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その姿の消し方

堀江敏幸/著

1,650円(税込)

発売日:2016/01/29

  • 書籍

古い絵はがきに綴られた十行の詩。細くながく結ばれてゆく幻の「詩人」との縁を描く待望の長篇。

留学生時代、古物市で見つけた1938年の消印のある古い絵はがき。廃屋としか見えない建物と朽ち果てた四輪馬車の写真の裏には、流麗な筆記体による一篇の詩が記されていた。やがて、一枚また一枚と、この会計検査官にして「詩人」であった人物の絵はがきが手元に舞い込んでくる――。二十数年にわたる縁を描く待望の長篇。

  • 受賞
    第69回 野間文芸賞
目次
波打つ格子
欄外の船
履いたままおまえはどこを
デッキブラシを持つ人
ふいごに吹き込む息
黄色は空の分け前
数えられない言葉
始めなかったことを終えること
発火石の味
その姿の消し方
打ち上げられる贅沢
眼の葡萄酒
五右衛門の火

書誌情報

読み仮名 ソノスガタノケシカタ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 176ページ
ISBN 978-4-10-447105-8
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,650円

インタビュー/対談/エッセイ

幻の「詩人」を求めて

堀江敏幸

戦乱の二〇世紀前半を生きたフランスの「詩人」と現在を生きる「私」。二人を結ぶ遠い町の人びと。読むことの創造性を証す待望の長篇をめぐって、著者自身が語る。

――『その姿の消し方』はアンドレ・ルーシェという詩人をめぐる作品です。長篇小説として読みました。
堀江 ありがとうございます。ただ、長篇としての構想があったわけではないんです。『いつか王子駅で』のときと同じで、最初の一篇は読み切りのつもりで書きました。それが、なぜか続きものに似たかたちで、ゆっくり育っていった。
――第一章にあたる「波打つ格子」は、読む側としては、なんとか続きを読みたいという気持ちにさせられる作品でした。
堀江 いつも、先がどうなるか自分でもわからない状態で書いているのですが、つぎにつながる芽を出す種のようなものが含まれている場合と、そうでない場合があるようですね。この作品は前者だったということになります。
――語り手の「私」はフランス留学時代、古物市で一九三八年の消印のある古い絵はがきを手に入れます。その書き手がルーシェで、裏には謎めいた詩が綴られていた。最初の章にいきなり三篇の詩が出てきますが、詩を書くというのは容易なことではなかったのではと思います。
堀江 あれはルーシェが書いたんですから。僕は翻訳しただけです。
――そうでしたね(笑)。では、ルーシェの詩をひとつ見てみましょう。

引き揚げられた木箱の夢
想は千尋の底海の底蒼と
闇の交わる蔀。二五〇年
前のきみがきみの瞳に似
せて吹いた色硝子の錘を
一杯に詰めて。箱は箱で
なく臓器として群青色の
血をめぐらせながら、波
打つ格子の裏で影を生ま
ない緑の光を捕らえる口

