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この家の窓からは“大切なもの”が見える。

小説の家

福永信/編、柴崎友香/著、岡田利規/著、山崎ナオコーラ/著、最果タヒ/著、長嶋有/著、青木淳悟/著、耕治人/著、阿部和重/著、いしいしんじ/著、古川日出男/著、円城塔/著、栗原裕一郎/著

4,104円(税込)

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発売日:2016/07/29

読み仮名 ショウセツノイエ
発行形態 書籍
判型 A5判
頁数 294ページ
ISBN 978-4-10-354050-2
C-CODE 0093
ジャンル 文学賞受賞作家
定価 4,104円

小説にこんなことができるなんて。小説とアート、詩、漫画、演劇の境界を越え、時空をも超えて生まれた、ここでしか味わえないスペクタクルな全11篇。上條淳士、福満しげゆき、倉田タカシ、師岡とおる、近藤恵介らによる豪華アートワークと共に贈る、前代未聞のアンソロジー。満を持して誕生! ブックデザイン・名久井直子。

著者プロフィール

福永信 フクナガ・シン

1972年、東京生まれ。1998年、「読み終えて」で第1回ストリートノベル大賞を受賞してデビュー。2015年、第5回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。著書に『アクロバット前夜』(2001/新装版『アクロバット前夜90°』2009)、『コップとコッペパンとペン』(2007)、村瀬恭子との共著に『あっぷあっぷ』(2004)『星座から見た地球』(2010)、『三姉妹とその友達』(2013)などがある。

柴崎友香 シバサキ・トモカ

1973(昭和48)年、大阪生れ。2000(平成12)年に刊行されたデビュー作『きょうのできごと』が行定勲監督によって映画化され、話題となる。『その街の今は』で、2006年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞受賞。また、咲くやこの花賞を受賞。2010年、『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞受賞。2014年「春の庭」で芥川賞受賞。著書に『星のしるし』『主題歌』『フルタイムライフ』『ショートカット』『ビリジアン』『星よりひそかに』『わたしがいなかった街で』『パノララ』などがある。

岡田利規 オカダ・トシキ

1973(昭和48)年横浜生れ。1997(平成9)年にソロ・ユニット「チェルフィッチュ」を旗揚げ。2005年「三月の5日間」で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。2007年、同作を小説化し、初めてのオリジナル小説「わたしの場所の複数」とともに収録した『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が、初の小説集となる。同書で、第2回大江健三郎賞を受賞。著書に『三月の5日間』『エンジョイ・アワー・フリータイム』『遡行:変形していくための演劇論』『現在地』などがある。

山崎ナオコーラ ヤマザキ・ナオコーラ

1978(昭和53)年、福岡県生れ。埼玉県育ち。國學院大學文学部日本文学科卒業。卒業論文は「『源氏物語』浮舟論」。2004(平成16)年、会社員をしながら書いた「人のセックスを笑うな」が第41回文藝賞を受賞し、作家デビュー。著書に『人のセックスを笑うな』『浮世でランチ』『カツラ美容室別室』『論理と感性は相反しない』『長い終わりが始まる』『男と点と線』『モサ』(荒井良二氏との共著)『「『ジューシー』ってなんですか?」』『あたしはビー玉』『ニキの屈辱』『この世は二人組ではできあがらない』『昼田とハッコウ』『美しい距離』、エッセイ集に『指先からソーダ』『男友だちを作ろう』などがある。目標は「誰にでもわかる言葉で誰にも書けない文章を書きたい」。

最果タヒ サイハテ・タヒ

1986(昭和61)年生まれ。2008(平成20)年、『グッドモーニング』で中原中也賞を受賞。2015年、『死んでしまう系のぼくらに』で現代詩花椿賞を受賞。詩集に『空が分裂する』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』。小説に『星か獣になる季節』『かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。』『渦森今日子は宇宙に期待しない。』『少女ABCDEFGHIJKLMN』などがある。

長嶋有 ナガシマ・ユウ

1972年生まれ。2001年『サイドカーに犬』で文學界新人賞受賞。2001年『猛スピードで母は』で芥川賞受賞。2007年『夕子ちゃんの近道』で第1回大江健三郎賞を受賞。おもな作品に『泣かない女はいない』『パラレル』『ジャージの二人』『ねたあとに』『問いのない答え』『愛のようだ』『三の隣は五号室』などがある。

