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近代日本の荒波を生きた四方田家の三人の女たちの三つの物語。

母の母、その彼方に

四方田犬彦/著

2,052円(税込)

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発売日:2016/02/26

読み仮名 ハハノハハソノカナタニ
雑誌から生まれた本 考える人から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 238ページ
ISBN 978-4-10-367108-4
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 2,052円
電子書籍 価格 1,642円
電子書籍 配信開始日 2016/08/05

四方田柳子という見覚えのない名前をきっかけに始まった過去の探索。しだいに明らかになるさまざまな事実。女子大時代に学んだ理想主義的な児童教育に心血を注いだ柳子。広大な屋敷を管理することに情熱を捧げた美恵。日本舞踊と西洋音楽を同時に学び、生涯にわたって労働とは無縁だった昌子。著者が発掘した一家の歴史。

著者プロフィール

四方田犬彦 ヨモタ・イヌヒコ

1953年大阪府箕面生まれ。東京大学で宗教学を、同大学院で比較文学を学ぶ。エッセイスト、批評家、詩人。文学、映画を中心に、多岐にわたる今日の文化現象を論じる。明治学院大学、コロンビア大学、ボローニャ大学、テルアヴィヴ大学、中央大学(ソウル)、清華大学(台湾)などで、映画史と日本文化論の教鞭をとった。著書は140冊に及ぶ。『映画史への招待』でサントリー学芸賞を、『モロッコ流謫』で伊藤整文学賞を、『翻訳と雑神』『日本のマラーノ文学』で桑原武夫学芸賞を、『ルイス・ブニュエル』で芸術選奨文部科学大臣賞を受けた。詩集に『人生の乞食』『わが煉獄』が、訳書に『パゾリーニ詩集』他がある。

書評

王の帰還

石田千

 二〇〇一年の秋、四方田犬彦さんは不思議な問い合わせを受ける。
 大正期の婦人運動の資料にあらわれる四方田柳子という女性に、こころあたりはありませんか。聞いたことのない名まえだった。返事をすると、また質問がくる。四方田柳子の住所は、大阪府下箕面村です。ここは、あなたの出身地ではありませんか。箕面は、母方の実家があり、幼少の一時期を過ごした。祖父母はすでに他界している。四方田さんは、思いきって、母昌子さんにたずねる。
 
 ……すると母親はしばらく黙った後で、いった。
 柳子というのは、わたしの祖父が最初に結婚した女性だった。
 
 祖父四方田保は、明治十三年に島根県雑賀の武家に生まれた。苦学のすえ、京都帝国大学を卒業すると、弁護士となり、大阪堂島に事務所をかまえる。刑事事件を専門とし、数々の難しい裁判を担当した。自他ともに認める人権派弁護士として、庶民から政財人まで広く信頼を寄せられた。その祖父が、大学卒業と間を置かず妻とした女性が、柳子だった。
 保と柳子が篤く信仰した本門佛立宗の菩提寺には、過去帳とともに、わずかながら夫妻についての資料が残されていた。
 柳子は岡山県津山の庄屋の娘で、十三歳で進学のために上京し、女子高等師範学校の附属高等女学校から日本女子大学校に進学した。つぎに母校の資料にあたり、おなじ学年に平塚明(はる)(のちのらいてう)がいたことを確かめた。
 柳子は、保と結婚し、五人の子どもを出産する。学生時代に学んだ家政学と児童教育を生かし、婦人雑誌への寄稿、新しい形の婦人用コートの考案、さらに幼稚園の経営へと活躍の場をひろげる矢先、四十四歳の若さで亡くなっていた。
 当時の箕面村は、大阪神戸のモダニズムの実験地として、実業家小林一三により開発された。保は、ここに家族のために四千三百坪の土地を求め、その広大な森をそのまま庭として、家を建てた。家政いっさいをまかせていた保は、家と社交の維持、三人の息子の養育のために、再婚を決意する。そして、著者の祖母美恵と、夫婦となった。
 広大な邸宅は、はじめての女の子の誕生に際して西洋式に改築された。けれど、法事のときにしか入れない仏間や、子どもの立入りの許されない離れは、以前のまま残されていたという。
 晴れ着の詰まったたんすの引き出し、毛皮のぬくもり、ダイヤモンドの指輪の箱、そして仏壇のおく深く。四方田の家の女性たちは、やさしいくちびるをむすび、そっと秘密をしまった。
 著者は、十年をかけて文献をさがし、親類知人にインタビューをつづけられた。さらに、母昌子さんも、みずからの母である美恵さんの足跡をたどられた。そして、よき妻よき母として、来客のもてなしから奉公に来た少女の嫁入りまでをとりしきった美恵さんが、生涯胸にとどめた秘密を知る。
 大阪の上流階級の三代にわたる生活の記録であり、柳子とらいてうの接点については近代女性史の重要な資料であり、法曹界に名をのこす四方田保の正確な評伝となった『母の母、その彼方に』は、四方田少年が王として駆けまわった邸宅の森のごとく、読むものを魅了し招き入れる。
 セピア色の写真にうつるひとびとは、それぞれの務めに邁進し、悲しみにあるひとの気もちをひたむきにくみとろうと生きた。典雅かつ清々しく語られる、甘やかな追憶。ことに、保の臨終の場面は、神々しい光に満ち、くりかえし読み、まぶたを閉じた。
 四方田柳子と出会い、一族と出会いなおした。そして、じぶんが受け継いだものはなにか。著者は自問なさっている。
 わけへだてなく、まっさらな目でひとに相対する態度は、祖父保の仕事ぶりをかさねた。芸術と人生を楽しむ好奇心と美食ごのみは、祖母美恵に授けられた。戦後の日本に押し寄せた海外の映画、音楽、文学には、母昌子さんの青春の財産として出会っている。さらにいえば、箕面の家に、庭に、子どもたちの教育に、亡き柳子の残像、まなざしをしんしんと感じた。肩書にとらわれない広く深い知の森こそ、四方田家の真の資産と思う。
 かたちあるものは消える。けれど不思議なことに、ことだまは、かならず、もっともよい継承者を見つける。
 保の死により、四方田家は邸宅を手ばなしたものの、広大な森は、国定公園として残されているという。
 ことだまに呼ばれ、王は森に帰る。