堀江 どうしてこんなイメージが出てくるのか、当人に尋ねてみなければわかりませんが、偶然とはいえ、彼の詩がなければ一冊の本になるまで言葉は育たなかったはずです。
――詩を核にしたものを書いてみようと思われたんですか。
堀江 そうではなく、単に形状から入ったんです。第一章が掲載された「yom yom」は、当時一段組みの雑誌だったので、いつものように文字でぎっしり埋めたくはなかった。見通しをよくするために、空白を作りたかったんです。詩なら、余白ができますよね。できれば詩行の長さを揃えて、ブロックを置いたようにしてみたかった。
ただしこれらは、「詩のようなもの」であって「詩」ではありません。ルーシェを通してという但しつきですが、「詩のようなもの」は散文より早く書けるからです。訳をしながらでも、つぎにどんな言葉が来るのか、なんとなくわかる。不思議な感覚です。逆に、散文にすると先が見えない。だから幾度も推敲する。でもこの本に出てくる矩形の言葉の群れは、ひと息に書いたという印象ですね。
――意外です。即興のように書かれたものだったとは。
堀江 瞬間的に通り過ぎていく言葉ですから、全部で何篇の詩を「訳出」したのか、途中で忘れてしまったくらいです。
――ルーシェに興味をもった「私」の手元に、彼の手になる絵はがきがぽつりぽつりと集まってくるんですね。絵はがきの裏に書かれた詩が四つ、もう一つは書類の余白に書かれたもので、全部で五つですね。
堀江 はい。小冊子の余白に書かれたものが、一九三五年、絵はがきは一九三八年。
――やがてルーシェが、フランス南西部のある町で、会計検査官をしていたということがわかってきます。第一次大戦では従軍中に足を負傷し、第二次大戦のときにはレジスタンス活動に連なっていた気配も感じられる。ルーシェの姿に戦乱の二〇世紀が重なって、さらにそこに、語り手の「私」に流れる時間が重なってきます。
堀江 語り手には、書き手である僕自身の時間も重なっています。留学生時代から今日まで、四半世紀。最初の章が発表されたのは二〇〇九年、最終章が二〇一五年ですから、書き始めてからでも、六年かかっている。

――いくつかの雑誌を横断して書かれた作品でもありますね。掲載時にはエッセイとして読まれたものもありそうです。堀江さんはデビュー作の『郊外へ』のころから、創作とエッセイのどちらとも読める、そのあわいのところで書いていらっしゃいました。
堀江 書いたものはすべてフィクションだと考えているので、自然とそうなりました。書くという行為は、ふだんしゃべっているときとはちがう、自分にもわからない感覚が飛び出してくる「現場」です。小説の筋書きや登場人物の性格とはべつの、たとえば料理のようにさまざまな要素でなりたっている混交状態の言葉が僕には重要で、それが小説なのかエッセイなのかといった形式上の区別には、あまり関心がないんです。
書き手の時間には、そのとき並行して取りかかっている仕事も影響してきます。この本の最後のあたりは、マルグリット・ユルスナールの『なにが? 永遠が』の翻訳と、『土左日記』現代語訳の試みが重なっていました。ユルスナールの自伝的作品には、子ども時代の大きな体験として、第一次大戦が扱われています。ベルギーからロンドンに避難して、パリに戻って来る。それがまた、ルーシェの若いころの戦時体験につながり、サルトルにも重なっていきました。
――ルーシェの絵はがきの一枚に一九三八年九月二日の消印があって、それがサルトルからボーヴォワール宛ての書簡集の第一信の日付と同じでしたね。
堀江 偶然ですね。詩も、日付も、最初のほうで固定されていますから、あとから修正したものではありません。それが、外からは緻密な組み立てのように映るらしい。今回、ルーシェの詩篇のおかげで、執筆時に自分の内側で何が起こっているのかを見つめ直す、よい機会になりました。
――ひとつの詩が作品のなかで何度も繰り返し読まれるうち、それが書き手である堀江さんや読み手であるわたしたちに流れた時間によって、そのつど違うふうに見えてきます。
堀江 そのとおりです。詩は、時間をつなぐ装置でもあるし、僕と語り手をつなぐ橋でもある。語り手とルーシェを接続し、今と昔を結ぶ。いろいろな言葉が集まっては散ってゆく通信網の節目に置かれた、ブラックボックスのようなものかもしれません。
――非常に印象的な一節があります。
「書くことに神秘の色をあえて塗り込む必要はない。むしろ読む側の神秘を考えるべきだろう」
堀江 読み手は作品のなかに、自分が経てきた時間を読んでいるんです。二〇年前に読んだ本を二〇年前の気持ちでたどることは、もう絶対にできない。残酷なことですけれど。

