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なんで僕はこんなところにいるんだろう?
日本人の心の百年を辿る壮大な長篇小説。

草薙の剣

橋本治/著

1,836円(税込)

本の仕様

発売日:2018/03/30

読み仮名 クサナギノツルギ
装幀 平野甲賀/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 348ページ
ISBN 978-4-10-406115-0
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,836円
電子書籍 価格 1,469円
電子書籍 配信開始日 2018/09/07

62歳から12歳まで、10歳ずつ年の違う6人の男たちを主人公に、その父母や祖父母まで遡るそれぞれの人生を描いて、敗戦、高度経済成長、オイルショック、昭和の終焉、バブル崩壊、二つの大震災を生きた日本人の軌跡を辿る。戦後日本の行き着いた先である現代のありようを根底から問い直す、畢生の長篇小説。作家デビュー40周年記念作品。

著者プロフィール

橋本治 ハシモト・オサム

1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。小説・戯曲・評論・エッセイ・古典の現代語訳・浄瑠璃などの古典芸能の新作ほか、多彩な執筆活動を行う。2002年『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞を、2005年『蝶のゆくえ』で柴田錬三郎賞を、2008年『双調 平家物語』で毎日出版文化賞を受賞。著書に、『窯変 源氏物語』『巡礼』『リア家の人々』『ひらがな日本美術史』『失われた近代を求めて』『浄瑠璃を読もう』『九十八歳になった私』など多数。

書評

幻想と挫折の向こうへ

津村記久子

 電車や喫茶店で偶然すれ違うような人の人生こそが秘匿されていると強く思うことがある。特急で席を譲ろうとしたら「いいわよいいわよ」と笑いながら強く断ってきた老嬢や、ある駅で「回数券に領収書は出せない」とむやみにあしらってきた、昔は男前だっただろうという顔立ちの中年の駅員の人生を、わたしはどれだけ知りたくても知ることはできない。他の見ず知らずの他人に関しても、これだけ自分語りの道具があらゆる人間に開かれた時代になっても、知ることができるのは編集が加えられたその人自身のある側面だけであって、実感とは平行線のままだ。
 それだけ目に見えにくいものでも、自分には他人について知る必要があると思う。権力があったり声がでかかったりする人が図面を引いた「こうだよ」ではなく、1つ1つの実感を積み上げてできあがる「本当はこうなんじゃないか」の土台が欲しいのだ。無数の個人がうごめく世間を、概要ではなく1人1人の実感の側から知るのは難しい。想像することすら骨が折れる。わたし自身も、自分の親の気持ちさえ想像できないし、わかろうともしていない気がする。本書では、そのひどく困難な作業が実を結んでいる。貪るように読んだ。
 第二次世界大戦の後の日本人についての図鑑であるように思えた。戦後の苦しみから復興を経て、外部から示される豊かさを忠実に追いながらやがて挫折し、東日本大震災後の荒地を心に刻みつけるまでの、集団としての日本人の変化が、様々な時代の登場人物の人生の一場面を通して描かれる。本書で描かれる戦後の日本人の姿と切っても切れない関係にあるのが、その時代の人々を取り巻いて腕を引いてくる、執拗な幻想の在り方である。1970年代の始めを生きる昭生の兄の、傲慢さすら通り越した「欲しいものは時代と都会がその場その場で与えてくれる」とでもいうような浮遊の感覚、1980年代の初頭における夢生の母親が自らを「永遠の少女」とみなす万能感、1980年代の終わりで常生の母親がトレンディドラマを観ているときに感じさせられる「既に豊かなのに、まだそれより上の豊かさをこそ〈中流〉のように示される」ことの苦しさなど、登場人物たちの気分はその時代の高揚の裏面を的確に映し出す。これらの時代の残映は、1つの属性のように受け継がれ、どこか地に足が着かなくて、根拠のない万能感を隠し持っていて、そこそこ豊かなのに足りないものばかり数えている今の日本人の姿をも批評しているように思える。
 継承が断ち切られる事態も、本書では容赦なく書かれる。もっとも顕著なのは、戦後を生き抜いた豊生の父と、50歳を過ぎても定職に就かない豊生という対照的な親子だろう。納得のいく学歴を持てなかった父は表層的に息子へその無念を託そうとしたものの、息子はやはりそれに表層的に反発して、「自由」の名の元に人生を使い果たそうとする。彼らのほか何組かの、理解し合えないながらもどこまでも特別ではない親子の齟齬を示されながら、親子という関係が確保してきたはずの信頼すらも、本当は幻想なのではないかと思えてくる。親は子を幸せにできるとは限らないし、子が親を幸せにしてくれる保証はない。役割と役割が保証するのは扶養の義務であって、幸福は各々が見つけようとしなければ訪れないのだ。最終盤における「がんばったら何でも手に入る」という通念を過信しているかのような凡生の母親と、彼女と戦えないその夫である父親に対して、凡生が精一杯の反発を試みる場面には、親子の解体を、家族の幻想が叶えられなかったからというような曖昧な理由では決して受け入れないという強い身振りがある。
 ずっとがんばってきた。数十年かけて、豊かさや安定を手に入れた。なのになぜこんなに満たされないのか。終わらない不定愁訴の本質には、外側から提示される豊かさを忠実に追い求められる日本人の性質と、表裏一体と言える幻想への盲信があるのではないかと本書を読むと思えてくる。過去は変えられない。過去が積み上げてきたものだってある。けれども、失望も知ったのだ。凪生がある時点で感じるように、「僕達はここ・・からスタートするしかない」。本書はその場所において、日本人が見たどんな幻想が自分たちの重荷になってきたか、何を捨てるべきなのかを、改めて考え直させてくれる本であるように思う。