(いしだ・せん 作家)
波 2016年3月号より

目次

もう一人の祖母
柳子
失われた出自
女子大での幸福な日々
四方田保との出会い
若き母親の悲嘆
家なき幼稚園
美恵
後妻の秘密
屋敷と女中
保の死と屋敷の消滅
昌子
梅花のお転婆娘
ビキニをご披露
エピローグ
後書き

インタビュー/対談/エッセイ

夢見るブルジョワ娘ができるまで

四方田犬彦

――本書は四方田さんの祖父・保の最初の妻・柳子、二度目の妻・美恵、美恵の娘・昌子という三人の女性が登場します。執筆のきっかけはなんだったのですか?
 ある女性史研究家から、四方田柳子という人物に心当たりがないかと尋ねられたのです。全く見覚えのない名前でしたが、念のため母に確かめたところ、祖父の最初の妻でした。それから、彼女のことを調べていくうちにさまざまなことがわかってきたのです。

――柳子以外の人物にも焦点をあてたのはなぜですか。
 高校時代にトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』に感動して、いつかは家の年代記を書いてみたかったのです。安岡章太郎の『流離譚』や北杜夫の『楡家の人びと』も家が主人公です。そこで私も柳子をきっかけに家の物語に挑んでみたのです。もちろんそれらの名作にははるかに及びませんが。

――四方田保はどのような人物ですか。
 彼は松江の貧しい下級士族の家に生まれ、京都帝大独法科の第一回生です。大阪で弁護士を開業、シーメンス事件を担当して脚光を浴び、人権派弁護士として活躍しました。箕面に広大な屋敷を構え、小林一三と深い交友がありました。一代で財産と社会的地位を築いた立志伝的な明治人の典型です。

――カバーに使用されている松井正の「夏の日」という絵は昭和初めの四方田邸の庭を描いたものですね。それでは三人の女性について教えてください。
 柳子は創設まもない日本女子大学で学び、卒業して保と結婚しました。関西の名士婦人会で活躍する一方で、信仰を通じて婦人問題にも取り組みます。新型婦人コートのデザインの発表、女子大時代に学んだ理想主義的な教育の実践などさまざまな分野で活躍しました。
 柳子が亡くなったとき、保は48歳でした。広大な屋敷を管理するのは多忙な保には無理で、後妻として迎えたのが美恵です。彼女は屋敷の管理や女中たちの教育に情熱を傾けました。
 美恵の娘である昌子はまさに夢見るブルジョワ娘で、アプレゲールを満喫しました。日本舞踊と西洋音楽を同時に学んだ彼女にとって使用人というのは当たり前の存在でした。

――保は全くタイプの異なる二人の女性と結婚したわけですね。
 柳子は家庭外での活動に積極的だったので、当時の新聞や雑誌を通じて、その事績をかなりたどることができます。それに対し、家のことに専念した美恵についてはよくわかりません。逆に調べれば調べるほど謎めいた存在になってきました。若いときにマンドリンを習っていますが、当時としてはかなり贅沢なことです。保と結婚してからではなく、美恵はもともと裕福な暮らしをしていたはずです。

――あらためて書き終えての感想をお願いします。
 近代日本の脆弱さをあらためて痛感させられました。結局、日本ではブルジョワジーというものは定着しなかったのです。華族というのは公家、大名、維新の元勲、高額納税者などの寄せ集めでしたしね。保も学歴により一代でブルジョワジーとなり、長男を男爵家ゆかりの娘と、三男は江戸時代から続く造り酒屋の娘と結婚させましたが、三代目の私になると、まったくのプロレタリアートにすぎませんから。
 でも本を執筆すると、心のなかにあるわだかまりが解きほぐされていくように感じます。高校時代を描いた『ハイスクール1968』や由良君美を描いた『先生とわたし』でもそうでした。今回この作品を書くことによって、四方田の家から自由になれたという気がしています。

(よもた・いぬひこ 批評家)
波 2016年3月号より

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