということで、厳しい教えでありながら、「私にとってすべての始まりだった」と末盛さんは書かれています。
 空腹だからご飯が美味しく食べられるのと同じで、困難があるからこそ、幸せを感じることができる――末盛さんの人生を拝読して、何より強く感じたことです。そんな末盛さんを支えたものの一つに、忘れられない「ある光景」があったということに、私は非常に共感を覚えました。二十代半ば頃、末盛さんが初めてヨーロッパを旅され、スイスのアルプスに登られたときのこと。五十ドルもする登山鉄道に意を決して乗り込んだものの、すぐに土砂降りになってしまった。しかし頂上に近づくにつれて辺りは明るくなり、光り輝くアルプスの峰々を眺めることができた……そんな「奇跡」のような出来事なのですが、私自身も、旅行や撮影で、思いがけない瞬間に思いがけないほど美しい景色に出会ったことがあるので、その時の、言葉にできないほどの感動――天候といった自分ではどうにもできないことだからこそ強く心を打たれるし、まるでご褒美をもらったかのような、何かに守られているような確信めいた気持ちになるということが、本当によく分かります。それに、自分自身の存在を肯定されているようにさえ思えるのです。「信じること、希望し続けることという意味で、この光景は、私の人生の北極星のようなものになった」とあり、末盛さんの生き方の神髄を感じました。
 他にも、皇后様との友情や絵本編集者としての仕事など、常に前を向き生きるその姿には、読んでいる人の心を揺さぶり、励ます力があります。まるでNHKの朝ドラの主人公のように、この世界を肯定し続ける女性の「物語」に、今の時代だからこそ、一人でも多くの人に出会ってもらいたいです。
(談)

(なかえ・ゆり 女優、作家)
波 2016年4月号より

目次

人生は生きるに値する――まえがきにかえて
千枝子という名前
卒業五十年
父の葉書
母、その師その友、そして家族
IBBYと私
私たちの幸せ――皇后様のこと
最初の夫、末盛憲彦のこと
絵本のこと、ブックフェアのこと
再婚しないはずだったのに
逝きし君ら
出会いの痕跡

インタビュー/対談/エッセイ

[末盛千枝子『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―』刊行特別対談]
困難から逃げずに生きるとは

国谷裕子末盛千枝子

3月発売以来多くの読者に勇気づけている自伝について、末盛さんに語り尽くしてもらいました。お相手はあの……!!

末盛 お会いするのは初めてですがテレビで毎日拝見していたので、初めての気がしません。この三月に長年続けてこられた「クローズアップ現代」が終わり、だいぶ生活が変わったのではないですか?
国谷 週四日の生放送はなくなったのですが、忙しさはあまり変わっていません。でも、これまでご提案頂いてもスケジュール的になかなかお引き受けできなかったこと――こういった対談もそうですが、色々な方々とお会いする機会を頂けて、毎日楽しく過ごしています。
末盛 私なんて、国谷さんが司会でなくなってからは、もう番組を見なくなってしまったくらい、国谷さんのファンです。
国谷 いえいえ、そんな……ありがとうございます。私もお目にかかれて嬉しいです。末盛さんの自伝的エッセイ『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―』を拝読し、その波乱に満ちた人生にとても驚きました。ご自身の出版社「すえもりブックス」で皇后様のご講演録『橋をかける』をはじめ、美しい本や絵本を多く手掛けられたり、IBBY(国際児童図書評議会)の国際理事としてもご活躍されていたその陰で、数々の困難や悲しみを乗り越え続けていらしたとは、存じ上げませんでした。その強さの礎がどんなものなのか、今日はぜひお聞きしたいです。
末盛 よろしくお願いします。
国谷 NHKのディレクターだった最初のご主人、末盛憲彦さんを亡くされたのが、四十二歳のときですね。二人の息子さんは八歳と六歳という幼さで。
末盛 そうです。ある日突然、自宅の廊下で倒れ、そのまま意識が戻りませんでした。あっという間の出来事で……。
国谷 オムツにアイロンをかけるくらい息子さんたちを可愛がり、優しく、末盛さんのことも大切にされていた方だったわけですが、そんな日々が急に断ち切られてしまった時の気持ちは、どのようなものだったのでしょうか。
末盛 とにかく後悔しかありませんでした。周りに気を遣い、優しくし過ぎたせいではないかと、自分を責める思いです。それでもなんとか正気でいられたのは、父と母、妹や弟たち、そして多くの友人の助けがあってこそでした。
国谷 告別式の前の晩に、彫刻家であるお父さま、舟越保武さんが息子さんたちにむけて書いて下さったお手紙がご本の中に引用されていましたが、思いやりに溢れる素晴らしい文面ですね。
末盛 私たち子どもにはとても厳しい人でしたが、孫にはとても優しい“良いおじいちゃん”だったんです。幼い息子たちが手紙の中身をどこまで理解できたかは分かりませんが、私にとっても大きな救いとなるものでした。
国谷 その冬はずっと彼のセーターを着て過ごした、という描写には泣きました。
末盛 クリーニングに出していた洋服が戻ってくると、ビニール袋に入っているのに彼の匂いがしてきて……。そういった日々の小さな出来事に落ち込むこともありました。それに驚いたことに、彼の荷物を片付けていたら、大量のポルノグラフィーが出てきたの。
国谷 えー! 優しく穏やかなご主人にそんな一面があったとは……。
末盛 仲間の間では有名だったらしく「スエさんのあの宝物、どうしました?」と何人もの人から聞かれました。「処分しました」と言うと「もったいない!」ってみんながっかりして(笑)。男の人ってみなこうなのかと。私が知っていた「あの人」は誰だったんだろうと戸惑う気持ちもあったけれど、たち上った“埃”がやがて収まったら、私が男の子たちを育てていくために知っているべきことだと受け入れられるようになりました。

