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愛は裏切り。涙は罪作り。背徳と涙の花園に、ようこそ。

薔薇盗人

浅田次郎/著

1,620円(税込)

本の仕様

発売日:2000/08/25

読み仮名 バラヌスビト
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 282ページ
ISBN 978-4-10-439401-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,620円

親愛なるダディ。報告しなければならない出来事があります──。少年から船乗りの父へ宛てた手紙形式で魅せる「薔薇盗人」。リストラされたカメラマンと、場末の温泉場で出会った中年女との交情が哀切な「あじさい心中」。技巧が光る「死に賃」「奈落」「佳人」「ひなまつり」。短篇の第一人者が贈る6つの感動。

著者プロフィール

浅田次郎 アサダ・ジロウ

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年直木賞、『壬生義士伝』で2000年柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で2006年中央公論文芸賞、2007年司馬遼太郎賞、『中原の虹』で2008年吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を受賞するなど、数々の文学賞に輝いている。他の著書に『プリズンホテル』『蒼穹の昴』『憑神』『赤猫異聞』『神坐す山の物語』など多数。2011年5月からは日本ペンクラブ会長を務めている。

インタビュー/対談/エッセイ

波 2000年8月号より 江戸ッ子の風呂好き  浅田次郎『薔薇盗人』

浅田次郎

 江戸ッ子の祖父母から、「きたない身なりは恥」「まずい食い物は毒」と教わった。家庭教育らしきものはほとんどそれだけであったと言ってもよい。
 祖父はほんの数百メートル先の煙草屋に行くときも、長い時間をかけて髭と髪の手入れをし、よそ行きの服に着替えた。一口食べて舌に合わないと思ったとたん、祖母は鰻屋だろうが蕎麦屋だろうがデパートの食堂だろうが、「出るよ」の一言で席を立った。
 作法というより、心意気であろう。もっとも四十年前の東京ならそうした生き方も通用したが、三ッ子の魂をそののち背負い続けてきた私は、経済的にも人付き合いの上でも、どのくらい損をしたかわからない。幼いころからの習いを、着道楽だの食い道楽だのと簡単に言って欲しくはないといつも思う。
 祖父母はまた、異常なほどの潔癖症でもあった。これも江戸ッ子の習性かも知れない。
 朝に晩に家の隅々まで掃き清め、糠袋で廊下や柱を磨いた。人の目に触れる場所に余分な物は何ひとつ置いてはならず、たとえばチャブ台の上の煙草盆や湯呑みさえも、一服のたびに取り片付けられた。
 何日かに一度は銭湯に連れて行かれた。家には内湯があったが、それは銭湯の代用品とみなされていた。要するに祖父母に言わせれば、足を伸ばせず体も十分には温まらない家庭の風呂は横着なのであった。
 元来、東京で風呂を備えている家は稀であったらしい。だから銭湯に行かずに小さな内湯を使うことは、今で言うならさしずめ、湯舟に入らずにシャワーで済ませるような横着だったのであろう。
 真冬の凍える晩など、銭湯に行くのは億劫だから家の風呂に入ると言えば、「横着をするもんじゃあない」と叱られた。
 ちなみに祖父母は銭湯のことを、「湯屋」と呼んだ。
 おかげで私の湯屋信仰は今日も続いている。現在居住している住宅地には銭湯がないので、週に二度か三度は車を飛ばして健康ランドに通う。そうしなければ体が清潔にならない気がする。
 風呂好きの私の家にはジャグジー付きのバスルームのほかに、独立したシャワールームまであるのだが、それらを朝晩かかさず使用しても、尚かつ湯屋に通わなければ気が済まない。
 どうやら江戸ッ子の風呂好きは、着道楽や食い道楽に並ぶ特殊な習性であるらしい。

 まもなく刊行される短篇集『薔薇盗人』に、「あじさい心中」という作品が収録されている。
 昨年の初夏、福島競馬場に遠征し、飯坂温泉に泊まった折に考えついた小説である。
 風呂好きの私は、ローカル競馬に出かけるときは必ず近くの温泉場に宿をとる。函館ならば湯の川、新潟ならば月岡、福島なら飯坂か高湯である。
 久しぶりに立ち寄った飯坂温泉のさびれようには愕然とした。かつて東北最大の歓楽街と呼ばれた大温泉地なのだが、三分の一の旅館が廃業したという。渓流に面した窓のカーテンを開ければ、向こう岸に並ぶ三軒の大型ホテルが、灯りのない廃屋になっていた。
 仲居の話によると、高速道路が完成し、新幹線が走り、このさきはさぞかし繁盛するだろうと考えていたのだが、どういうわけか凋落の一途をたどったのだそうだ。
 便利になりすぎた、と仲居は嘆いた。つまり東京からやってくる競馬ファンやビジネス客は、悠々と日帰りをしてしまう。泊りがけの温泉旅行にしても、東京駅からわずか一時間と少しでは近すぎる。山形か岩手あたりまで足を伸ばして丁度よいのだから、この辺は素通りしてしまう。もちろん不景気のせいもありますけどねえ、と。
 それなりの説得力はあるけれども、おそらく彼女ひとりの考えではあるまい。温泉場に住まう人々の間の通説なのであろう。
 ともあれ、小説の舞台としては恰好のロケーションである。他人の不幸を飯の種にするのは稼業の性で、たちまち溢るる湯のごとく物語がうかんだ。
 凋落した温泉場。雨に打たれて頭を垂れるあじさいの群。廃屋の窓に翻るカーテン。年増のストリッパーと老いた小屋主。疲れ果てた中年客。俗なる物と聖なる物の混沌。

