ホーム > 書籍詳細:一〇〇万回言っても、言い足りないけど―ジャーナリスト竹田圭吾を見送って―

働き盛り、51歳。
夫は、1通の手紙を遺して逝った――。

一〇〇万回言っても、言い足りないけど―ジャーナリスト竹田圭吾を見送って―

竹田裕子/著

1,296円(税込)

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発売日:2016/12/16

読み仮名 ヒャクマンカイイッテモイイタリナイケドジャーナリストタケダケイゴヲミオクッテ
雑誌から生まれた本 新潮45から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 175ページ
ISBN 978-4-10-350591-4
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 1,296円
電子書籍 価格 1,037円
電子書籍 配信開始日 2017/06/02

テレビ、ラジオ番組の名コメントで知られたジャーナリスト竹田圭吾は、膵臓がんと診断を受けてからわずか2年3か月、51歳で亡くなった。思いがけない告知、急を要した手術と治療、そしてテレビ出演中の病名の公表。妻は、死の6日前まで強固な意志で仕事に臨む夫を支え続けた。最期の日々を綴った感動の手記。

著者プロフィール

竹田裕子 タケダ・ユウコ

1963年東京都生まれ。1987年関西学院大学卒業後、アメリカンフットボール専門誌「タッチダウン」勤務。1992年、同誌編集部に勤務していた竹田圭吾氏と結婚。

目次

まえがき
第一章 「がん」という言葉は使わない
即入院/驚くほど良い情報がない/第一関門クリア/子どもたちに/二回目の入院/九時間かかった手術/早かった回復
第二章 竹田君、あなたが心配です
「山」の風情ふぜいの同期/活字中毒/「ローズボウル」の取材で渡米/ここが私の出番?/自宅に届いた手紙/ちょっとつらかったデート/待ち合わせは本屋/結婚/社長を驚かせた「紹介」
第三章 ジャーナリストへの道
「ニューズウィーク日本版」へ/転職前の米東海岸旅行/手帳に記された決意/忘れられない一九九五年/初めての出産と「事件」/上司として/あらたな挑戦へ/「竹田圭吾流」コメントの誕生/楽しんでいた地方の仕事/本来はラジオ向き?
第四章 「NO」と言わないお父さん
一番厳しい面接官/デレデレの新米パパ時代/息子との仲間意識/もうオレよりいろんなこと知ってるよ/ここからは父親の出番/教育への熱意/教育委員に
第五章 まだ打つ手はある
前と変わりない生活をする/術後半年を無事すぎて/前倒し検査でわかった再発/二人の時間/京都の雪景色/薬が効くといいな/ふたたび京都へ/手を合わせた夏の旅
第六章 がんは「闘う」ものではない
番組での公表/それぞれの「孤独」/がんは「襲われて」「闘う」ものではない/副作用がつらい/重要な検査結果/来年も出たいなぁ/冷静に記されたメモ
第七章 ニューオリンズへ
何日いても飽きない街/車イスはどこへ/四人で観ないと意味がない
最終章 一通の手紙
娘特製すりおろしりんご/悲しい「もういいや」/スポンジ「口撃」/「おれは帰れないの?」/真夜中の「せーの」/握り返した息子の手/シュガーボウルのTシャツを着て/あのときの手紙
あとがき

インタビュー/対談/エッセイ

エビデンスを重んじる「男の子」だった竹田圭吾の素顔

山本一郎竹田裕子

山本 六年前に取材でご一緒して以来、竹田圭吾さんとおつきあいさせていただきました。早いもので、亡くなられてから、一年になりますね。
竹田 主人の方が年上だったこともあり、上から目線でいろいろと申し上げたのではないかと思います。
山本 竹田さんは普段はテレビでコメントされているときのように穏やかですが、突然「そこか!」と驚くようなポイントで怒り出しますよね。「黒ひげ危機一発」みたいなスリルがあって、思わぬところで、お叱りを受けることもありました(笑)。
竹田 それは本当に申し訳ありませんでした! 確かにちょっと変わったツボがある人でした。

知られざる家庭での姿

山本 竹田さんは、プライベートについてはいっさい話しませんでした。『一〇〇万回言っても、言い足りないけど―ジャーナリスト竹田圭吾を見送って―』にはご家族への情愛が描かれていました。初めて知ったのですが、ご家庭にずいぶん時間を割く、「いいお父さん」だったのですね。