青木淳悟 アオキ・ジュンゴ

1979年埼玉県生まれ。2003年「四十日と四十夜のメルヘン」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2005年、同作を収めた作品集『四十日と四十夜のメルヘン』で野間文芸新人賞を受賞。2012年『私のいない高校』で三島由紀夫賞受賞。他の著書に『いい子は家で』『このあいだ東京でね』『男一代之改革』『匿名芸術家』『学校の近くの家』がある。

耕治人 コウ・ハルト

1906年生まれ。1970年『一条の光』で読売文学賞受賞。1972年に『この世に招かれてきた客』で平林たい子文学賞受賞。代表作に『天井から降る哀しい音』、『そうかもしれない』などがある。

阿部和重 アベ・カズシゲ

1968年9月23日山形県東根市神町生れ。小説家、映画評論家。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業。演出助手などを経て、1994年に『アメリカの夜』で群像新人文学賞受賞。2005年に『グランド・フィナーレ』で芥川賞受賞。2010年に『ピストルズ』で谷崎賞受賞。主な著書に『インディヴィジュアル・プロジェクション』『ニッポニアニッポン』『シンセミア』『クエーサーと13番目の柱』『Deluxe Edition』『映画覚書vol.1』等。

いしいしんじ イシイ・シンジ

1966(昭和41)年大阪生れ。京都大学文学部仏文学科卒。1996(平成8)年、短篇集『とーきょーいしいあるき』刊行(のち『東京夜話』に改題して文庫化)。2000年、初の長篇『ぶらんこ乗り』刊行。2003年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞受賞。2004年『プラネタリウムのふたご』、2006年『ポーの話』、2007年『みずうみ』が、それぞれ三島賞候補に。その他の小説に『トリツカレ男』『四とそれ以上の国』、エッセイに『いしいしんじのごはん日記』『熊にみえて熊じゃない』『遠い足の話』など。現在、京都在住。

「いしいしんじのごはん日記」更新中 (外部リンク)

古川日出男 フルカワ・ヒデオ

1966年福島県郡山市生まれ。1998年に『13』で小説家デビュー。2002年、『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞および日本SF大賞を受賞。2006年、『LOVE』で三島由紀夫賞を受賞。2015年刊行の『女たち三百人の裏切りの書』で、野間文芸新人賞および読売文学賞(小説賞)を受賞。他の作品に『聖家族』『馬たちよ、それでも光は無垢で』『冬眠する熊に添い寝してごらん』など。

円城塔 エンジョウ・トウ

1972(昭和47)年北海道生れ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。2007(平成19)年「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞受賞。2010年『烏有此譚』で野間文芸新人賞、2011年早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、2012年『道化師の蝶』で芥川賞、『屍者の帝国』(伊藤計劃との共著)で日本SF大賞特別賞を受賞。他の作品に『Self-Reference ENGINE』『Boy's Surface』『後藤さんのこと』などがある。

栗原裕一郎 クリハラ・ユウイチロウ

1965年生まれ。2008年『〈盗作〉の文学史』で第62回日本推理作家協会賞評論その他部門を受賞。共著で、『音楽誌が書かないJポップ批評』、『村上春樹を音楽で読み解く』『本当の経済の話をしよう』『石原慎太郎を読んでみた』などがある。

目次

鳥と進化/声を聞く  柴崎友香
女優の魂  岡田利規
あたしはヤクザになりたい  山崎ナオコーラ
きみはPOP  最果タヒ
フキンシンちゃん  長嶋有
言葉がチャーチル  青木淳悟
案内状  耕治人
THIEVES IN THE TEMPLE  阿部和重
ろば奴  いしいしんじ
図説東方恐怖譚/その屋敷を覆う、覆す、覆う  古川日出男
手帖から発見された手記  円城塔
〈小説〉企画とは何だったのか  栗原裕一郎
謝辞とあとあき  福永信