 ひとけのない大浴場は無闇かつ無意味に広かった。
 露天風呂へと出れば、垣根がわりのあじさいの群生が雨に濡れていた。こういう風景を居心地よく感じるのは小説家だけであろう。
 ストーリーを考える脳とは別の部分で、仲居の説を検証した。
 日本国中どこへ行っても景気のいい温泉場などはないのだから、高速道路や新幹線の開通が原因であるはずはない。不況のせいはもちろんあるだろうが、おのおのの経営努力の甲斐もなく枕を並べてこの有様になったとは考えにくい。
 温泉地の没落については、もっと根元的な、致命的な、むしろ社会構造的な原因があるのではなかろうか。
 私は文才よりも商才に長けているので、こういう検証にはまじめに取り組む。
 温泉地凋落の原因その一――団体旅行の衰退。
 私が子供の時分、東京には町内会なるものが存在した。「何々町」という古来からの町名があり、年に一度か二度、住人たちは一泊二日の温泉旅行に出かけた。しかし東京オリンピックを境に町名は便宜的かつ適当に統合され、小地域の村落的土着性は解消した。私の生家を例に挙げれば、戦前から続く「東京都中野区上町」には町内会が存在したが、「東京都中野区中央四丁目」という表示に変わったとたんから、地域の村落性はなくなり、年に一度か二度の温泉旅行という習わしも喪われた。
 加えて、昭和四十年代なかばからの地価騰貴によって古い住人は去り、不特定多数の新住民たちがやってきた。この現象は都内の全域でほぼ同時に起こったのだから、町内会の団体旅行という習慣も、一斉に消えてなくなったのであろう。
 また、つい先ごろまで行われていた「会社の慰安旅行」というわが国固有の習慣も、このところほとんどなくなってしまった。不景気のせいではあるまい。この種のイベントは時代とともに娯楽性を喪失して一種の「義理事」となり、やがて社長も社員もその馬鹿らしさに気付いて自然消滅した。
 町内会と会社の旅行がなくなれば、温泉地に向かう団体旅行はあらかた消えてなくなる。
 温泉地凋落の原因その二――海外旅行の大衆化。
 思えば私が初めて海外に出た昭和四十九年、四泊六日のハワイ旅行のツアー参加費用は二十万円であった。当時の国民所得や諸物価と比較すれば、ほとんど「洋行」というべき壮挙であった。
 つまり、一般的に旅行といえば、それはまさか海外旅行のことではなく、「一泊二日の温泉旅行」を指したのである。
 この四半世紀の間に、所得も物価も数倍にはね上がったが、唯一海外旅行だけは半額以下になった。今や四泊六日のハワイ旅行は十万円を切る。二十万台の予算といえば十日間のヨーロッパ周遊だが、それとて若者たちの所得からすると、よもや「壮挙」ではあるまい。
 まことにふしぎな話だが、現実は北海道への往復航空運賃とアメリカ各都市へのそれが同額で、さらに誰でも買える格安チケットなるものを購入すれば、アメリカは北海道より安いのである。

 雨にしおたれるあじさいを眺めながら、飯坂に限らず、このさき日本の温泉場はどうなってしまうのだろうと思った。
 私のような風呂好きの江戸ッ子にとって、温泉は何物にも替えがたい悦楽である。しかし、着道楽食い道楽湯道楽の江戸ッ子も、実質的に私の代を限りに死滅するのであれば、少くとも東京に至近の湯泉地は、いかんともしがたい消滅の道を歩むのではなかろうかとも思う。
 この現状を嘆いているのは、むしろ私ではなく、湯屋に行きたくないと泣く私を横着者と叱った、冥土の祖父母であろう。
(あさだ・じろう 作家)

▼浅田次郎『薔薇盗人』は、八月刊

判型違い(文庫)

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