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ドイツ表現主義映画の代表作『カリガリ博士』が大正時代の日本にもたらした驚きとは?

署名はカリガリ―大正時代の映画と前衛主義―

四方田犬彦/著

2,592円(税込)

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発売日:2016/11/30

読み仮名 ショメイハカリガリタイショウジダイノエイガトゼンエイシュギ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 298ページ
ISBN 978-4-10-367109-1
C-CODE 0095
ジャンル 演劇・舞台、映画
定価 2,592円
電子書籍 価格 2,074円
電子書籍 配信開始日 2017/05/05

みずから進んで映画評を執筆した谷崎潤一郎。日本最初の表現派映画を試みた大泉黒石と溝口健二。新感覚派の小説家たちの協力を得て、前代未聞の前衛映画『狂つた一頁』を製作した衣笠貞之助——精神病院を舞台に、狂人の妄想をグロテスクに描き出した『カリガリ博士』が日本の芸術家たちに与えた衝撃を精緻にたどる評論集。

著者プロフィール

四方田犬彦 ヨモタ・イヌヒコ

1953年大阪府箕面生まれ。東京大学で宗教学を、同大学院で比較文学を学ぶ。エッセイスト、批評家、詩人。文学、映画を中心に、多岐にわたる今日の文化現象を論じる。明治学院大学、コロンビア大学、ボローニャ大学、テルアヴィヴ大学、中央大学(ソウル)、清華大学(台湾)などで、映画史と日本文化論の教鞭をとった。著書は140冊に及ぶ。『映画史への招待』でサントリー学芸賞を、『モロッコ流謫』で伊藤整文学賞を、『翻訳と雑神』『日本のマラーノ文学』で桑原武夫学芸賞を、『ルイス・ブニュエル』で芸術選奨文部科学大臣賞を受けた。詩集に『人生の乞食』『わが煉獄』が、訳書に『パゾリーニ詩集』他がある。

書評

二重焼付けの擁護

木下千花

「二重焼付けの生と死」と題された短いエッセイのなかで、フランスの映画批評家アンドレ・バザンは、二重焼付けという映画技法を、まあ大まかに言えば批判している(小海永二訳『映画とは何かII映像言語の問題』)。二重焼付け(スーパーインポジション)とは、その名のとおり、二つの映像を現像時の焼付け、あるいはキャメラ内での二重露光によって重ねる技法であり、映画黎明期のジョルジュ・メリエスの作品以来CGが確立するまで、幽霊のような超常現象、夢や幻覚を表象するトリックとして代表的であった。バザンの批評自体は読み直してみるとなかなか複雑で、奥行きのある映画空間における幽霊の表象の問題を論じてスリリングだ。しかし、一方で、ここでバザンはメリエス=幻想、リュミエール兄弟=リアリズムという二項対立を作り、二重焼付けを前者の代表格としている。それ以来なのかどうか確信はないが、二重焼付けはシネフィル的批評や研究のなかで軽んじられ、ときには愚弄されてきた。いかにもサイレント映画的な視覚効果で時代遅れだ、アレゴリー的で重苦しい、などなど。四方田犬彦の『署名はカリガリ―大正時代の映画と前衛主義―』は、このように抑圧されてきた「二重焼付け的なるもの」の擁護であり、その大正期日本における興隆の顕彰にほかならない。
 そのタイトルとは裏腹に、『署名はカリガリ―大正時代の映画と前衛主義―』はロベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』(一九一九年)に代表されるいわゆるドイツ表現主義の日本映画への影響を記述・分析するだけの書物ではない。もちろん、四方田も詳細に跡づけているように、『カリガリ博士』は一九二一年五月に日本で公開され、本書の第一章が取りあげる谷崎潤一郎、第二章の作家・大泉黒石と若き映画監督・溝口健二、第三章が論じる『狂つた一頁』(一九二六年)を撮った衣笠貞之助にも大きなインパクトを与えている。だが、谷崎についての章の中心となるのは『カリガリ博士』公開以前の一九一八年に書かれた短編『人面疽』なのだから、ここで問題になっているのは、ある特定の様式の影響ではなく、映画という最新のミディアムを触媒として大正時代の日本に確かに湧き上がっていた前衛的熱情だったと言える。
 四方田の『人面疽』論は無茶苦茶面白い。『リング』(中田秀夫監督、高橋洋脚本、一九九八年)に着想を与えたことでも知られるこの小説は、ハリウッドから帰朝したばかりの日本人女優・百合枝が撮影した覚えのない映画が場末の館にかかっているという噂から始まる。この映画が語るのは、白人の富豪と結婚するため密航する花魁の膝に、彼女に裏切られ殺された男が「人面疽」として取り憑くという物語だ。作られたはずのない起源なき映画は次々と複製されて増殖し、観者に呪いを伝播してゆくだろう。ここで四方田は、「人面疽」が二重焼付けされているのではないかという可能性(物語上はすぐに否定される)に着目し、「人面疽」と女性器の類似を指摘してその「不気味さ」を暴き、さらに、光とフィルムの接触によって像を結び、それがシミュラークルとして増殖してゆく映画というミディアム自体の換喩として捉えるのだ。この連想力と構想力、残酷とグロテスク、女性嫌いミソジニーの誘惑。前衛を語る四方田の批評的営為自体がブルジョワ的伝統を攻撃する前衛の身振りに重なり、その結果立ち現れる圧倒的なイメージの連鎖は、まさに「二重焼付け」である。
 溝口の『血と霊』のプリントは失われ、佐相勉らによって文字資料やスチール写真をもとにした復元の試みがなされている。四方田もここに参与し、ロシア人の父と日本人の母の間に生まれた黒石による同名の原作の重層的な語りを分析し、長崎の中華街を舞台にした禍々しい血の呪いの物語を甦らせる。映画『血と霊』に二重焼付けが使われていたかどうか確かめる術はない。しかし、ここで四方田が召喚しているのは、女性をリアルに描いた日本的な名匠だとかいう生ぬるい言葉に埋もれてきた溝口健二の根底にある「二重焼付け」的なるもの―アレゴリーと戯画性への傾き―である。


(きのした・ちか 映画学)
波 2016年12月号より

目次

谷崎潤一郎 1918
巣箱を出た小鳥/谷崎潤一郎の映画時代/『カリガリ博士』の評/『人面疽』を読む/後の映画化/女性性器はなぜ不気味か/性器開闢の神話/エピローグ
大泉黒石と溝口健二 1923
フィルム復元の試み/混血作家と新進監督/『血と霊』を読む/映画化の不運/エピローグ
衣笠貞之助 1926
発見された実験作/女形役者、監督となる/製作と公開/『狂つた一頁』を観る/狂気の政治/エピローグ
署名はカリガリ
後記

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