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どこから行っても遠い町

川上弘美/著

1,650円(税込)

発売日:2008/11/21

  • 書籍

捨てたものではなかったです、あたしの人生――。

男二人が奇妙な仲のよさで同居する魚屋の話、真夜中に差し向かいで紅茶をのむ「平凡」な主婦とその姑、両親の不仲をじっとみつめる小学生、裸足で男のもとへ駆けていった魚屋の死んだ女房……東京の小さな町で、ゆるやかにつながって生きる人々の、その平穏な日々にあるあやうさと幸福。川上文学の真髄を示す待望の連作短篇小説集。

目次
小屋のある屋上
午前六時のバケツ
夕つかたの水
蛇は穴に入る
長い夜の紅茶
四度めの浪花節
急降下するエレベーター
濡れたおんなの慕情
貝殻のある飾り窓
どこから行っても遠い町
ゆるく巻くかたつむりの殻

書誌情報

読み仮名 ドコカライッテモトオイマチ
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 304ページ
ISBN 978-4-10-441205-1
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,650円

インタビュー/対談/エッセイ

波 2008年12月号より [川上弘美『どこから行っても遠い町』刊行記念インタビュー] そして人生はつづく

川上弘美

  東京の小さな商店街と、そこをゆきかう人びとの、平穏な
日々にあるあやうさと幸福。名手による待望の連作短篇集。



はじめに小屋があった

――『どこから行っても遠い町』は、東京の東にある小さな商店街と、その町に暮らす人びとを描いた十一の連作短篇集です。ひとつめの短篇が「小屋のある屋上」。「魚春」という魚屋の上に、妙なかたちの小屋が乗っかっていて、そこに男が住んでいるんですね。
川上 『真鶴』という長篇小説のための取材で真鶴をたずねたとき、屋上にへんな小屋が建っている干物屋さんがあったんです。あれはなんだ? あの小屋にはだれが住んでいるんだろう、と考えたのがそもそもの始まりです。
――そうでしたか。はじめに小屋ありきだったとは……。
川上 その干物屋さんのお店のなかに、小説のなかで書いたように、ピカソとコクトーの写真が貼ってあった。
――なんと、ますますびっくりです。
この小説には、「魚春」のほかに、小料理屋の「ぶどう屋」、八百屋の「八百吉」、鶏肉屋の「鳥勝」、喫茶店「ロマン」と、いろいろなお店が出てきますね。
川上 商店街が好きなんです。母の実家が仏具屋で、子どものころから、商売をやっている家になじみがあるんですね。商店街というのは、人が出入りする場所であると同時に、お店の人にとっては暮らしの場でもありますよね。わたしは引っ越しの多い人生を送ってきたんですが、何より好きなのは商店街のある町なんです。いま暮らしている町には、うれしいことに商店街がある。商店街というのはある程度の人口がないと成立しない。いまは地方がたいへんで、たくさんのいい商店街がシャッター通りになってしまっています。むしろ大都市東京の中に小さな商店街が残っている。そういう意味でこれは現代の東京の話だと思うんです。

東京の東と西

――長いことそこに住んでいる人たちもいれば、越してきた若い人もいる。いろいろな仕事の人が出てきますね。
川上 書いていて楽しかったです。お店を営む人たちのほかに、ヘルパーさん、塾の先生、失業した人、アルバイトをする大学生……自分が大企業に勤めたことがないから、いわゆるちゃんとしたサラリーマンというのがわからないんですよ。親類にも友だちにもまっとうなOLやサラリーマンがほとんどいない。困ったものです(笑)。だから、この本で書いたのは、自分のよく知っている世界という感じがします。東京の庶民の暮らしというか。
――『古道具 中野商店』は、東京の西の町の話でした。
川上 わたしは杉並区で育ったんですけれど、父方も母方も、親類はみんな東京の東に住んでいたので、自分の中に西と東が半分ずつある感じですね。
東京の東のほう、いまでは下町とよばれるようなところって、人なつっこいところと個人個人が確立しているところとが一緒にあるような気がするんです。味噌や醤油、お米の貸し借りをふつうにして、近所の人のことはだいたい知っている。でもなんにでも首をつっこむようなことはしない。わたしが小さいころの杉並区も、だれがどういういきさつで結婚したとか、どこに勤めているとか、そういうことを互いに知っていた。それが昭和前半の東京だったのではないでしょうか。人と人との関係がいまよりもずっと濃密だった。
でも、いまでもそういう場所はある、それが東京の小さな商店街なのではないかと思うんです。知りあい同士が道で立ち話をしていたり、顔なじみの商店街で毎日買物をしたり……。そういう場所のことを書いてみたかったんですね。