インタビュー/対談/エッセイ

小説の家で語る、小説のこと

阿部和重古川日出男山崎ナオコーラ青木淳悟福永信

福永 今日は『小説の家』の発売日です。六年くらい前から不定期で、短編とビジュアルを組み合わせて掲載するという企画を「美術手帖」でやっていたんです。この本はそれを一冊にまとめたものです。僕が依頼しまして、打ち合わせなんかも時間をかけてやらせてもらいました。ビジュアルの表現についても話し合う中で決めていきました。最初から単行本化を前提にしていて、そんな話なんかも打ち合わせのときからしてきたと思います。ご自身の著書などへの収録も待ってもらったりして、すごく協力していただきました。ほんとに感謝の気持ちでいっぱいですが、まず、著者の皆さんからこの本を手にしての感想を教えてもらえますか。
古川 この本は色一つとっても、紙一つとっても、とてもこだわってるけれども、そのこだわりが単に遊びに見えるようにしているんですね。それがとてもいいなと思いましたし、基本的には馬鹿げた、痛快な本だと思うんです(笑)。自己満足よりもちょっと先に行っているように見えます。
山崎 いい本に出来上がって本当によかったなと思います。本の最後にある福永さんの書いた謝辞、笑いながら読みました。この本に対する考え方がすごく面白いなって思いました。
青木 あの謝辞を読んでいくと、出来上がるまでの過程っていう部分がすべて書かれています。それがこの本のストーリーになっているといいますか、『小説の家』を特別なアンソロジーにしているっていうのが僕の感想です。
阿部 この本に関してはアンソロジーとは呼びたくないなというような気持ちがあります。もちろんこういう形で出来上がったことは、非常によかったなと思いましたが、それよりも福永信という作家の作品としてこの『小説の家』という本がまずあるっていうのが僕の認識です。装幀の名久井さんのお仕事も含めて、あまり前例のない本になったのではないかなというふうに思いました。

