ホーム > 書籍詳細:《第十八回三島由紀夫賞受賞作》六〇〇〇度の愛

癒しがたい精神の傷を抱えて、女は長崎を訪れ、一人の青年と出会う――。28歳の新鋭が描く、魂の恋愛小説。

  • 受賞第18回 三島由紀夫賞

《第十八回三島由紀夫賞受賞作》六〇〇〇度の愛

鹿島田真希/著

1,512円(税込)

本の仕様

発売日:2005/06/14

読み仮名 ロクセンドノアイ
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 175ページ
ISBN 978-4-10-469502-7
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,512円

死へ向かうものとそれを阻止するものとして、二人は対峙した――かつて六〇〇〇度の雲に覆われた悲劇の土地。その街を、女は青年とともに彷徨い、そして知る。青年の謎、世界の謎を。「歴史の記憶と個人の記憶が時を超えて、一致する瞬間を希求し、」「虚無の向こう側に世界を作ろうとする小説」と激賞された受賞作。

著者プロフィール

鹿島田真希 カシマダ・マキ

1976年東京生まれ。作家。白百合女子大学文学部フランス文学科卒。1998年『二匹』で文藝賞受賞。2005年『六○○○度の愛』で三島由紀夫賞受賞。2007年『ピカルディーの三度』で野間文芸新人賞受賞。2008年『ゼロの王国』で絲山賞受賞。2012年『冥土めぐり』で芥川賞受賞。他に『白バラ四姉妹殺人事件』『ナンバーワン・コンストラクション』『ハルモニア』など著書多数。

インタビュー/対談/エッセイ

波 2005年7月号より ゼロ秒の情事  鹿島田真希『六○○○度の愛』

星野智幸

 一年遅れの、三島賞受賞作である。「一年遅れ」と断るのは、選考委員でもない私が言うのはおこがましいが、鹿島田真希は昨年『白バラ四姉妹殺人事件』でこの賞にノミネートされたときに受賞してしかるべきだったと思うからだ。けれど鹿島田真希は、前作に勝るとも劣らない、新たな境地を開く『六○○○度の愛』を書きあげて、賞を手にした。
まだ知る人はそう多くはないのかもしれないが、この作家はいいんですよ、今が買いなんですよ、誰とも似ていない、他では読めない作家なんですよ、と私は言いたい。だから、受賞はとても嬉しい。
『六○○○度の愛』は、原爆を投下された場所としての長崎を舞台にしている。が、原爆の歴史的事実やその意味を考えようとする原爆文学というわけではない。
主人公である名前のない「女」は、夫と小さい子どもを抱える主婦である。ある日の夕食の支度中、マンションの非常ベルが誤作動で鳴り響く。その瞬間、「女」はキノコ雲を幻視し、行動を起こさなくてはと何かに衝き動かされ、子どもを隣人に預けて長崎へと向かう。そしてそこで、ロシア人の母と日本人の父を持つ青年と知り合い、情事を交わす日々が始まる……。
というストーリーが、語り手の「私」によって妄想されていくのが、この小説である。「私」は、自分にそっくりな過去と現在を生きている一人の女の物語を小説に書きたい、と思っている。かくして、「私」が自分の母親と自殺した兄について述べる記述と、女と青年の不定形な情事が語られていく記述とが、交錯しながら小説は進んでいく。
かつて「私」は兄を愛していた。「私」の母も兄だけを愛していた。兄は己を愛していた。母は兄だけを存在するものと認め、「私」を劣ったものとして抑圧する。このため「私」は、自分など持たず、兄のコピーとして、あたかも兄であるかのように生きようとする。しかし、兄はアルコール中毒となったあげく、飛び降り自殺してしまう。母もそれ以降、錯乱してしまう。残された「私」はどうすればいいのか?
「男という鳥は自分の声で鳴き、自分の言葉で語る。兄が奪った自分の声を今度は別の男に捧げてしまおうと私は思った。自分の声で鳴き、自分の言葉で語ろうとは思わなかった。相手がどんな男かはどうでもいい。兄が私の中に置いていった無秩序を、偽りでもいい、秩序ある形にしてくれる生き物を探した。」
長崎で女が出逢った混血の青年も、自分の声では語らない、相手に中身を決めてもらうしかない匿名の存在だった。女は青年を自分とよく似た「娼婦」のような者と見なし、情事に耽る。そして、混沌と無秩序でしかないこの青年こそ、決してその意味を理解することのない残骸が転がっている長崎という土地だと思い、「長崎」と呼ぶ。女は「長崎」との情事は自分を殺すことだと、「冒涜的」な期待を抱く。
しかし青年は、いくら陵辱されても平然と忘れてしまえる、生命力に満ちた聖なる愚か者であった。青年は無邪気に生を肯定する。
「青年は結婚しようという。女は拒否する。なぜ僕をひとりぼっちにするんですか? 青年が訊く。女は答えない。ひとりぼっちにされたのは女のほうだ。(中略)自分は一人になりたくない癖に、相手のことは一人にする。」
かくして、女は自分の「長崎」幻想に破れ、長崎を去る。青年も長崎を去る。しかし、語り手の「私」は、自分が兄の死後も生き残り、決して死に身を委ねる存在ではないことを認めざるをえない。青年が女とは違う何者かであるように、「私」も兄とは違う何者かであることをわかっているのだ。
鹿島田真希がデビュー以来、ねばり強く展開し続けている、男と非対称であるがゆえに顧みられない「女の空虚」は、同感する潜在的な読者がもっとたくさんいるはずだと私は思う。この書評で引用した箇所に胸騒ぎを覚える人は、ぜひ『六○○○度の愛』を手にとってほしい。
繰り返すが、このような小説は現在、ごく一部の一線級の作家を除き、類が少ない。それは、書き手がいないからというより、なかなか「普遍的な文学」と見なされないからだ。この受賞が契機となって、潜在的な読み手が顕在化し、さらには潜在的な書き手までが世に出られるようになることを、私は望んでいる。

(ほしの・ともゆき 作家)

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