年上の女たち

――一話目の「小屋のある屋上」にもどると、魚屋「魚春」は、主人の平蔵さんと、源さんという男との二人暮らしですね。どういう関係なんだろう、と不思議に思いますが、屋上の小屋に住む源さんは、死んだ奥さんの愛人だった、と早々に明かされます。
川上 はい。でもその時点では、なぜ平蔵さんが妻の恋人だった源さんといっしょに暮らしているのかというのはやはり謎だった、というか考えていなかったんですが(笑)、書き進めるうち、おしまいの何話前かでわかってきました。
――十一の短篇は、語りが、女、男、女、男……と交互になっていますね。
川上 意識的にそうしてみました。年齢もあえてばらばらにして。
――ほんとうにばらばらですね。小学生から、おじいさん、おばあさんまで。
川上 おばあさんがよく出てくるのが、わたしの小説の特徴かもしれませんね。おばあさん、というか年上の女の人が好きなんです。母の実家の近辺には、生きのいいおばさんやおばあさんがいっぱいいました。自分で仕事をしていて、生活力があるような人が多かった。
――そういう年上の女の人たちが同性の女の人に示す年齢とは関係のない友情みたいなもの、それがまた魅力的でした。
川上 実際には、世の人がいうほど、女の人同士って年齢で差別したりしないでしょう。年がちがっても通いあうものがふつうにある。それにおばあさんの方がずっと格好よかったりするじゃないですか。わたしたちの年代ってけっこう保守的だと思うんですよ。戦争を体験した人たちのほうがずっと過激です。そのおもしろさも書きたいなと思いました。

めでたしめでたしの先

――最後の「ゆるく巻くかたつむりの殻」ですが、最初からこんなふうに終わろうと……思ってないですよね(笑)。
川上 ないです(笑)。でもこの終わり方を思いついたときに、あ、これでこの小説は終われるなと思いましたね。
――「ゆるく巻くかたつむりの殻」というのはなんともすばらしいタイトルです。川上さんが生物学科出身なのと関係がありますか。
川上 ないんだろうなあ(笑)。ひとつめが「小屋のある屋上」で、そのあとも最後に名詞がくる題名にしようと必死で考えたんです。「午前六時のバケツ」「夕つかたの水」……「蛇は穴に入る」のあたりで疲れが出て動詞になってしまって、でも「長い夜の紅茶」はすっと出てきたから、また気をとりなおして。
――「四度めの浪花節」があり、「濡れたおんなの慕情」があり。「四度めの浪花節」に出てくるのは、小料理屋「ぶどう屋」を営む元恋人たちですね。すでに三度も別れている二人が、いっしょに店をはじめる。この央子さんも、魅力的な年上の女性です。
川上 この人好きなんですよ。
――板前の廉は、優しいいい男なんだけど、しょうもないところもある。
川上 ちょっとばかでね。でもそれがいいんですよね。この二人の関係も、恋愛を正面に据えて書いたらなかなか書けなかったと思う。
――つきあって別れて、そしてまたつきあって別れてと繰り返すなかで、見えてくるものがあります。
川上 おひめさまは結婚して幸せになりました、めでたしめでたしのあとを書きたいなといつも思っているんですね。
――「長い夜の紅茶」は、まさにめでたしめでたしのあとの話ですね。語り手は時江という名の三十代の主婦で、姑の弥生という人がちょっと変わり者でおもしろい。時江の日常の、幸せでも不幸でもない感じにとてもリアリティがあります。
川上 戦争もひどい厄災もないなかで普通に生きていくときの、「平凡」といわれるような日常なんだけれど、よくみると、「平凡」な人なんかほんとはいないんですよね。