――堀江さんご自身も、古書店だけでなく、古道具屋さんや古物市などがお好きですね。パリで何十年も前の数学の教科書をお買いになったり、傍目には何が面白いのかわからないものもありそうです(笑)。
堀江 そういう経験もこの本には含まれているでしょうね。フランスの古物市でたまたま拾い上げた帳簿類のなかに、一九三〇年代のものがあって、ルーシェの時代にぴったりなんて出会いもありました。古い簿記の問題集とか。
――それもこの本に出てきましたね。例題に登場する人名が必要以上に凝っていて、小説より多様だという。
堀江 あれは引用です。創作ではありません(笑)。
――本のカバーにフランス語のタイトルがあしらわれています。直訳すると、「アンドレ・ルーシェを称えるために。未知の詩人を求めて」。
堀江 とびとびに書き継いできたこの六年のあいだ、ずっとルーシェの詩が脳内に低く響いていました。全体として、つじつまのあう話ではないんです。謎の詩人を求めてと言っても、謎の表面を撫でているだけで、解を求めてはいない。そもそも答えがない。鍵になる絵はがきの名宛て人も、ほんとうに家族の知らないところで関係のあった女性なのかどうか。レジスタンス運動にからんでいる、連絡員の偽名だったのかもしれない。読み方は、いろいろです。
ともあれ、謎を開いたままにしておくような作品に対して、寛容な世の中であってほしいですね。書き始めたら、その先は本当にわからない。でも、書いているうちに、かならずなにかが出てくる。それを受け入れる姿勢を、これからも崩さないでいきたい。最初の一歩に立ち返った感覚です。はじめての自著、『郊外へ』が出たのは一九九五年。昨年が二〇周年でした。こんなに長く書いてこられるとは、夢にも思っていませんでしたね。

(ほりえ・としゆき 作家)
波 2016年2月号より

詩の味わい、詩の効用

池澤夏樹堀江敏幸

[池澤夏樹『詩のなぐさめ』、堀江敏幸『その姿の消し方』刊行記念対談] 