『小説の家』でしかできないこと

福永 では、それぞれ個別の作品について聞かせてください。青木さんの作品「言葉がチャーチル」は、ここにいる皆さんと違って、直接にはストーリーの中にアートのことが入ってきませんね。
青木 僕は知ったかぶりをしながら書くっていうスタイルでいつもやっているんですが(笑)、この小説についても書くまではチャーチルのことをほとんど知らなかったんです。既存のイメージをどう取り込むかということを考えているので調べながら書いたのですが、気がついたらまったくアートとか関係がなくて完全に勘違いしました(笑)。ただ、学習漫画みたいなイメージがありまして、漫画のビジュアルがついて自分ではとても気に入っています。それ自体はアートでも何でもないものを切り取って置き直すことで、さらに師岡とおるさんに僕の予想をはるかに上回る学習漫画感を出していただきまして、「美術手帖」でしか成立しなかった作品だなっていうふうには思っているんです。
古川 僕の「図説東方恐怖譚」、古川日出男ってクレジットになってますけど、基本的にこのプロジェクトは全部、近藤恵介との共作です。福永さんと「美術手帖」の岩渕(貞哉)さんと打ち合わせしたときに、どういうコラボレーションにしようか、話しました。写真でもいいし、絵でもいいしって思ってたんですけど、「どうせだったら全部入っちゃったらいいかな」と思ったんです。
福永 二人での作業ってのは、どういう経験でしたか。
古川 嬉しい作業でしたね、小説を書くのはいつも孤独だから。最初に僕が百字のテキストを八編書いたんです。それらを近藤君に送って、彼が天平時代の「絵因果経」のフォーマットを下敷きに八枚の絵を描いた。でも初出では絵と罫線だけで、その百字×八編のテキストは発表しませんでした。それとは別にその絵を鑑賞している視点、批評するような文章を三百字、これも八枚分、板の上に手書きで書いたんですね。それらを写真に撮りました。それから、「なぜそれらの絵があって、それらの絵を鑑賞し、批評している視点があるのか」という物語世界を、普通の小説の形式で書いたわけです。つまり、絵と、写真と小説、三つの世界が一つの見開きに同時進行している。それが二〇一一年三月十七日に発売された「美術手帖」に載ったバージョンなんです。さらに近藤君と僕はその直後にギャラリーで「絵東方恐怖譚」という展覧会を開いて、初出では入れなかった百字のテキストと、近藤君の絵巻などを展示した。公開制作というかたちでパフォーマンスもしました。「図説東方恐怖譚」の物語は美術と美術館にまつわるものですが、それを紙の中に閉じ込めながら、外へ持ち出してしまうということを考えてやったわけです。今回の本では、そんなすべての文脈を活かすようにしています。自分が最初にやろうとしたものがどんどんずれてくるし、そこが一人ではできないことで幸せな経験だったなと思います。
阿部 僕も「美術手帖」に載るということが出発点になっていて、自分自身の貧しい美術体験の一つを元ネタとして扱っています。瀬戸内海にある直島というアートで有名な島に南寺という場所があって、光が重要なテーマのインスタレーション作品があるんですね(ジェームズ・タレル「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」)。光と暗闇みたいなものがすごくリアルに、極端なものとして体験できるんですが、自分の作品がどこまでそれに近づけるのかっていうことが考えとしてありました。「もう真っ白で、文字が何もなくてもいい」ぐらいな、そういう見え方ができればいいなと思ったわけですね。僕の南寺体験なるものと、作品「THIEVES IN THE TEMPLE」を読むこととが、シンクロするような形になればいいなと思ったんです。真っ白なんだけれども、目を凝らしたり、本の角度を変えると文字がなんとなく見えてくる。
山崎 阿部さんのページの読みづらさ、すごくいいなと思いました。私は、なんだか自分のは普通だなと思いました(笑)。
福永 ナオコーラさんは自分で絵を描いたじゃないですか。絵を描くのはこの「あたしはヤクザになりたい」が初めてだとおっしゃっていましたね。
山崎 福永さんと美術出版社の書庫に行ったときに、昔の雑誌をめくっていたら「絵と文」というようなことをやってる人がいて、私もそれをやってみたくてやった感じです。けっこうふざけたつもりだったんですけど、「もっとふざけていいんだな」っていうのをすごく思いました。福永さんは、なんで小説書かなかったんですか。
福永 だんだん依頼することそのものに楽しさを感じてしまって、自分が小説を書くということが先送りされたという感じなんですよ。
山崎 そのうち書くみたいな雰囲気もありましたよね(笑)。
福永 そうだったんですけど、えーと、どういうわけかこんなことになってしまって……(笑)。
山崎 私は作品を書いていて「この作品を私が書いたっていうふうなこと、そのうちわからなくなってもいいな」っていう気持ちがあるんです。将来、名前が残らなくてもいいし、小説を発表しても、「泡みたいに消えてしまってもいいかも」って最近、思うようになったんですけど、それは、みんなで作っている大きな小説っていうものの一部分になれば、もう私の仕事は十分かもしれないから。小説は一冊という単位になったりするけど、そうではなくて、大きい全体として考えることがあるんです。

それぞれの小説のこと

青木 僕はほかの皆さんと比べて、ビジュアルとかアートっていうものとの、その絡みっていいますか、そういうのがまだまだというか、後ろ向きな感想なんですけれども、少し弱かったんじゃないかなっていうふうに思っているんです。
阿部 青木さんは「自分の短編そのものがアート」っていうふうには認識してないってことなんですか。
青木 ものすごく離れたところにいると思ってますね。
阿部 なるほど。そこが逆にちょっと興味深いなって思いますけどね。
青木 アートではなくて世界史、第二次大戦の一部分の戦局に急に興味を覚えまして、世界史を勉強し始めてそれがこの作品に反映されていると思うんですが、歴史なのに作品内の時間は一直線ではなくて、ループするんですね。四回とか五回とかループして、これは自分で読み返していても、「また戻るのか……」とちょっとつっこみたくなる(笑)。でも、そこが気に入っている部分でもあって、何といいましょうかね……作者もあきれながら書いてる感じというのが伝わったほうが面白いなって思うこともありました。
福永 「美術手帖」自体も、何度もループするように同じ特集を組むんですよ。世界のアート事情であるとか、ポップアートや印象派特集であるとか、何年かごとにやるわけです。それを青木さんは反復することでそういう言葉にはされないけれども、発表媒体の習性を作品に繰り込んでいるわけですね。恐るべき無意識があると思うんですよ、青木さんにはね。
古川 阿部さんのあの作品は本当に稀有な体験でした。普通、本読んでいると、インクのことなんて意識しませんよね。それが、真っ白いところに真っ白い文字だから、本を動かしたり、ページに光を当てたりしないと見えない。そのときに、物質感というものをすごく感じるんです。
阿部 ありがとうございます。僕は非常にシンプルで、単に「どう見えるか」ってことですね。それによってある意味で小説を美術に近づけるという試みになってるわけですけども、古川さんの場合はもう、それこそいくつもの層が重なっていて、美術の制作でもあり、また同時に批評でもあって、鑑賞者の視点というのも全部入ってる。美術にまつわる体験がすべて一つの作品で味わえるというような、トータルの試みになっているということだと思うんですよね。だから、この二つの好対照な作品が入っていれば、もうこの本は大丈夫だろうということでいいんじゃないですかね(笑)。