残された者の責任

国谷 その後すぐ、出版のお仕事を始められるのですよね?
末盛 仕事を再開することは夫が亡くなる前から決まっていて、それはとても幸運でした。経済的なことはもちろんですが、社会と関わっている姿を息子たちに見せていたい気持ちもあったので。
国谷 東北の震災や熊本の地震など、突然大事な人を失うケースが最近多いですが、そんな方々の悲しみに、末盛さんのこのご本は、心から寄り添うものだと感じました。最後の章に書かれている、〈誰かの死にあって辛いのは、その人なしで世界が、身の回りが、どんどん生きて変化していってしまうことではないだろうか。季節の移り変わりさえもが、悲しむ人にとっては悲しいのではないだろうか。〉との言葉は、末盛さんだからこそお書きになれるものだと思います。愛する人を亡くした人にとっては、変わっていくことそれ自体が悲しい――当事者でないとなかなか分かりません。
末盛 自宅がNHKの近所だったので、前を通る度に新番組を伝える看板を見ることも多く、「新しい放送機器を導入しました」なんてお知らせを見る度に、ああ、彼が知らない機器がまた使われ始めるんだ、可哀想にと切実に思ったものです。
国谷 それでも、悲しみに打ちひしがれることなく前を向けたのは、なぜなのでしょう。
末盛 二十代半ば、結婚を考え始めていた男性が事故死してしまったことがありました。その時、知り合いのおばあさまから、「世界中にあなたと同じ境遇の人がたくさんいるのだから、その人たちのために祈りなさい」とまっすぐな目で言われたんです。忘れられない衝撃でした。その方自身も若い時に未亡人になられていて、尚のこと説得力があり、「大変なのは自分だけじゃない」と考えられるだけの想像力を与えて頂いたのだと思います。
国谷 そんなお若い時にも、大切な人を亡くされていたのですね……。
末盛 大学時代の仲間だったのですが、とても優秀な人で、ある新聞の記者でした。亡くなった翌晩私の夢に現れて「僕はあのとき死んだのか」と聞いてくるので、「そうよ」と答えると、本当にがっかりした顔で、とぼとぼと向こう側に歩いて行ってしまい……。一日で髪の毛は真っ白に変わっていて、可哀想でたまりませんでした。夢や希望を抱いていた彼の無念さを思うと、この世でまだ時間を与えられている者の責任を考えずにはいられなかった。私はあの人に恥ずかしくなく生きているかと思い続けてきたことが、結局は私自身を支えてくれたのかもしれません。
国谷 お父さまとお母さまの存在もとても大きなものだったのではないでしょうか。ご本のサブタイトルにあるように、あの・・・「父と母の娘」であったからこそ、末盛さんが末盛さんであり得た、と私は感じます。お父さまのことを表した、〈貧しいなかでも、生きていく上で、どのようなことを良しとするか、人生で美しいとはどのようなことかを、厳しく教えられた。〉とは、具体的にどんなことなのでしょうか。……と、質問攻めで恐縮なのですが、私はとにかく、末盛さんがなぜこれほどまでにお強くいらっしゃれるのかを知りたいです。
末盛 名インタビューアーでいらっしゃるから、私もつい色々と話してしまいます(笑)。父のことですが、多くの芸術家がそうであるように、父も彫刻家として経済的に報われない時代が長くありました。そんな境遇において、来る日も来る日も懸命に鑿を振るい、自分が大切だと信じるテーマを追求し続ける姿には、娘ながらに崇高さを感じていました。社会に対して背水の陣を敷いているようなところもあって、途中で芸術の道を諦めてしまう仲間には、厳しかったと思います。
国谷 お父さまの生き方や価値観は、末盛さんの心の奥深くに刷り込まれていったのですね。目に見えないものへの憧れ、とも言えるのではないでしょうか。
末盛 その通りです。小さい頃から、特に美しい言葉に惹かれ続けています。
国谷 厳しいお父さまに対して、お母さまは明るく前向きな方だったようですね。
末盛 母は主婦業をあまり得意としませんでしたが、とにかく自由で積極的な性格の人でした。何があっても「大丈夫よ」といつも励ましてくれて、私はその「大丈夫よ」に何度も救われました。
国谷 高校野球のピッチャーがどんなピンチでも、一人でマウンドを守っている姿に感動されていたそうですね。どんなに大変なことが起きても、一人で立ち向かうしかないのだ、と。
末盛 それを子どもたちに求められても困るんですけどねぇ……。私もできれば楽をしたかったですし(笑)。
国谷 そのDNAはしっかりと末盛さんに受け継がれていると思いますよ(笑)。
末盛 国谷さんのご家族はどのような方だったのですか?
国谷 私の父は登山が好きで、毎年夏休みには家族全員で泊りがけの山登りに出かけていました。私は三姉妹なので父以外全員女性なのですが、富士山や北岳など、三千メートル超の山に小学生の頃から挑戦させられて。屈強な山男たちと雑魚寝で山小屋に泊まらないといけないですし、とにかく苦しくて、ブーブーと不満を言いながら登りました。下山したらステーキを食べさせてあげるからという言葉につられて、ですが(笑)。
末盛 それは素敵なことですね。家族全員で、というのがまた素晴らしい。
国谷 今考えると、父は、とにかく一歩一歩、コツコツと登っていくことの大切さを教えたかったのかもしれません。