 ここ一番というときは、家族の中でも父親というよりジャーナリストの顔を見せることもあった圭吾さんだが、基本的には子どもに対しては「NOと言わないお父さん」だった。(本書89頁)

竹田 二人の子どものことは本当に大切にしていました。母親の私とは違い、父親として少し距離を置いて見守っていたようです。
山本 作品のなかで書かれていましたが、やはり息子さんの反抗期は大変でしたか。
竹田 はい。息子が何を考えているのかまったく分からず頭に血が上りがちな私の傍らで、圭吾さんは「大丈夫、大丈夫。俺もそうだったから。何も言わなくていいよ。ここからは父親の出番だから」と言っていました。
山本 うちは息子が三人います。子どもの誕生の報告をしたときに、竹田さんに「今のうちに体を鍛えておけ」とアドバイスいただいたことをよく覚えています(笑)。大学生のお嬢さんの留学の学内選考のエピソードも出てきましたが、一年の交換留学を目指すお嬢さんに、「なぜ四年間でなく一年なのか」と尋ねたりしていました。仕事だけでなく家庭でも、非常に細かい人だったのですね。
竹田 そうなんです。娘は「お父さんの質問に答えていれば、誰でも受かるよ。あんなに厳しく突っ込む面接官はいないから」と言っていました。

少数派側から物を見ていた

山本 竹田さんが副編集長だった時代(一九九八年―二〇〇一年)の「ニューズウィーク日本版」を毎週熟読していたので、実際に出会う前から、竹田さんの「物の見方」から学ばせていただいていました。国際情勢など共通の関心事が多くて、親しくさせていただけたのだと思います。
竹田 山本さんとは対談本の企画もあったとか。
山本 二〇一四年頃のことでしたが、「世界をどう読み解くか」について、対談の企画がありました。竹田さんの著書『コメントする力』にも書かれていますが、「竹田圭吾流」というのは人が見ない方向から見る、徹底して少数派マイノリティ側から見るということですね。抑圧された側の味方で、力で一方的にねじ伏せることをとにかく嫌う。でも、僕は、「それでは“逆張り”に終始してしまうのではないか」と意見して、すったもんだの論争になったこともありました。
竹田 圭吾さんにとっては刺激的で楽しい議論だったと思います。
山本 二人の意見が一致していたのは、エビデンスを重視したいということと、例えばクルド人関連の問題だったら、アメリカだけでなくロシア、トルコなど、「意見が通らない側」の考えを盛り込みたい、ということでした。企画が実現しなくて残念でした。
竹田 山本さんの影響もあったと思うのですが、ロシアに非常に興味をもっていたこともありました。
山本 竹田さんは、自分の知らない世界へ一方ならぬ好奇心を持っていましたね。そのテーマが仕事になろうがなるまいが、過剰なくらい調べる。そのとき何に関心を持っているのか、とても分かりやすい人でした。それに、言い出したら聞かないところがあって、あるタイミングから、いっさいの知性をかなぐり捨てた「男の子」になるのです(笑)。議論の末に、「俺、もう帰るわ」とおっしゃって、困ったこともありました。
竹田 山本さんには、家族に近いような、遠慮のない態度で接していたのですね。
山本 僕のテレビ番組でのコメントを「おまえはつまらん」と言われたこともあります。酒の席でもないのに(笑)。ウェブで過激なことを言っておもしろがられてテレビに出演しているのに、それをテレビで出せないのはよくない、という指摘でした。
竹田 「それを竹田圭吾が言うか?」と思いませんでしたか。テレビでは訥々と話していましたが、ツイッターではかなり過激な言葉を使っていましたから。あまりに乱暴な言葉遣いを、私が注意したこともありました。
山本 確かに乱暴なときもありましたが、発信する言葉に、竹田さんにしかないこだわりとクオリティがありました。インターネットの言論空間では兄貴分的存在だったと思います。テレビ番組でも、竹田さんの発言で場の雰囲気ががらっと変わったことがありました。彼の持論に、「ニュースメディアは世の中の空気の温度を調整する“エアコン”であるべき」というものがありますが、僕は竹田さん自身が「エアコン」だったと思っています。
竹田 皆さんがA、B、Cについて話しているときに、あえて「Z」について語ることが自分の存在価値と思っていたようです。へそ曲がりな、難しい人におつきあいいただいて、ご一緒させていただいた皆さんにはとても感謝しています。
山本 頑固な人でしたね(笑)。二度ほど病院にお見舞いに行きましたが、「大丈夫。自分のことは自分でケリをつけるから」と、ご病気のことはほとんど話されませんでした。作品を読んで、「あのとき、こんな状態だったのか」と、今になってわかることがありました。