『小説の家』とは何だったのか

福永 阿部さんは普段は自分の小説作品の中では、ここまでビジュアル的な要素というのを組み込まないですね。つまり電子書籍になっても、作品の質というのは一定で変わらないし、意識的にそうされていると思います。それは古川さんも同じだと思うんですよ。古川さんはパフォーマンスをご自身でなさったりってことはあるけれども、小説という形は極めてオーソドックスにやっていると思うんです。今回の小説というのは、それぞれの作品歴の中でも特別なもののような気もするんですけど、それは作者としてはどう捉えているんでしょうか。
阿部 僕の場合はやっぱりまず、とにかくこれは福永信の企画であり、福永信の作品であるってことがもうすでに最初からありました、考えとして。だから、これはアンソロジーではなくて、実はすべての作家の作品が福永信の小説の中に引用されてるっていうような見方でいいんじゃないかな、と。なので、総題の『小説の家』というのも結局、福永は小説というものとしては一文字も書かなかったかもしれないけども、この「家」を提供したってことで、これは一つの作品として読めるんだよってことをレビュアーの方は書けばいいんじゃないかなっていうふうに僕は思いますけどね(笑)。
古川 あと、作品の配置が素晴らしくて、柴崎さんの最初のあの一行から始まって、われわれがいろんな人とコラボレーションしながら苦闘したり、楽しんだりしたものを素材に、福永さんによる謝辞とあとがきが来て終わる、この流れ。この配置があることで、どんなに僕とか阿部さんが異様なことをやっても、感動的な一冊の本になっているんだと思うんです。
阿部 もう一点だけ言うと、今回の企画が始まって、今日こうやって本が完成してトークショーをやっているというふうなところにこぎつくまで、いろいろと大変なことが起きてたわけですね。代表的なものとしては三・一一ということが言えると思うんですけども、それとは別に出版業界という点でも、非常に困難な状況がある。むろん世間はそれだけでもないわけですが、いろんな形である種の危機みたいなものを迎えている中で、こうして出来上がった本を見ると、それに抵抗するかのように、まったく危機とか抵抗とかっていうことと無縁な形で、悠然と構えた本になってるなって印象を持っているんです。僕はそこも素晴らしいなと思いました。
福永 阿部和重さん、青木淳悟さん、山崎ナオコーラさん、古川日出男さん、ありがとうございました。さて、ところで、このトークも僕がまとめているんです。文字起こしの原稿をもらって、当日、実際に話されたことの順番を入れ替えたり、みんなの声を思い出したりしながら、一時間の内容を十八字三百行に収まるように構成してるんですね。もちろんそのあとで、皆さんにバッチリ加筆修正を施してもらって、この誌面に載ってるんで、僕がコントロールしているわけでもなんでもないですし、僕のことを褒めているところだけをピックアップしているということもないんです(笑)。ただ、こうして皆さんの言葉を眺めていると、僕らの集まる場所はやっぱりここだな、こんなペタンとした場所だなと、そう思うんですね。また会えることを楽しみにしています。
 2016年7月29日神楽坂la kaguにて