(つむら・きくこ 作家)
波 2018年4月号より
単行本刊行時掲載

目次

第一章 息子達
誰もいない世界/昭生/昭生と兄/常生の母/ベビーブームが終わる時/昭生の旅立ち/都会の暮し/昭生の就職/昭生の兄の結婚
第二章 終わってしまった時代
豊生の父/すべてを失う時/焼け跡にて/戦後という時代/豊生の家/終わってしまう時代
第三章 始まらない時代
自由の始まり/夢生の登場するステージ/夢生の誕生/女達/穏やかな日々/片隅の女/一九八五年の空の下
第四章 よどみ
知らずに下り階段を行く/はじけるバブル/父親はまだ若い/意味不明のままに庇護者が消える/人を殺す子供
第五章 草薙の剣
内側から湧いて来るもの/少年達の世紀末/錆びて行く時代/普通の人達/帰郷/母の反撃/昭生の結婚と二〇〇六年の出来事/二つの離婚/時間だけが過ぎて行く/大震災/第一世代の退場/草薙の剣/エピローグ

インタビュー/対談/エッセイ

「人のいる日本」を描きたかった

橋本治

『草薙の剣』は、私の作家デビュー40周年の記念作品らしいです。他人事みたいな言い方ですが、私にはそんな自覚がありません。思ったのは「もう年だな」だけでした。
 こういうものを書こうと思ったのは今から8年前のことで、東日本大震災の起こる前年の秋です。その初めのタイトルは『四十の夏 六十の夏』というもので、なぜそんなへんなタイトルになったのかというと、その夏の東京の最高気温が連日35℃を超すというとんでもないものだったからで、「若い頃にエアコンのない夏を過ごしていた若者は、その後と今の夏をどう思っているのか?」と考えたからです。
 そういうことをお互いにあまり関係のない40男と60男を対象にして書こうと思ったのは、人ではなく社会――「人のいる時代」を書きたかったからですね。
 その以前に私は『巡礼』『橋』『リア家の人々』と3本の長篇小説を立て続けに書いて、それを「昭和三部作」という言われ方もしていましたが、私は「人」を書いたつもりで「時代」はその背景です。私には「昭和」という時代を特別視する頭も、その後の「今」を特別扱いする考えもなくて、それを言うなら、まだ「時代を描く」ということをしていない。それで「どうすりゃいいんだ?」とふらつきそうな頭で考えていたら、「難病です、すぐ入院して下さい」と言われて、たっぷり1年間、私の頭は使いものになりませんでした。
 東日本大震災の翌年になって「新潮」誌の担当者が「で、長篇の方はどうですか?」と言って来て、「四十と六十の二本じゃ時代を描く柱にはなんねェな、精々中年のノスタルジーだよな」と思って、もう1本柱を増やして『二十の夏 四十の夏 六十の夏』と考え方を改めたが、話を複雑にし過ぎてどう考えたらいいのか、その体力がないのでまた1年ぼーっとしていたら、今度は「現代の八つ墓村」と言われるような連続殺人放火事件が起こって、その犯人像が痛ましかったのでこれを小説にしようと考えましたが、『巡礼』の同工異曲にしかならないような気がしてやめました。
 それでまた年が過ぎて、2014年になると「酒鬼薔薇世代の犯罪」というのが登場します。私には「酒鬼薔薇世代」という括りが意味を持って存在していたという認識がなく、「その世代の犯罪」が何年も前からあったということを知らなかったのですが、週刊誌の編集者が「その件についてどう思います?」とやって来たので「あったんだ」と思い、相手もまた「その世代」だったので、「あなたはどうなの?」と逆に尋ねてしまいました。その答が「やっぱりちょっと不安ですね」だったので、私はやっと「重要なのは事件の当事者ではない。事件の外にいる人だ」ということに気づきました。
 時代というものを作る膨大な数の「普通の人」は、みんな「事件の外にいる人」で、たとえ戦争の中にいても、身内が戦死したり空襲で家を焼かれたり死んだりした「被害者」でなければ、「自分達は戦争の中にいた当事者だ」という意識は生まれにくいでしょう。だから日本人は、戦争が終わっても、戦争を進めた政治家や軍人を声高に非難しなかったのでしょう。ただ空襲の跡の廃墟に立って、流れる雲を眺めている――それが日本人の「現実」との関わり方なんでしょう。
 アプローチの仕方は分かったので、2014年に31歳になる酒鬼薔薇世代を軸にして、その年に61、51、41、21歳になる5人の人間を設定して、私の持っている1年刻みの年表に嵌め込んで、人間の造形をしました。「事件の外の人間」なので、それは当然「機械的に選ばれた任意の5人」でしかないわけですが、彼等の両親、あるいは祖父母がいつ生まれたのかという条件を同じ年表に嵌め込むと、日本人5人の興味深いプロトタイプが出来上がってしまいました。
 そういう準備を終えて2015年に書き始めようとしたら、中学生になったばかりの男の子が冬の河原で仲間に殺されるという事件が起こったので、1年明けて12歳になる人間も必要だなというので、登場人物は6人になり、その時点でまだポケモンGOは存在していませんでした。

(はしもと・おさむ 作家)
波 2018年4月号より
単行本刊行時掲載

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