空白部分の残る物語/詩と小説で異なる「前処理」/疲れたとき、悲しいときに/三十七年かけた翻訳

空白部分の残る物語

池澤 今日は詩の話をするということでお集まりいただきましたが、きっかけは堀江さんがこのほど出された『その姿の消し方』という本です。この中にフランス語の詩の翻訳という体裁で、五篇の詩が載っています。僕の知る限りでは、堀江さんは今まで詩集は出されていませんし、行分けの詩を見た覚えもないんですけれども……。
堀江 詩集はありませんが、『象が踏んでも』というタイトルのエッセイ集のような本があるんです。
池澤 壊れない筆箱(笑)。
堀江 昔のテレビコマーシャルの一部を使わせてもらった詩のようなものが、その散文集の冒頭に載っています。ですから詩集という枠組みではなく、行分けの詩でもありませんが、作品世界の一部として掲出したことはあります。
池澤 ここで安直にそもそも堀江さんの文章は詩的だから、などと言ってしまうと、それ以上話が広がらなくなります。でも、詩の要素を非常に多く持った散文である、つまり必要かつ充分な数の言葉で構成されていて、イメージが豊富で、連想を誘って、読んでいて気持ちがいいということは言ってもいいと思うんです。
堀江 素晴らしい褒め言葉で、今日はこれで終わりにしたいくらいですね(笑)。実は僕の中には、詩や散文という区別があまりないんです。いま池澤さんがおっしゃったように、書いている文章の中に詩を思わせるような、説明できない未消化の言葉が入ってくるのが好きなんです。散文の中に詩が入っていても、詩の中に散文が入っていてもいい。形にこだわらないというと変ですが、そういった混交状態を好ましく感じますね。
池澤 それなのに今回はほぼ十一字×十行という四角い箱の中に平仮名、片仮名、漢字を収めて、緻密なしかも翻訳という形の詩を作られました。これはなぜですか。
堀江 説明が難しいのですが、まずきっちりした文字数と行数の詩というのは、池澤さんが『詩のなぐさめ』でも取り上げておられる漢詩から来ていると思います。中学の国語の教科書で初めて漢詩を見たとき、そのページの景色がちょうど窓のようになっていて、とてもきれいだなと感じたのを覚えています。自由詩でも、優れた詩人は行分けの文字数のバランスがとても美しい。僕にはその才能がないので、最初からチョコレートを並べるように箱に入れてしまった方が、風景としていいのかなと思いました。
池澤 この小説の中では、主人公が古物商の店頭でたまたま見つけた絵葉書に書かれていた、という形で詩が使われています。その絵葉書には宛名はあるけれど、差出人はアンドレ・Lとしか記されていない。それに惹かれて、また詩にも惹かれて、同じ詩人の他の絵葉書を探し始めます。その探索に沿って幾つものエピソードが繋がっていき、語り手を中心にいろんな人たちが少しずつ結びついて物語ができていく。最終的に詩人や絵葉書の謎は……これ以上は言いません。
堀江 どうぞどうぞ(笑)。
池澤 でもいわゆる謎解きにはならず、真ん中に空白部分の残る図柄のような印象の作品です。その空白部分が題名の『その姿の消し方』にあたるのかなと思いました。絵葉書が書かれた時期は一九三〇年代で、見つけるのは九〇年代初頭。時間的にも空間的にも長い物語です。また、エピソード同士もダイレクトにではなく、とても深いところで繋がっていきます。この散開している感じが非常に魅力的です。
堀江 この本の帯には「待望の長篇」と書いてありますが、僕自身が長篇と言ったわけではありません。読み切りのつもりで書いた一篇が、自然発生的に続きもののようになってできた作品なので、今おっしゃったように、ばらばらなものを一つに集めたときにしか出てこない、ある種の面白さや統一感はあるかもしれませんね。普段使っている「私」や「僕」といった一人称は、幾つものばらばらな自分なんです。後で集めてみると、当人もわかっていなかった架空の自分の像が浮かび上がる。それと同じような感覚です。池澤さんのようにきちんと構築された長篇小説ではなく、複数の散文や詩のようなものが混じった長めの作品。そう言うしかないですね。でも、たまたまそんな作品を書いたおかげで、こうして池澤さんとお話しする機会ができたわけです。
池澤 この作品についてさっきのような要約ができた理由は簡単で、僕が“書評屋”だからです。本の要点をつかまえて、どう褒めるか考えて、人にお薦めする。このトレーニングだけは積んできたから(笑)。

