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骨、墓、棺……埋葬から見えてくる、ヨーロッパの“裏側”に注目せよ。

身体巡礼―ドイツ・オーストリア・チェコ編―

養老孟司/著

1,620円(税込)

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発売日:2014/05/30

読み仮名 シンタイジュンレイドイツオーストリアチェコヘン
雑誌から生まれた本 考える人から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 175ページ
ISBN 978-4-10-416007-5
C-CODE 0095
ジャンル 社会学、地理・地域研究
定価 1,620円

向き合った死体、3000。身体を通して人間を観察し続ける解剖学者が、中欧を歩く。世界遺産の骸骨堂、ハプスブルク家の霊廟、ユダヤ人墓地、カトリック聖地、心臓信仰、黒聖母様、意匠を凝らした墓の数々……無言の死者が伝えるのは、科学をもたらした理性と身体古層の、矛盾か融合か。写真満載のヨーロッパ異聞がここに。

著者プロフィール

養老孟司 ヨウロウ・タケシ

1937年、鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年より同大学名誉教授。著書に『からだの見方』(サントリー学芸賞受賞)『形を読む』『解剖学教室へようこそ』『日本人の身体観』『唯脳論』『バカの壁』『養老孟司の大言論I〜III』など。「身体の喪失」から来る社会の変化について探究しており、前作『身体巡礼』では、ドイツ、オーストリア、チェコを、『骸骨考―イタリア・ポルトガル・フランスを歩く―』はイタリア、ポルトガル、フランスを舞台に、その思索を深めようと試みている。

書評

身も蓋もありません

高橋秀実

 前作『身体巡礼―ドイツ・オーストリア・チェコ編―』と、その続編である『骸骨考―イタリア・ポルトガル・フランスを歩く―』を一気に読み、私はヘンな夢を見たような心地に包まれた。
 ヨーロッパに出かけたはずなのに、出てくるのは骸骨ばかりという夢。そこに養老孟司先生が現われ、ぶつぶつ何かをつぶやいている。その一つひとつに私は感銘を受けるのだが、何を言われたのかよく覚えていない。しまった、きちんとメモを取っておけばよかったと後悔するのだが、幸いこれは夢ではなく本なので再読できる。そこで冒頭からまた読み直してみるのだが、夢の中で夢を見るようで、どうやらこれは旅行記というより、読者の意識を非意識の世界に組み替えていく、一種のだまし絵のようなのである。
 両書ともヨーロッパのお墓への巡礼の記録なのだが、そもそもなぜヨソ様の墓を巡るのかというと、ご本人曰く「どうしてこんなこと、始めちゃったのかなあ。自分でもよくわからない」。目的は無視。目的とは物事を意識化することで、先生が追究するのは意識ではなく身体性なのだ。意識を排除しているのか、先生はパリのサン・ドニ大聖堂(フランス歴代の国王の墓所)でも、内部を一巡したものの、「驚くべきことに、ほとんどなにも覚えていない」。ミラノの納骨堂で骸骨の山を見ても「なにもいうことがない」と言い切ったりする。室内装飾のすべてが人骨でできているローマの骸骨寺では「私が訪問するのはたしか三度目だが、だからどうしたというようなもので、何度行っても、変なところだなあ、で終わる」とつぶやく。終わっちゃうの? と意識的な私は驚いてしまうのだが、確かに私も旅で何かを発見することなど滅多になく、意識的に「あった」フリをするだけなのである。
 大体、意識っていうヤツは、という具合に先生の意識批判は四方八方に炸裂する。イエズス会、忠臣蔵、ノーベル賞、数学、ホテルのサービス、「愛してます」のウソ……。STAP細胞騒動についても、論文のタイトルの中にあった「記憶を消去し初期化する」という一節をコンピュータ用語だと指摘する。「実体より、解釈や比喩が明らかに先行」しており、生物をコンピュータと似たようなものとして扱う「意識」の思い上がりだと糾弾するのである。「現代人の悪癖」は「なにごとも理解でき、説明可能」だと思うこと。そもそも世界に筋など通っておらず、筋が通っているように思うのも「意識」の勘違い。「世界は意識的にコントロールできる」などという発想こそ「最悪の癖」なのだ。先生ご自身も論理性が高い学問などは「脳の中でしか成立しないはず」なので信用できず、だから虫捕りに励み、一万頭ものゾウムシの標本をつくったりしているらしい。
 それで骸骨? と私は思った。骸骨は人なのに意識がなく身体そのものかと思いきや、そうではない。骸骨は「情報を象徴している」という。意識が扱えるのは情報のみだが、先生の定義によると「情報」とは「時間とともに変化しない」もの。いうなれば固定化された過去であり、骸骨も過去だとするなら、そこから離れることが「すなわち生きることである」と気がつくのである。「いまごろ『生きる』ことに気が付いても遅いわ」と自嘲しつつ。
 ちなみに養老先生によると、自分が死んだとは意識できないから一人称には死がない。私たちは生きている限りずっと生きているわけで、その「生きている」というのも意識である。身体があって意識がある。意識が身体を意識する。ということは私たちが考える「身体」も情報のひとつではないかと私は思ってしまうのだが、それを言うと身も蓋もない。しかし「身も蓋もない」とは器がないということで、それで骨壺もなく露出した骸骨だったのかもしれない。
 ともあれ、身体や意識について考えることは生身の人間には本当に面倒くさいですね。養老先生も早く虫捕りに行きたいようだし、さしたる目的もなく生きている私は「それでいいに決まってる」と太鼓判を押してもらったようで、だから先生の本を読むとハッピーな夢見心地になるのだろう。