喪失から自分を取り戻すために

国谷 憲彦さんを亡くされてからも、それこそ末盛さんの人生には、登らなくてはならない「山」が次々と現れます。ご長男が一歳の時、難病と診断され、二十代半ばにはスポーツの事故で下半身不随になられました。再婚された方の介護もあり、車椅子の家族を二人抱えて暮らすことは、並大抵の精神力ではできないことでしょう。どうして自分だけがこんな試練を受けなければならないのか……と、運命を責める気持ちになってもおかしくないはずです。他にどんなことが末盛さんを支えたのでしょうか。
末盛 仕事をもっていたことは大きかったように思います。「一生に一冊でもいいから、これぞという絵本を作りたい」との想いから始めた絵本編集者という仕事を、自分の会社まで起ち上げて長い間続けてこられたのは、幸せなことでした。
国谷 皇后様のご本を作られた時など、一日に三回も御所にいらっしゃる日があったんですよね。皇后様のこだわりの全てを受け止められた。
末盛 単に怖いもの知らずだったのです。それに可笑しいこともたくさんあって、発売後に紀伊國屋書店新宿店の店長さんが、「美智子様に一階でサイン会をやって頂きたい」なんて言い出したり。
国谷 冗談ではなくて?
末盛 本気でおっしゃるの(笑)。あまりにも突飛な発想に大笑いしてしまいました。それに、自分の会社ですから、すべてが自分の裁量で決められます。会議もなく、何事も即断即決できました。
国谷 それは羨ましい……!(笑) ご本の中に引用されていましたが、憲彦さんが亡くなられた際、妹さんの旦那さんでベルギー人のジャンさんが書かれたお手紙は、非常に印象的でした。
〈あなたの人生はもう決して今までと同じということはあり得ません。(略)この失われたものは永遠に失われたままです。〉〈今いちばんいいのは、一生けんめい働くことです。(略)何かを忘れるためにというようなことではなく、責任ある仕事をするということは、どんなに気落ちした状態に対してでも一番効果があります。〉〈あなたがこれから先、新しい力を見出し、自分の周りのあらゆることについて、はっきりとした判断と答えを見出していくのは、他の誰にでもなく、自分自身の中にです。〉
 悲しみの真っただ中にいる人に、ここまで強く背中を押す言葉をかけることは、少し怖いことでもあります。失われたものは失われたままだ、と退路を断ちきられるわけで、その瞬間は受け止めきれないところもあったのではないですか?
末盛 そうですね、日本人のメンタリティーにはなかなかない発想かもしれません。でも同時に、壊れそうな心を奮い立たせてくれる強い愛情も感じて、以後も、この手紙には勇気をもらい続けました。このような「助け」を与えられてきたからこそ、なんとかやってこられたんだと、改めて思います。
 国谷さんも、「クローズアップ現代」を二十三年間も続けてこられて、様々なご苦労があったのではないですか?
国谷 私の場合、そもそも成り行きでキャスターという仕事を始めたんです。誰も見ていないようなBS放送の番組から始めて、一年足らずで、地上波の数百万人の方が見る番組に抜擢して頂きました。でも、その番組では思うような働きが全くできず、すぐに降板となってしまい……。こんなはずじゃない、恥ずかしい――そんな悔しさを抱えたまま、またBSの方に戻りました。それが三十歳を少し過ぎた頃です。
末盛 そんな経緯があったとは……全然知りませんでした。
国谷 それからは、来るもの拒まず、どんな仕事にも本気で取り組みました。天安門事件やベルリンの壁崩壊など、時代がちょうど劇的に変化していくタイミングに様々な経験を積めたことは、本当に幸運でした。歴史が私にチャンスを与えてくれたのだと。こうしているうちに、「クローズアップ現代」のお話を頂いたんです。自分自身を見返す絶好の機会だと、有難く引き受けました。
末盛 立派に立ち直られたのですね。
国谷 いいえ、そんなことは決してなく、放送というものの恐ろしさを嫌と言うほど痛感していたので、自分の中での折り合いがつけられたのは、だいぶ後になってからのことでした。
末盛 失った自信を自分の手で取り戻すため努力を続けられたその力が、国谷さんの二十三年間を支えたのですね。