妻には語らなかったこと

竹田 本当に頑固で、私の言うことをきいてくれたのも、二〇一三年秋に手術する前後だけでした。亡くなった翌日の一月十一日に山本さんがブログに追悼文を掲載してくださいましたが、その頑固な人が、山本さんには孤独について真情を漏らしていたのですよね。本に書いたことですが、ツイッターで「孤独」についてつぶやいて、私はびっくりしたことがあったのです。

 がんであることをテレビで公表し、言い足りなかったことをツイッターに上げたと圭吾さんが言うので、私も読んでみることにした。
《どれだけ治療が順調で、家族に寄り添われて、友人や仕事仲間に励まされても、孤独からは絶対に逃れられない。》
 二〇一五年九月二十九日付の一文だ。
 読んだ瞬間、「は?」と思った。「ふざけるな」とも思った。(中略)
 だからといって孤独なのは圭吾さんだけではない。
 私だってずっと孤独を感じていた。圭吾さんが死に対して恐怖を感じたように、私も圭吾さんの死が怖かった。(同126~127頁)


山本 僕の口から言っていいのかわかりませんが、孤独について何度か話していらっしゃいました。
竹田 病人をもつ家族として、推察はしていましたが、本人の口からはきいたことがありません。
山本 二〇一五年春頃お電話で話したとき、「人が離れていく」「先が見えない不安」、その二つを挙げていらっしゃいました。「指先の感覚がない。俺はどうなっちゃうのかな」「思いが伝えられないことのつらさ。山本くんもそのうちわかるよ」と言われたりしていました。予定していた被災地への取材に行けなくなったときは、とてもさみしそうでしたね。本に書かれていた、再発が発見された時期ではなかったかと思います。その頃、国際ジャーナリストとして誇れるものを作りたい、という思いを強くされていました。
竹田 最後は、本を書きたかったようです。
山本 亡くなる二週間ほど前にご家族揃ってアメリカのニューオリンズに旅行したことを書かれていました。大好きなアメリカンフットボールの試合が現地であるからと言って、よくあの時期に出かけられましたね。

「最後の家族旅行になるかもしれないから」
 圭吾さんはそう言った。
 最後だなんて思いたくもなかったけれど、気持ちだけでも元気になってもらいたい。その一心で、どうしても圭吾さんをニューオリンズに連れて行きたかった。(同140頁)


竹田 本人が「最後」とまで言っているのに行かないと、私としても後悔するかもしれないと思いました。旅行で体力を消耗したかもしれませんが、ベッドの上でのつらい時間が長くなかったので、かえってよかったのかもしれません。
山本 男としては理想の死に方と思います。家族との別れの時間もあり、亡くなる六日前まで、ラジオマイクの前で仕事をされました。
竹田 半分冗談半分本気ですが、「あの頑固じいさん、ようやく逝ったか」と言われるまで生きるよりは、まだ皆さんが惜しんでくださるうちに亡くなってよかったのでは、と思っています(笑)。五十一年間ではありましたが、充実した人生でした。
山本 竹田さんはまだまだこれからが楽しみな“途上”の人でした。僕としては「惜しい」というよりも、「もう少し長く生きていられたら何をされたかな」という興味の方が大きいです。
竹田 今もニュースを見ていると、圭吾さんが生きていたら、出来事自体や報道の仕方に腹を立てていたかもしれないな、と思うことがあります。
山本 被災地や教育問題には特に強い関心をお持ちでしたから、最近のいくつかのニュースについては、きっと「まじおこ」だったでしょうね(笑)。
竹田 目に浮かぶようです。
山本 竹田さんが遺されたものは「考え方」かな、と思います。「竹田圭吾流」は誰にもできませんが、影響を残してくれました。今日はいろいろ申し上げましたが、チャーミングな、強い人でした。
竹田 そんな風に言っていただいて、満足していると思います。圭吾さんが亡くなったときに、「やった! これで何の心配もなくISの現場を見に行ける」と喜んで飛び回っているに違いないと思いました。今頃はアメリカ大統領選をひととおり見たあとかもしれませんね。
二〇一六年十一月二十五日新潮社クラブにて

(やまもと・いちろう 実業家・作家)
(たけだ・ゆうこ 主婦)
波 2017年1月号より

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