(あべ・かずしげ 小説家)
(ふるかわ・ひでお 小説家)
(やまざき・なおこーら 小説家)
(あおき・じゅんご 小説家)
(ふくなが・しん 小説家)
波 2016年9月号より

[福永 信/編、柴崎友香、岡田利規、山崎ナオコーラ、最果タヒ、長嶋 有、青木淳悟、耕治人、阿部和重、いしいしんじ、古川日出男、円城 塔、栗原裕一郎『小説の家』完成記念]
「小説の家」通信

福永信

 物書きをしております福永という者でございます。お初にお目にかかります。恐縮でございます。
 お仕事は主に出版社などから依頼を受けまして、それに応じて原稿を書きまして、お代を頂戴しております。ありがとうございます。
 わたくしのお仕事は依頼を受けるところから始まります。依頼がなければ、何もスタート致しません。わたくしはピクリとも動かないのでございます。
「依頼」と申しますのは、編集者から電話がかかってくることでございます。最近はEメールのみという場合もございますが、まず依頼ありきでございまして、そこからわたくしの仕事が始まるわけですが、編集者の仕事はすでに始まっているのですね。なぜなら編集者はすでに動いているわけです。わたくしよりも先に行動しているわけです。だからわたくしに依頼の電話をかけることができるのです。
 わたくしから「もしもし、わたくしだけど。」と電話をかけて、相手が「ああ、福永さんですか。ちょうどよかった。小説を書きませんか。」と、そんなふうに依頼されることなど、まずありません。まったく皆無とは言わないけれども、一般的には、編集者から突然電話がかかってくるのでございます。もしくは編集者からのEメールを予告なしに受信するのでございます。
 はじめに依頼ありき。それがないとわたくしは存在しない。そうなのですが、では、それは、どこから始まっているのであろう、と思ったのでございます。依頼はどこから来るんだろう。依頼をすることも、依頼されることによってスタートするのでしょうか。
編集長 おい。福永君に小説を依頼し給え。
編集者 電話をかけて直ちに依頼します。
 と、そんなふうに、依頼することが依頼されるにしても、では、その編集長は、誰から依頼されるのでしょうか。
社長 おい。福永君に小説を依頼し給え。
 と、そんなことがあったとしても、では、それなら、社長さんは、誰から依頼されるのでしょうか。
母親 あんた、依頼しなさいよ。
社長 はい。母さん。
 しかし、それなら、お母さんは誰から……そこで、わたくしは、こう思ったのでございます。「自分が依頼する立場になれば、依頼というのが、どこからスタートするのか、わかるのでは」、と。自分が依頼する立場になれば、「依頼の発生現場における神秘的な謎」と直面することができるだろうと思ったのです。
 前置きが長くなりましたが、『小説の家』には、以上のような「依頼」のテーマがございました。わたくしが依頼した作家で一冊の本を作ったらどうなるか、というのがこの本のテーマでございます。依頼したことでわたくし自身がどう変化するかというのがこの本の個人的なテーマでございます。
 わたくしが選んだ作家、円城塔山崎ナオコーラいしいしんじ古川日出男柴崎友香岡田利規阿部和重青木淳悟最果タヒ長嶋有の各氏が小説を寄せております。栗原裕一郎氏は論考を執筆しております。
 しかしながら、実は、最初に依頼されたのは、わたくしなのでした。
「小説を書きませんか。」
 という電話を受けたのです。ふだんなら、とくにおどろくことのないような、そんな電話です。電話をしてきたのは美術雑誌の編集者でした。美術の専門誌から、小説を書きませんか、と依頼されたのですこしおどろいたというわけなんです。旧知の編集者でしたから、わたくしは、これには何か理由があるのだろうと思い、そう尋ねました。すると、この美術専門誌には、かつて小説が載っていた一時期があるというのです。
「え? 小説が毎月?」
 と、思わずわたくしは身を乗り出したほどでした。
「そうなのです。小島信夫から遠藤周作から、耕治人から、三浦朱門から」
「え? 三浦朱門?」
「他にも、安岡章太郎吉行淳之介など総勢一〇名の小説家が、毎月、書いていたのです。もっとも、五〇年ほど昔のことですが。」
