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「春は曙」と「春宵一刻直千金」――いずれの春がお好きですか?

和歌で感じる日本の春夏

松本章男/著

2,376円(税込)

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発売日:2014/05/22

読み仮名 ワカデカンジルニホンノハルナツ
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 334ページ
ISBN 978-4-10-370802-5
C-CODE 0095
ジャンル 詩歌、ノンフィクション
定価 2,376円
電子書籍 価格 1,901円
電子書籍 配信開始日 2014/11/14

若い女性が袂にしのばせた梅の花の香。業平や西行が深く愛した桜。待ちつづけていても鳴いてくれないほととぎすの声。暗闇にほのかな光をともす蛍。初霞に春の到来を予感し、新緑とともに衣を更えてきた日本人が、いにしえから折にふれ愛しつづけてきた春夏の風情を、王朝時代から幕末までのさまざまな和歌を通じて楽しむ。

著者プロフィール

松本章男 マツモト・アキオ

昭和6年、京都市生まれ。京都大学文学部仏文科卒。出版社勤務を経て文筆業に。平成21年、『西行 その歌その生涯』でやまなし文学賞受賞。

目次

春歌の部

若菜・若草
残雪・解氷・余寒
梅の花
梅が香
うぐひす
春曙・春夕

春雨・春駒
早蕨

やまざくら
帰雁・燕
山の桜
吉野ざくら
惜花
桃の花
すみれの花
雉・雲雀
山吹
苗代・かはづ
つづじ・藤
かきつばた・暮春
夏歌の部
更衣・新樹
卯の花
ほととぎす(一)
ほととぎす(二)
ほととぎす(三)
花たちばな
楝・早苗
あやめ
五月雨
ほたる・ともし
なでしこ(一)
なでしこ(二)
鵜川・水鶏
夏草
蚊遣火

蝉・ひぐらし
夏の夜の月
夕立
納涼
夏越し
作者名一覧
収載歌一覧

インタビュー/対談/エッセイ

波 2014年6月号より 月の光は広沢の池

松本章男

開口一番、「松ちゃん、嵯峨で月見をしようや」。平成三年九月初め、東京から、遠藤周作大兄の不意の電話であった。
秋は未だし。時宜として適っていないが、この月見について書かせていただく。
古来の月の名所といえば、信濃の更科や瀬戸内の須磨・明石など。ところが《更科も明石もここにさそひきて月の光は広沢の池》と慈円が詠じているほどで、平安末期ごろから京都では嵯峨広沢の月が大いに賞美されてきた。遠藤大兄から一任されて私は、後の月見、場所を狐狸庵からも遠くない広沢の池と定め、保津川くだりの高瀬舟を一艘、トラックで池まで運んでもらうことにした。
中秋の名月は秋雨前線に隠されてしまう年がしばしば。後の月は天候にわざわいされることが滅多にない。この平成三年は十月二十日が後の月、旧暦九月「十三夜」にあたっていた。中秋を回避したのは結果的に正解だった。
大兄の遺されている「『深い河』創作日記」から一文を拝借する。

十月二十日(晴)――文字通り秋の長雨の後、久しぶりの晴。[中略]十時八分の新幹線にて京都に赴く。友人たち国際ホテルに投宿。月見の時間にはまだ余裕があるのでタクシーにて京都芭蕉庵に赴き、庵の裏にある蕪村の墓を拝す。
五時、嵯峨の家〔狐狸庵〕に行く。先着した順子を拾って広沢の池に。ようやく月が雲より現われ、月見に絶好の夜となった。船頭、竿をたぐり池畔の葦の近くに船を停めて、中川(善雄)先生の笛を聴く。月光波にゆれ、森のなかで鷺の声が時折鋭くきこえ、満天の星、笛の調べ、幻妙。言葉につくせぬ一時間だった。船は池を一周して岸に戻る。一同狐狸庵に戻って夜餐、談笑。十時に散会。

月見は、私の家内もお相伴にあずかり、十二名となった。雲から逃れ出る月を待った舟上で、私は《山の名のしめすごとくに月よいま遍(あまね)く照らせ広沢の池》と一首をひねった。池の背後の小山を遍照寺(へんじょうじ)山とよぶ。その昔、池畔に、弘法大師の教えを学ぶ遍照寺があった。お遍路の笈摺(おいずる)の背の「南無大師遍照金剛」の文字までふと浮かんで、体をなした腰折れである。
中川善雄師は和笛の名人。月光が池面に冴えるなか、舟の舳先に立って、横笛と篳篥(ひちりき)を吹き分けてくださった。舟底にコトコト音がして飛沫(しぶき)がたち、鯉や鮒が寄ってきた。跳ねあがった小鮒一匹が私の膝に落ちてきた。
平家物語』「大臣流罪」の段は、清盛によって東国へ流された太政大臣師長(もろなが)が琴に秀でていたと述べ、「瓠巴琴(こはきん)を弾(たん)ぜしかば、魚鱗(ぎょりん)躍りほとばしる」と語る。瓠巴は楚(そ)の国の人で琴の名手だったと伝わる。この人が琴を奏でると鳥が舞い魚がおどったと『列子』にみえる。広沢の池の魚も名人の笛の音に歓喜してくれたのだ。
大兄の代表作『沈黙』は新潮社の刊である。嵯峨の狐狸庵はその印税で建った。大兄が平成八年九月二十九日に他界されて、「『深い河』創作日記」も載る『遠藤周作文学全集』は、これまた新潮社から刊行されている。
大兄が狐狸庵で使っていられた仕事机を、形見として、順子奥さまから私は拝領した。今はすっかり私の仕事机になっている。私のこのたびの新著二冊も、形見の机で書きあげた。不思議なことに、この机で原稿紙にむかい呻吟するさなか、虚空から「松ちゃん、頑張れよ」と、大兄の声が届くのを覚える。背後から大兄に覗きこまれている気がすることもある。今回もそういう感応がたびたび起こった。
私は仏教徒。天国ではキリスト教も仏教も隔てなく流通しているだろう。いつの日かパウロ遠藤と逢えるかもしれない。
順子奥さまから聞きおよぶところ、月見から東京へ帰られた大兄は、数日後から、遺作となった『深い河(ディープ・リバー)』の本格的な執筆に入られたそうである。

(まつもと・あきお 随筆家)

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