(たかはし・ひでみね ノンフィクション作家)
波 2017年1月号より

目次

【第1章】ハプスブルク家の心臓埋葬
ヨーロッパの長い歴史は、無数の死者と共にある
【第2章】心臓信仰
日本人には見えない、ヨーロッパの古層
【第3章】ヨーロッパの骸骨
チェコ、4万体の人骨で装飾された納骨堂
【第4章】内なるユダヤ人
埋葬儀礼はヒト特有のもの
【第5章】ウィーンと治療ニヒリズム
脳化社会と身体の喪失、その問題の萌芽を探す
【第6章】自己と社会と
身体と表裏一体に存在する、意識と脳についての考察
【第7章】墓場めぐり
死を受け入れた身体の扱われ方に表象する死生観
【第8章】お墓が中心
名もない死体が目の前に流れ着いたとき、あなたは
掲載写真について

その場に身をおくということ

インタビュー/対談/エッセイ

未知の身体世界へ

養老孟司内田樹

【『身体巡礼』&『日本の身体』2冊刊行記念“非同席”対談】

「身体」を考え抜いてきたおふたり、著作が同時刊行です(どちらも『考える人』連載)! 互いの原稿を読んでもらい、それぞれへのインタビューをもとに、編集部で対談形式にまとめました。

内田 ついに出ましたね、『身体巡礼』。以前に凱風館にいらしてくださったときはちょうどドイツ、オーストリア、チェコへの取材旅行から戻られたころで、写真を見せていただきました。
『考える人』での連載でしたが、こうしてまとめて読むと、墓と死、文明と自然についての養老先生のこれまでの思索の総集編を、高速度で一覧させていただいたような読後感でした。

養老 ぼくの書くものは文明批評だ、とよく言われます。ただ、文明は意識的なものです。文明の中で無意識や無益なものにこそ、もっと考えるべきことが出てくる。「あまりもの」を考えることが面白いんです。

内田 「あまりもの」ですか?