詩と小説で異なる「前処理」

堀江 年長者の優しさで先に僕の本を取り上げてくださいましたが、今日の本当の主題は池澤さんの『詩のなぐさめ』です。この本を通じて池澤さんの詩に対するスタンス、そして現在の池澤さんの詩との対峙の仕方をお聞きしたいと思います。僕が最初に買った池澤夏樹の本は『サーカムナヴィゲイション』という詩集のような印象の本でした。僕の中では、池澤さんは、小説をお書きになる前に、まず輝かしい詩人として存在していたんです。
池澤 実は僕は両親ともに詩人で、マチネ・ポエティックという実験的な詩を作るグループに属していました。だから僕も作ってはみたのですが、最初は全然ダメでした。形だけの詩で、ポエジーも何もない。母親からもあんたはダメよと言われてしまって。
堀江 そうでしたか(笑)。
池澤 それでしばらく遠ざかっていたんです。本格的に詩を書こうと思ったのは、ミクロネシアの島々に渡ってその風土に熱を上げて、それを何かの形で表現したくなった時です。その頃、僕は小説を書くことは自分に禁じていましたので、詩の形でやってみようと思い立ちました。結果、最初の詩集『塩の道』ができたのですが、初めの作は雑誌に掲載した時点では五百行もある長詩でした。一人の男が海辺へ行き、そこで船を見つけて南洋に渡り、いろんなことをして溺れて死んで甦るという話ですが、詩にしては小説的だと言われました。構成はできているけれども、細部が緩いんです。
堀江 初出は見ていませんが、緩いというのは、詩として緩いということですか。
池澤 自分でももっと響くような、もっとうまいやり方があるという気がしました。だから詩は書いたけれど、それと詩人であることは別ですね。第一、自分で詩人ですと名乗るのは恥ずかしい。詩人という言葉に、そんな感じがあって……。
堀江 小説家というのも恥ずかしいものだと思いますけど。
池澤 厚顔無恥な者が小説家になり、心の清い人が詩人になる。だから小説家はずうずうしいんですよ。とにかくそうやってしばらく詩を書いたものの、また離れてしまったんです。そうしたら父に「若いときに詩集が一冊あるのはいいもんだよ」と言われました。そのうち大体みんな小説に行ってしまうものだ、とね。ここからは言い訳になりますが、なぜ詩を書けなくなったかというと、創作の素材を加工する際の、前処理が詩と小説とでは違う気がするんです。
堀江 とても難しく、また微妙なお話なのであえてお聞きしますが、詩のための前処理と、散文のための前処理との違いは、どういったところにあるんですか。
池澤 世間を見て、人と会って、旅をして、何かが文学の素材として入ってくる。それを一旦しまっておいてから加工するわけですが、喩えていうと獲ったマグロを解体してさばく際に、刺身用の冊にするか、味噌漬けにするために大きく切るか。そんな刻み方の違いがあるような気がしますね。
堀江 今のお話は池澤さんが小説家に転じた際の秘密といいますか、とても大事な部分ですね。僕は、いつも同じ刻み方しかできないんです。それは包丁が一本しかなくて、しかも同じまな板で大きい物も小さい物もさばいているからだと思います。今日は池澤さんの二番目の詩集、『最も長い河に関する省察』という詩集を持ってきました。これを読むと、水があって湿り気の多い場所の話を書いているのに、水気はきれいに取り去られています。だから、題名の通り河の流れがありその音も聞こえるんですが、べたつく感じはまったくありません。
今のお話に繋げていうと、池澤さんがさばくものを貯蔵しておく倉庫の温度は、きちんと一定に保たれているという気がするんです。それは池澤さんの翻訳を読んでも感じることで、たとえばジェラルド・ダレルが書いた蒸し暑いギリシャのコルフ島の話が、ストックホルムであってもおかしくない言葉で訳されています。やはり貯蔵庫の温度設定が、誰にも真似できないようになされているのでしょうね。あるいは貯蔵庫の大きさの問題なのかもしれませんが、池澤さんのその貯蔵庫は徐々に形作られたのではなく、最初から存在していたような気がしてならないのですが。
池澤 僕の文体を作ったのは翻訳かも知れませんね。今取り上げていただいた『虫とけものと家族たち』という本を出版のあてもなく訳した時に、英語の文体に似た日本語の文体、つまり日本語的な湿り気がなくしかも翻訳者が文章の背後に隠れている文体でないとダメだと思いました。堀江さんの作品もそうですが、文章がそこにあって、しかも作者の姿が直接は見えないということが大事なんです。
そこが小説とエッセイの違うところで、小説の場合、作者は見えない方がいい。だから僕は私小説が苦手で、あんたの愚痴や自慢が聴きたいわけじゃない、面白い話が読みたいんだという意地の悪い姿勢をとってしまいます(笑)。でもエッセイは、井上ひさしさんによると基本は自慢話で、ドヤ顔にならないよう少しひねって卑下するように見せて自慢するのだそうです。ですから自分が出てもいいんですが、それでも僕は生の自分ではなく作った自分に語らせますね。一言でいえば自分を出すことに対する照れなんですが、その度合いはそれぞれの人が持って生まれたものであり、文体も同じことだと思います。例えばねっとりと情感のある汗の臭いのするような文章が好きな人も大勢いて、それはそれでいいんです。
堀江 そうですね。結局、翻訳でも小説でも、自分の姿をどのように後ろに控えさせるかが問題なのだと思います。池澤さんはその他に、詩、評論、エッセイ、書評など様々なことをやっておられますが、何であれ「僕」とか「私」という言葉を出さなくても、一人称の控え方で池澤さんの呼吸だとわかるんです。あ、これは池澤倉庫から出てきたものだ、と。そこに池澤さんの照れと同時に、よい意味での頑固さを感じますね。
池澤 いや、それしかできないんです。堀江さんと同じで(笑)。

