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魔法のように『失われた時間』が浮かび上がる――絶賛された、川端康成文学賞受賞作。

  • 受賞第34回 川端康成文学賞

海松

稲葉真弓/著

1,728円(税込)

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発売日:2009/04/30

読み仮名 ミル
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 174ページ
ISBN 978-4-10-470902-1
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,728円

都会で働き続けることに不安を抱き始め、志摩半島の一角に小さな土地を買い、家を建てて、新しい生の感覚を見いだしてゆく40代後半の女性を主人公に、人を救い再生へ向かわせるものを瑞々しく描き、「光る比喩」「正確で細密な描写」「静かな戦慄」と激賞された川端賞受賞作「海松」、その続編「光の沼」ほか2編。

著者プロフィール

稲葉真弓 イナバ・マユミ

1950年愛知県生まれ。1973年「蒼い影の傷みを」で女流新人賞、1980年「ホテル・ザンビア」で作品賞、1992年「エンドレス・ワルツ」で女流文学賞、1995年「声の娼婦」で平林たい子文学賞、2008年「海松」で川端康成文学賞を受賞。他の著書に『環流』『私がそこに還るまで』『砂の肖像』など。

書評

波 2009年5月号より 土地との交歓により生まれた作品集

日和聡子

稲葉真弓著『海松』は、第三十四回川端康成文学賞を受賞した表題作を含む四つの作品を収める。いずれも高い緊張感を漲らせた濃密な世界が、淡々とした静かな声で語られる。それらの物語に耳を澄まし、息をつめるようにしてきき入りながら、終わらないでほしい、できればずっとこうしてきいていたい――といつしかそう感じている。言葉のひとことひとこと、情景や心情のひとつひとつを、けっしてきき洩らさず、見落とさぬよう、一字一句をじっくり目で追う。身をよじりたくなるほどの愛おしさと狂おしさに満ちた一篇一篇からは、深い孤独感や切なさこそが、やがて身内に希望を育て、新しい光を見出すまでの強さを養う種となり得ることを教えられる。
表題作とその続編とも言える「光の沼」では、三重県の志摩半島が舞台として魅力的に描かれる。東京に暮らす独身女性が、この半島の小さな湾に近い一角に土地を買って家を建て、忙しい仕事の合間をぬって通っては、そこでかけがえのない時間を過ごす。その姿を丁寧に綴る精緻な描写と、ちりばめられた多くの光る表現に打たれつつ辿りながら、読み終えたくない、そう思うのは、ストーリーを追って早く物語の結末を見たいという欲求よりも、いまこの語り、この描写、この風景をしっかりと感じ、抱き合っていたいという心の求めを覚えるからである。
草叢をぽつねんと歩く雉、風に吹かれるシダと竹林。それらに惹かれ、導かれるようにしてやってきたこの地で、彼女は枯れ枝を燃やし、大根を煮、フユイチゴのジャムをつくる。また、藪の中に光る沼を見つけ、〈まだ行ってみたことのない道〉を歩いて、真っ青な湾に出る。そうやって、失った時間を取り戻し、新たな時を生みだしていくように。
彼女は入り組んだ湾の干潟を歩き、日々満ち引きを繰り返す波に穿たれた幾つもの洞をのぞき込む。〈私が顔を寄せる瞬間にも続いている緩やかな侵食。覗き込むたびに恍惚としたものが訪れる。もっと崩れろ、復讐しろ、ワタシガソレヲ、ミトドケテヤルカラという気分になるのだ。〉〈ここを通り過ぎていった時間の膨大さ、残酷さ……無意識に繰り返される運動が地球の片隅を崩壊へとつなげる、その瞬間に立ちあっていることにうっとりとする。運動と崩壊をつなぐへその緒みたいな時間の流れの中に、いま自分が含まれていることだけを感じていたい。〉そう胸に思い、〈そう時間が問題なのだ。その残酷さ、非情さが。〉と気づく。
ここには、失われゆくもの、痛みや崩壊を見つめる、豊かで巨きな孤独な目がある。それはすなわち自分自身の膨大で儚い時間の詰まった空洞を覗き込む目でもある。ヘビの抜け殻を見て自らの心を照らし、水中にひしめく牡蠣を見つめて、その想像しがたい一生を思う彼女の心が、まるで自分自身の思いそのものとなって、入江を漂っているのを私は感じる。
彼女をはじめ、入江の作業小屋でアコヤ貝の肉に真珠の核入れをする男と行き合う子連れの女(「桟橋」)や、〈風のないときの野原のススキ〉みたいに真夜中のコンビニに立つ女、その姿を見つめる指先の冷えた〈私〉(「指の上の深海」)など、本書に収められたどの女とも、けっして無縁ではない自分を感じる。このことは、これらの女と無縁である女性などいるのだろうかという思いにもつながってゆく。
読中やむことなく胸に起こっていたさざ波が、読後おさまるどころか津波となっておそいかかる。著者の作品を読むことは、それ自体がひとつの官能的な行為であり経験であるように感じられる。官能とは、歓びや充溢だけではない、底に深い哀しみや痛みを湛えたものであることを思い出す。孤独と寂寥を常に諸刃の剣として突きつけるそれは、からだに埋まった一本の刀で、同じすがたかたちのまま、生と死、激情や静寂、慟哭や慈愛といった様々なものを表し、身内に収める。土地と著者との交歓により生まれ出た、幻想性をはらんだこれらの作品群は、たくましい生命力を秘め、生き生きした存在感を放って輝いている。

(ひわ・さとこ 作家)

目次

海松(みる)
光の沼
桟橋
指の上の深海

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