人生は生きるに値する

国谷 二〇一〇年に「すえもりブックス」を閉鎖された後、末盛さんはお父さまの故郷である岩手に移住され、直後に東日本大震災にあわれました。またしても大きな困難が……と、私だったら心が折れてしまいそうですが、末盛さんはすぐさま、被災地の子どもたちに絵本を届ける「3・11絵本プロジェクトいわて」を起ち上げられました。
末盛 八歳と六歳で父親を亡くした、かつての息子たちのことが思い出されたのです。いまこの瞬間、同じ思いをしている子どもたちに、あなたたちのことを考えている人間がいますよ、と一刻も早く伝えたかった。
国谷 あっという間に二十万冊を超える絵本が集まったんですね。末盛さんの気持ちが多くの人の心を動かしたのでしょう。それで思い出したのが、東大の玄田有史さんたちが研究されている「希望学」です。どんなときに希望が生まれるかを岩手県の釜石市で調査されたところ、希望の実現に向けて邁進する人ほど、過去に厳しい挫折体験をもっているということがわかったといいます。また、希望の灯をともし続ける人々は、苦しかった体験を自分なりに見つめ直し、それを他者に語りかける力も持ちあわせている、とも。末盛さんの生き方と、非常にマッチしていると思いました。
末盛 確かにそうかもしれませんね。これまでの人生、様々に大変なことがありましたが、不思議と不幸ではなかったと自分では感じているので、そのことを少しでも伝えられたらという気持ちがいつもどこかにあるのだと思います。
国谷 若い時は〈困難な道を迂回しようと思っていた〉けれど、色々な出来事を経て〈やっとここまでたどり着いた〉とまえがきに書かれています。七十五歳になられた今、どこにたどり着かれたと感じていらっしゃいますか?
末盛 少し照れくさいですが、迂回して逃げない人生こそ、生きるに値する――と断言できる境地……かしら。大変なこともあったけど、楽しいこともたくさんあったと心から喜べるのは、困難から逃げなかったからだと今感じています。
国谷 素晴らしいことですね。誰しも、困難な道は迂回しようともがくものですから。先ほど、お父さまは社会に背水の陣で臨んでいらっしゃったとのお話がありました。末盛さんがたどり着いた境地は、お父さまと同じ様に人生に向き合ってこられたから、ということではないでしょうか。
末盛 考えたこともありませんでしたが、確かにその通りですね。母だけでなく、父のDNAもしっかり受け継いでいるのでしょう(笑)。

(くにや・ひろこ キャスター)
(すえもり・ちえこ 絵本編集者(3.11絵本プロジェクトいわて代表))
波 2016年7月号より

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