疲れたとき、悲しいときに

堀江 今度の『詩のなぐさめ』では、素材の冷やし方の温度がこれまでより少し上がったようにも感じました。零下二十七度で冷やしていたのを、零下十度くらいにした感触ですね。それは詩という素材が持っているある種の力かも知れませんが、体温を感じるところに手、もしくは耳を届かせている。
池澤 それは簡単な話で、年をとったんですよ。だから自分というものに対するガードを少し緩めてやろうという気になって、思い出話もすれば、親の話も平気で書きました。昔なら絶対に一言も書かなかったようなことまで。
堀江 そうですね。今までは書かれなかったエピソードが、こう言うと失礼かもしれませんが素直な声で語られていて、すっと胸に沁みてきます。お母様の原條あき子さん、父親の福永武彦さんの詩についても語っておられます。とくに、堀辰雄とのエピソードは印象に残りました。池澤さんは二十歳の頃、堀辰雄の書庫に入って自由に本を読むという体験をされているんですね。
池澤 僕は堀辰雄には会ったことはありませんが、父は堀さんの死後に全集を編む手伝いをするくらい近い関係でした。父に奥様の多恵子さんを紹介してもらって、以後ずいぶん可愛がってもらいました。夏は堀家に遊びに行って、頼まれて屋根の樋の落ち葉を掃除したりするくらいに。堀さんの書庫は六畳くらいの四阿で、庭に面した側に畳が敷いてあるので、そこに横になって手当たり次第に本を読んだんです。
堀江 堀さんは英語、フランス語、ドイツ語の原書を読み、日本の古典も読む。大変な読書家です。晩年は結核で臥せっておられましたが、ご自分で書庫を造りました。どの書棚にどの本を並べるか、すべて考えながら作っていったのですが、完成を見ずに亡くなられた。その後、多恵子夫人が本を並べられて、それが今、堀辰雄文庫になっているわけですが、池澤青年は、作家本人が集めた本、もしかしたら書き込みがあるかもしれない本を、二十歳くらいの時にその場の空気を吸いながら読んだ。うらやましいかぎりです。
池澤 リルケの『ドゥイノの悲歌』の英訳もかじってみたのを覚えています。でも、考えてみるとあれは堀辰雄さんの蔵書だったのですから、贅沢な話ですよね。
堀江 翻訳が文体を作ったというお話が出たので伺いますが、一つの詩に対して複数の翻訳があった場合、それらに優劣はつけておられませんね。こちらの訳のリズムの方が今の自分には好ましい、というような紹介をされています。そこで思ったのですが、「詩のなぐさめ」のなぐさめは誰に対するものでしょうか。池澤さんご自身か、読者なのか、あるいは詩が詩に対して行う相互作用のなぐさめなのか……。
池澤 その全部でしょうね。言いたいのは詩は人をなぐさめてくれますということ、単にそれだけなんです。要するに僕がやってきたのは詩をめぐるおしゃべりであって、詩とは何かを正面から探究したりはしていません。そんなことをしてもいい詩が書けるわけでも、いい詩に巡り合えるわけでもありませんから。ただ、詩というのは知っているといいものですよ。思い出して時折ページを開いて読む。気に入ったらマークしてみたり、時には覚えたりもする。その次には自分が好きな詩人とはどんなタイプかを探していく。そういったことこそが人生のなぐさめになると思います。疲れたとき、悲しいときに詩に会いに行く。そんな習慣を身につけられるといいですよ、と言いたいだけなんです。