養老 そう。生きていたら、死体は必ず出ますよね。今は出た瞬間にすぐに火葬場で燃やしてしまう。まるでゴミと同じ扱いです。日本はその点徹底していますよ。でも、もちろんゴミではないから、簡単に捨てるようなことはしない。で、どう“処理”するかには、それを扱う人の「身体性」が出るわけです。

内田 ご覧になっていた中央ヨーロッパの墓地や霊廟の風景は、そのものが主題なのではなく、それに触発されて先生の思考回路が起動するための「きっかけ」となるわけですね。

養老 実用性や有用性が一見なさそうに見えることこそ、無意識に必要とされていて、身体の求めているものが如実に出てくるんです。身体とは無意識に扱うべきもの。その扱い方を探求したくて旅に出ました。それさえも意識的なんですけどね。だから完全にわかるわけがない。できるだけ近づく、という程度です。
 日本人は有用性や実用性ばかりに目を向けていて、ヨーロッパ人は理性的、合理的だと思っているけれど、そうではないということは理解しておくべきですね。合理性や意識とは違う、人間自身が身体を扱うことの探求をしていると、無意識の芯が必ず残る。

内田 確かに、心臓信仰の章でびっくりしたのですが、養老先生がさまざまな心臓信仰の事例を列挙されたあとに「『なぜ心臓なのか』という問いには、だから正確な解答はない。『長い間になんとなくそうなっちゃったんだろうなあ』とでも無責任にいうしかないのである」と書かれています。まさにその通りですよね。
 燃える心臓の幻覚を見た17世紀の修道女マルグリット・マリー・アラコックが列聖されたのが1920年と聞くと、確かに「欧州というのは、私にはわからない所なのである」という感懐もごもっともです。昔の話ではないわけですよね。

養老 簡単にわかることって気をつけた方がいいですよ。

内田 想像を膨らませてみると、修道女が経験したのは、おそらくリチャード獅子心王や聖王ルイと同一のコスモロジーが生み出した幻想の一部なのでしょう。それは、レヴィ=ストロースがあらゆる重要な社会制度がそうだと言ったように、人類史の闇の中に消えて、遡及しがたいものです。
 遡及しがたい起源については「長い間になんとなくそうなっちゃったんだろうなあ」と解答するのがその語の本来の意味での科学的な態度だと思います。起源が定かでない思考や感覚はまさに「謎」であるがゆえに知性を活性化するわけですから、うっかり「この制度の意味はしかじかである」などと性急に定義しない節度の方が「知性フレンドリー」な態度ですよね。

養老 内田さんはいつもうまくまとめて表現してくれるから助かる(笑)。

内田 だって、養老先生は基本「知性フレンドリー」ですよね。この本では他にも「治療ニヒリズム」についてこう書かれています。「私が治療ニヒリズムという言葉を知ったのは、W.M.ジョンストンの『ウィーン精神』である。ただし記述が十分には理解できなかったから、かえって記憶に残った」とある。
 そういうものなんですよね。「喉にささった魚の小骨」のようなものが、それからあとの知性の方向性を決めるということがあります。

養老 読み解いてくださってありがとうございます。世の中なんて、わからないことだらけですよ。ひとりで理解できる量なんて、たかがしれているし。その意味で、『日本の身体』も読ませてもらいましたが、『身体巡礼』と共通する部分が多い。

内田 そうでしたか。どのように読まれたでしょうか?

養老 日本の歴史上、身体の方が重要な役割を担っている時代があるんです。その時代は、縄文、鎌倉、戦国時代。この“身体の時代”の生きている部分を現代に見いだす一冊が、『日本の身体』だと思いました。かつてあった日本の身体を現代に見いだして評価する一冊というかね。

内田 そうだったのか(笑)。実は、この本は、誰とどういう話をするかについて、最初から仮説があってそれに基づいて進めていたわけではなく、身体技能の優れた方達とやりとりをしていくうちに、徐々にぼくの身体論のかたちができていったものなんです。