「え? 五〇年ほど前?」
「正確には一九五八年です。その年の一月号から一〇月号まで、毎月一編の短編小説が掲載されていたのです。事情はわからないのですが、突然始まって、これも理由は不明なのですが突然終わっているのですね。それで総勢一〇名というわけなのです。」
「なぜ突然依頼をしたのだろうか。なぜ、突然、依頼をしなくなったのだろうか。」
「わかりません。わかりませんが、なんとなくまた現代の作家の小説を掲載してみようと思いまして。編集者の遺伝子でしょうか。しかし僕は福永さんしか電話番号を知らないので、こうして依頼をしているわけです。」
「ちょっと待ってください。わたくしに依頼するのは、ありがたいが、そんな理由からですか。君とは長い付き合いだから言わせてもらうが、知っているのが、たまたまわたくしだというだけで、貴重な誌面を使っていいのだろうか。」
 わたくしにしては、ややゾンザイな言い方だったと思います。しかし、酒の力が入ったことと、旅先での解放感から、そんな口調になってしまったのでしょう。
「いや、あなたの小説はいいと思いますよ。」
 編集者は取り繕うように言いました。
「では、円城君に依頼できれば、どうだろう。」
「円城塔さんですか。ぜひ頼みたいですね。」
「山崎ナオコーラ君だったら、どうですか。」
「もちろんお願いしたいです。」
 わたくしは、連絡先を知っている作家の名前を次々に挙げていった。それが、先の一〇名である。編集者はそのすべてに「ぜひお願いしたい。」と言った。
「すると、わたくしは、どうなるだろう。」
「それは、福永さんにも、お願いしたいですよ。」
 わたくしは電話をガチャンと切った。それから、二階の書斎に行ってお昼寝をしようとして、振り返ると、少し開いたドアの向こうから、我が子が、わたくしには似なかった今では懐かしい面影でもあるそのクリクリした黒目だけを、扉の隙間から見せていた。そして「Yonda?」と聞くのである。
 もう一週間前だったか子供が、自分の気に入っていた絵本を貸してくれていた。それを読んでパパとしては感想を言わなければならなかった。これまでも催促されてきたが、そのままになっていたのだ。「Yonda?」とまた聞いてくる。「いや、まだ。」と、そう答えて、ふと、おれは我が子からも、依頼されているのだな、と、おのれの人生に苦笑せざるをえなかった。「すぐYoむから」と、子供を安心させた。絵本を開くと、絵も、文章も、この作者達が、忙しい時間の中で作り上げたものに違いないと思えてきて、感謝の念が沸き起こってきた。ありがとう。
 わたくしは編集部へ電話をかけた。こちらから電話をかけると、これから何か依頼をするような気分になった。
「君かい。さっきはごめん。」
「いや、いいんです。僕も、失礼なことを申し上げてしまいました。」
「(絵本をめくりながら)どうだろう、小説を貴誌に掲載するという先ほどの話のことだけど。ちょっと考えてみたのだが、小説と、アーティストを組み合わせて、誌面を作るとおもしろいんじゃないかな。その小説家と相談しながら、どんなアーティストと共同作業をするか、誰に依頼するか決めるんだ。最初は円城君にお願いしよう。」
「円城さんにお願いできれば、それはおもしろいですね。では、福永さんは、その次に。」
「その次は、ナオコーラさんが、いいだろう。」
「わたくしは三番目くらいに登場するとしよう。」
「そうですね。では、それくらいに。」
「依頼は、わたくしがするよ。」
「それは、助かります。」
「わたくしへの依頼も、わたくしがする。」
「え? 自分で?」
「ああ。そうすると、すべてがわかるという気がするのさ。」
 この電話の繋がっている美術専門の出版社の編集部が作る美術専門誌での初出を経て、あれこれあって、一冊の『小説の家』にまとめられた。一冊にまとめることは当初からの予定であった(版元はわたくしの依頼によって劇的に変更したが)。さて、果たしてわたくしからわたくしへの依頼は実現したのか。ぜひ読んでいただきたい。あ、読んでいただきたいのでございます。


(ふくなが・しん 小説家)
波 2016年8月号より

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