三十七年かけた翻訳

堀江 この本に掲載された詩の一篇一篇は、言葉の立ち寄る場所、港という感じがします。池澤さんの巡行のなかでは、ところどころに大事な寄港地として詩があるんですね。しかも港がある場所が時によって大海になったり、地中海のような閉じられた海になったりもする。その変化が面白い。それから、最初に僕が作った矩形の箱の中の詩についてふれていただきましたが、漢詩の話もたびたび出てきます。漢詩にも翻訳の問題がありますよね。
池澤 日本人は漢字に訓読みをつけて、漢文には返り点という方法を発明して、いわば漢文・漢詩を読む自動翻訳システムを作りました。だから、知らない単語を辞書で引けばだいたい読めます。漢字を知っているという利点があるのですから、楽しまないと損だと思いますね。
事のついでに詩から離れて翻訳の話をすると僕は今、日本文学全集の編集をしていますが、古代から編集と翻訳は創作と同じくらい文学の大事な営みでした。『古事記』も『日本書紀』も、『竹取物語』だってある意味の編集で成り立っていますし、人は常に翻訳を通じて世界を知ってきたとも言えるでしょう。日本文学全集の場合は古典の現代語訳になりますが、それはやはり読めないものを読めるようにして今の世に広める、本質的な文学の営為だと思います。堀江さんには『土左日記』を訳していただきましたが、どうでしたか。
堀江 『土左日記』の成り立ちには諸説ありますが、旅をしながら書いたものではないことは確かです。揺れる船の中であんなふうに書けるわけがありませんから。おそらくメモを取って、都に帰ってから整理したのでしょう。だから、そもそも成り立ちからして編集であり批評行為なんですね。それから、和歌を和歌として独立させず、散文の中に埋め込もうとしたのが紀貫之です。そこで僕も和歌を一行立ての体裁にしないで文中に追い込んでしまったのですが、それが先ほど申し上げた散文の中の詩というイメージに僕の中では繋がっているんです。なんだか詩集を読んでいるような気もしました。詩集であると同時に批評的散文であるという点では、エリオットを読む感じに近かったですね。
池澤 古典の現代語訳を行うことで、作家自身が変わると言ってくれたのは大江健三郎さんです。鋭い指摘だと思いましたが、堀江さんの『土左日記』のような大仕事をやると、確かに変わりますよね。筋肉のつき方が違ってくるというのか。僕も『古事記』を訳してみて実感しました。
堀江 それは大江健三郎という作家の誕生にも関わることで、翻訳を大切にして創作の糧にしてきたご自身の体験があっての言葉だと思います。翻訳には、一頁訳すごとにその一頁分の日本語が自分のものになっていく、貯金のような喜びがありますね。子供じみた例えですが、言葉集めがそこから始まると考えれば、大切なことなんです。
池澤 僕は今年中に自分の翻訳仕事の中で最大のものを、ようやく本にまとめます。ギリシャの詩人カヴァフィスの詩百五十四篇を日本語にするという仕事ですが、三十三歳くらいで始めましたから、三十七年ほどかかりました。
堀江 三十七年……大変な時間ですね。おそらく最初の頃と完成間近に読み返した時とでは、訳語の選択が違ってきているでしょう。それをどのように処理されたのか。刊行がとても楽しみですね。

(二〇一六年二月一六日 神楽坂la kaguにて)

(いけざわ・なつき 作家)
(ほりえ・としゆき 作家)
波 2016年4月号より

著者プロフィール

堀江敏幸

ホリエ・トシユキ

1964(昭和39)年、岐阜県生れ。1999(平成11)年『おぱらばん』で三島由紀夫賞、2001年「熊の敷石」で芥川賞、2003年「スタンス・ドット」で川端康成文学賞、2004年同作収録の『雪沼とその周辺』で谷崎潤一郎賞、木山捷平文学賞、2006年『河岸忘日抄』、2010年『正弦曲線』で読売文学賞、2012年『なずな』で伊藤整文学賞、2016年『その姿の消し方』で野間文芸賞、ほか受賞多数。著書に、『郊外へ』『書かれる手』『いつか王子駅で』『めぐらし屋』『バン・マリーへの手紙』『アイロンと朝の詩人 回送電車III』『未見坂』『彼女のいる背表紙』『燃焼のための習作』『音の糸』『曇天記』ほか。

判型違い(文庫)

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