生きるかなしみ、生きるよろこび

――この連作短篇集全体には、かなり長い時間が流れています。「ゆるく巻くかたつむりの殻」で、一気に戦後すぐの時代までさかのぼる。そこでこの商店街の時間的な奥行きがぐっと深まります。
川上 「魚春」の平蔵さんと源さんは戦前の生まれで、とくに平蔵さんはずっとここで育った人なので、その時代のことは書きたかった。短篇というのは、ぱっと時間を取り出して書くことができる。同じことを長篇でやろうとすると、年代記みたいに長くなってしまうんですが。
――連作短篇というのは魅力的な形式ですね。川上さんは以前、シャーウッド・アンダスンの『ワインズバーグ・オハイオ』が好きだとおっしゃっていました。
川上 大好きです。ひとつの町をめぐる話を書きたいと思ったのは、『ワインズバーグ・オハイオ』や山本周五郎の『青べか物語』の影響があるのだと思います。
――『どこから行っても遠い町』は連作であると同時に、短篇としての独立性もつよい作品集ですね。「貝殻のある飾り窓」はとくにそう感じます。雨ばかり写真に撮っている女の子ユキと、「ロマン」に勤めているあけみというおばあさんの話です。ラストがとりわけすばらしい。
川上 わたしにしてはめずらしく短篇らしい終わり方ができたかな(笑)。
――「どこから行っても遠い町」の、少年の目からみた魚屋の女房の姿も非常に印象的です。裸足でかけていって男のところへたどりつくと、男が、つまり源さんが、「かわいそうに」と言いますね。この場面は、恋愛のある部分を決定的に言い当てている感じがします。
川上 ずいぶん前に「可哀相」(『溺レる』所収)という短篇を書いたこともありました。恋愛のなかにはつねに何か欠落があって、相手の欠けも悲しむし、自分の欠けも悲しむし、一緒になってもまだ欠けているなにかを悲しむ。そのことと「かわいそう」という言葉がつながってゆくような気がします。生きていくこと自体が、もともと「かわいそう」なことでもある。けれどその「かわいそう」のなかには、愉悦に満ちた時間がいくつもある。悲しみがくるっとひっくり返って嬉しさにつながったり、反対に喜びがさみしさを呼んだり……。それが生きていることの面白さだと思うし、そういうことをこれからも書いていきたいと思うんです。
――「ゆるく巻くかたつむりの殻」を読み終えると、最初の話にまたもどって、もういちど読みたくなりますね。そして人生はつづく、と言いたくなるような、ほんとうに魅力的な作品集です。

(かわかみ・ひろみ 作家)

著者プロフィール

川上弘美

カワカミ・ヒロミ

1958(昭和33)年、東京都生れ。1994(平成6)年「神様」で第一回パスカル短篇文学新人賞を受賞。1996年「蛇を踏む」で芥川賞、1999年『神様』でドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞、2000年『溺レる』で伊藤整文学賞、女流文学賞、2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、2007年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞、2015年『水声』で読売文学賞、2016年『大きな鳥にさらわれないよう』で泉鏡花文学賞を受賞。その他の作品に『椰子・椰子』『おめでとう』『ニシノユキヒコの恋と冒険』『古道具 中野商店』『夜の公園』『ざらざら』『パスタマシーンの幽霊』『機嫌のいい犬』『なめらかで熱くて甘苦しくて』『猫を拾いに』『ぼくの死体をよろしくたのむ』『某』『三度目の恋』などがある。

判型違い(文庫)

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