養老 身体のことって必ずそうなりますよ。時間を経ることが必要になる。

内田 もともと、専門職の職人の話を聞くのが大好きなんです。この本でお会いした12人(千宗屋、安田登、桐竹勘十郎、井上雄彦、多田宏、池上六朗、鶴澤寛也、中村明一、安倍季昌、松田哲博、工藤光治、平尾剛。敬称略・掲載順)は、まさに身体に関する専門家という顔ぶれになりました。
 話す中では、特にリアリティの厚みや手触りを伺いたかったんです。僕自身は理屈っぽい人間なので、身体実感といった生の話を聞けば、その原理がわかるかもしれないと思ってわくわくして。逆にさらさらと答えられては困るくらいで(笑)、たくさん宿題をいただくという姿勢でのぞみました。聞いた話のうちの7割くらいは無事に「喉にささった魚の小骨」となりまして。この宿題の量が多ければ多いほど、ぼく個人にとっては生産的でお得でした。残された技法の情報よりも、情報になっていない生ものにこそ価値があるように思います。

養老 『平家物語』と『方丈記』が身体の鎌倉時代の代表的な文学ですが、どちらも「諸行無常」から始まっていますよね。これを僕は偶然だとは思っていないんです。モノは残らない、そう言っているわけです。貴族の情報化社会の頭では、永続するものとなっているけれど、あそこで意識に対比して「身体」が発見された。つまり、時を経ても変わらないものだったが、そうではないとここで「発見」された。諸行無常という、モノが残るかどうかにこだわらない時代になった。
 運慶湛慶も突然変異のように出てくるけれど、その時代の象徴なんじゃないですかね。『日本の身体』の表紙は山口晃さんが描かれていて、そこがうまく表現されていますね。

内田 ほんとうにうまく描いてくださいました。

養老 鎌倉に生まれ育ったせいか、そんなことを考えます。身体の時代は、遺跡もあまり残らない。残そうと思っていないから。だから、理論化されていない人の、理論ではない話にこそ面白いことがある。

内田 確かにそうですね。雅楽演奏家の安倍季昌さんのお話で、儀式自体が終わってご自分の御勤めを終えられた天皇陛下が、安倍さんたちの音楽が終わるまで寝ずにずっと待っておられるというお話は忘れることができません。天皇論をしたいわけではないのですが、細かい身体技法を聞くうちに、天皇陛下のお仕事がいかに大変なものか、どれほどの信頼関係があるか、リアルにそばにいる人から聞くと、まったく違ってきました。

養老 その肌触りこそ貴重ですね。12人の方と話す中には、そういうことも多かったでしょうね。

内田 そういうことだらけでした。たとえば、桐竹勘十郎さんの取材の際、途中から撮影のために左遣いと足遣いのふたりも入ってきたんです。そのふたりと勘十郎さんのやりとりといったら。アイコンタクトもなく無言のやりとりが続き、以心伝心の状態でした。言語を介さずに相手の欲するものをとらえる絶妙の共感力、あれは、活字になりませんでした。
 千宗屋さんのお茶時の濃密感もそうです。なにより驚いた。あれほど茶室の空間が変容するとは思わなかったんです。宗屋さんが創りだす空気の濃さ、場を生む魔術的な力というのは、やはり活字になりません。

養老 この二冊は、どうも対照的でぜんぜん違いますね。共通性は大いにあるんだけれど、片方は生きていて、もう片方は死んでいる。

内田 『日本の身体』が生きていて、『身体巡礼』が死んでいるんですか?

養老 そう。生きている方は役に立つけれど、死んでいる方は役に立たない。有益と無益。だってこっちは、死体がたまっちゃうからどうしよう。この目の前の死体、どう片付けたらみんな納得するかな。そこからですからね。

内田 後始末なんですね。

養老 そう、こっちはなんだかしらないけど、後始末が好きなんですよ。内田さんは前倒しでしょう。だから政治もお好きだと思う。でも、身体には右も左もなくて、中立的。

内田 後始末と前倒し……。編集部の方から聞きましたが、先生の身体性に対する考え方がまとまっているのは『日本人の身体観の歴史』(法蔵館)と『身体の文学史』(新潮選書)だとうかがいました。今度読んでみようと思っています。

養老 僕の本を読んでも人生の足しになりませんよ。とにかく死んでいて無益ですから(笑)。

(ようろう・たけし 『身体巡礼』著者、解剖学者)
(うちだ・たつる 『日本の身体』著者、凱風館館長)
波 2014年6月号より

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