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フィリピンの流儀を通した父はかつての日本人に近かったのかもしれない。

R.S.ヴィラセニョール

乙川優三郎/著

1,512円(税込)

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発売日:2017/03/30

読み仮名 アールエスヴィラセニョール
装幀 大輪眞之/カバー写真、尾崎浩司著『THE BAR RADIO COCKTAIL BOOK The Revised Edition』(幻冬舎)/カバー写真、 Jessie Pido/カバー裏写真、EyeEm/カバー裏写真、Getty Images/カバー裏写真、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 222ページ
ISBN 978-4-10-439307-7
C-CODE 0093
ジャンル 文学賞受賞作家
定価 1,512円

レイ・市東・ヴィラセニョールは房総半島に染色工房を構え、成果をあげかけていた。その矢先、父は病身をおして独りフィリピンへの一時帰国を望む。運命を狂わされ、独裁政権から逃れてきた父を駆り立てるものは何か。現代琳派に共鳴しつつ、母の国の伝統に立ち向かう娘のめざすところとは。広がり深まる乙川文学の最新長篇。大佛次郎賞、芸術選奨に輝く著者がさらに掘り下げた民族と家族、技芸の世界。

著者プロフィール

乙川優三郎 オトカワ・ユウザブロウ

1953年東京生まれ。外資系ホテル勤務などを経て1996年小説家デビュー。2001年『五年の梅』で山本周五郎賞、2002年『生きる』で直木三十五賞、2013年、初の現代小説『脊梁山脈』で大佛次郎賞、2016年『太陽は気を失う』で芸術選奨文部科学大臣賞、2017年『ロゴスの市』で島清恋愛文学賞。著書に『トワイライト・シャッフル』『麗しき花実』など。『R.S.ヴィラセニョール』はパッションを抱き、挑むことを怖れぬ人々を描いた長篇小説である。

書評

現代に蘇った「もののあはれ」

島内景二

 人間は誰しも、ままならぬ人生に耐えている。自分さえ我慢すれば、偽りの安寧が得られるからだ。戦後日本の偽りの平和が、永く保たれたのと同じ理屈である。忍従が、近代日本という国家に生まれた者の宿命だった。近代小説は、飽きもせず、そのことを描いてきた。だが、解決につながる行動、すなわち安寧の破壊は、読者に丸投げされていた。
 乙川優三郎は、完成度と芸術性の高い時代小説を書き、多くの読者を魅了してきた。その名声を自ら打ち破り、ここ数年、現代小説に取り組んでいる。彼の場合、破壊は読者の課題ではなく、作者と作品の内部の問題へと転化している。
 いかに美しく破壊し、その後に、どういう文化を創造するか。乙川の勇気は、日本の近代小説の概念を吹き飛ばした。その激しさは、尾形光琳の「風神雷神図屏風」を連想させる。風神と雷神は、「真に美しい日本文化」を守るために凄まじい力を解き放つ。守られる優美な文化とは、酒井抱一の「夏秋草図屏風」にある自然である。破壊と優雅。この対照的な二つの屏風は、もともと裏と表に張り合わされていた。
 新作『R.S.ヴィラセニョール』は現代小説だが、短編時代小説集『逍遥の季節』(二〇〇九年刊)収録の「秋草風」と合わせ読むと、乙川が現代小説に賭けた志が明瞭となる。その志とは、古代・王朝・中世・近世・近代・現代・未来のすべての時間軸と、日本・フィリピン・ハワイにまたがる東アジアの空間軸とを、まるごと一作に集合・集約して圧縮した新しい小説の創造である。私は「文化統合小説」と名づけたい。二つの軸の交叉する原点オーから、新しい日本文化が生まれ出る。
 八年前の時代小説短編「秋草風」のヒロインは、萌。夫と離別し、一人で糸染に取り組んでいる。彼女の力量は、品質にこだわる老舗の主人も認めている。誠実な雛細工職人の男へと傾く一方で、昔からの腐れ縁の男も忘れられない。彼らが、江戸時代の根岸の里から現代へと、一斉に飛び出してきたのが、長編現代小説『R.S.ヴィラセニョール』である。
 ヒロインは、フィリピン人男性の父と、日本人女性の母を持つレイ。彼女は、染色を生業とし、銀座の老舗の主人から評価されつつある。信じた男から妊娠中に捨てられ、気まぐれな画家の男と腐れ縁を続けている。そして、草木染に取り組む、メキシコ人と日本人との血が流れる男の誠実さを信頼している。構成要素自体は「秋草風」と同じだが、『R.S.ヴィラセニョール』には、大きな「命」が宿っている。
 レイの父のリオ・ヴィラセニョールは、激動の現代フィリピンの歴史に翻弄された被害者であり、巨悪に復讐したい一心で日本で暮らしている。彼は、愛する家族を命がけで守る一方で、愛する家族すらも捨て、正義のために命を賭ける。幕末期の勤王の志士たちを突き動かした「やむにやまれぬ大和魂」は、フィリピン人男性の心でもあった。乙川は、日本文化の普遍性を、この文化統合小説で検証しているのだ。
 メスティソ(混血児)であるレイは、「日本の芯」である色合いを求め続けた。彼女が見出したのは、王朝の「蘇芳すおう」の色だった。蘇芳は外来種の植物だが、それを用いて染めた赤紫色は、最も日本的で優美な色として、平安時代に好まれた。レイは、神仏習合以来、異文化を取り入れることで活性化させた「日本文化の生命力」のシンボルだったのだ。
 時代小説「秋草風」に無く、統合小説『R.S.ヴィラセニョール』にあるもの。それは、フィリピン現代史の暗黒面が詳細に語られていることだろう。この部分は、歴史を叙述する文体で書かれている。残酷な歴史は、「世界悪」を象徴している。レイの父は、わが身を暴風に変えてまで、歴史という悪しき運命に抗う。父は、志士のように戦う。そして娘のレイは、蘇芳色が体現している「異文化統合」の力を現代に蘇らせ、日本文化の命を活性化するために、染色の道で戦う。
 レイの日本名は、「市東鈴しとうれい」。「市東」は、蘇芳の色である「紫藤しとう」に通じる。紫の上と藤壺、すなわち『源氏物語』の色でもある。そして、「レイ・ヴィラセニョール」の中には、「鈴屋すずのや大人うし」こと本居宣長の名前が隠されているように思う。乙川は、この文化統合小説で、現代の「もののあはれ」を確立しようとした。『源氏物語』は、二十一世紀に新生した。世界悪と戦う武器となった異文化統合システムは、二十一世紀の文学と文明の新たな芯を作り出す。

(しまうち・けいじ 国文学者)
波 2017年4月号より

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