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12年の時を経て、ふたたび沈黙が破られる。

メイスン&ディクスン(下)

トマス・ピンチョン/著、柴田元幸/訳

3,888円(税込)

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発売日:2010/06/30

読み仮名 メイスンアンドディクスン2
シリーズ名 全集・著作集
全集双書名 トマス・ピンチョン全小説
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 558ページ
ISBN 978-4-10-537203-3
C-CODE 0097
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 3,888円

新大陸に線を引け! ときは独立戦争直前、ふたりの天文学者がアメリカを測量すべく旅を始めた。のちに南部と北部を分けることとなる、史上名高い境界を定める珍道中のゆくえは――。世界文学の頂点に君臨し続ける天才作家の代表作が、名翻訳家の手によりついに邦訳。

著者プロフィール

トマス・ピンチョン Pynchon,Thomas

現代世界文学の最高峰に君臨し続ける謎の天才作家。寡作な上に素顔も経歴も非公表だが研究者により以下が判明している。1937年5月8日、ニューヨーク州ロングアイランド生まれ。ピンチョン家はアメリカ最古の家柄のひとつで父は測量技師。16歳で名門コーネル大学に入学、応用物理学を専攻するも英文科に転じ、2年間の海軍生活ののち最優等で卒業。2年ほどのボーイング社勤務後は作品以外の消息を完全に絶つ。1963年、『V.』でデビュー、フォークナー賞を受賞する。第2作『競売ナンバー49の叫び』(1966)でローゼンタール基金賞受賞。第3作『重力の虹』(1973)でアメリカ最大の文学賞である全米図書賞を受賞するが、本人が授賞式に現れず物議を醸す。以後、1984年に初期短篇集『スロー・ラーナー』を刊行した以外は実質17年間沈黙する。その沈黙を突如破り、1990年『ヴァインランド』発表。1997年には『メイスン&ディクスン』を刊行、2006年『逆光』(Against the Day)、2009年『LAヴァイス』(Inherent Vice)と、一作ごとに世界的注目を浴びる。ノーベル文学賞候補の常連だが、受賞しても式に現れないのではと囁かれている。

柴田元幸 シバタ・モトユキ

1954年、東京生れ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。アメリカ文学専攻。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳するほか、『ケンブリッジ・サーカス』『翻訳教室』など著書多数。文芸誌「Monkey」の責任編集を務める。

目次

第二部 亜米利加(承前)
第三部 最後の通過
訳者あとがき

インタビュー/対談/エッセイ

波 2010年7月号より 特集[〈トマス・ピンチョン全小説〉刊行記念] 【インタビュー】目指したのは「笑えるピンチョン」

柴田元幸都甲幸治

和蘭陀風捩堅麺麭(ダッチ・プレッツェル)?/翻訳でアメリカを発見する
混ざりそうにないものを混ぜる/熱くてストレートな作家

――『メイスン&ディクスン』の刊行、おめでとうございます。この巨大な傑作が面白く読める日本語になったのは、ほとんど奇跡だと思いました。ピンチョンの原文を読むのは、アメリカの読者でも大変だと思うんですが。
柴田 でもいったん乗ってしまえば、やっぱり母語だと違うよね。少なくとも、翻訳が原文より読みづらくなるのは避けたいですね。
――読みやすい、楽しめる訳になっていると思います。
柴田 だとしたらうれしいです。
――柴田さんがこれまでに訳された中でも、いちばん長い作品ですね。
柴田 作品自体もずば抜けて長いし、訳すのにかかった時間もそうです。十年かかりましたから。これまでで最大の仕事ということになるかな。
――書店のトークショーでは、「この十年間のほかの仕事は、すべて片手間にやっていたと言っても過言ではない」とおっしゃっていました。
柴田 まあ劇的にまとめればそうなるってことでね(笑)。
――長大だというだけでなく、いろいろな意味で一筋縄ではいかない作品ですね。まず文体が十八世紀の擬古文です。建国前夜のアメリカで、天文学者のメイスンとディクスンが、のちに奴隷州と自由州を分けることになる線を引いていく。舞台はイギリスから南アフリカのケープ植民地、南大西洋のセント・ヘレナに及び、歴史、社会、風俗のほか、ダジャレやパロディもふんだんに盛り込まれている。しかも登場人物がときに、ミュージカルよろしく歌い出す。いちばん苦労されたのはどんなところですか。
柴田 苦労とはあんまり思わないんですが、いちばん大切にしたつもりなのは、とにかく笑いを殺さないように、ということですね。目指したのは「笑えるピンチョン」。ピンチョンの作品というのは、本来むちゃくちゃおかしいんです。
――どうも偉い作家だとばかり思われがちですが、ピンチョンというのはニヤニヤ笑いながら読むものですよね。
柴田 そうですよ。でも手の込んだギャグを訳すのはやっぱり難しい。訳文の中にギャグを作ってみても、訳者が一人で遊んでいるみたいな感じになっては、読むほうは白けてしまう。むしろ註で説明してしまったほうがおかしさが伝わるなと思って、そうしたところも多いです。
――註がまた面白いんですよね。単なる説明の範囲を逸脱しています。
柴田 同じ行の中でそのノリを伝えられないのなら、註も含めて、ほかの行も使って全体的になんとなく同じようなノリになればいいやという伝え方ですね。
――本文並みに註が「ノッてるな」というところがたくさんあります。註が本文に茶々を入れたりと、訳者によるピンチョン論にもなっています。場所によっては本文同様に古風だったり。もちろん註は訳者が書いているわけですが、もとから作品の一部だったんじゃないかとまで思いました。
柴田 そうなっていればいいんだけど。とにかく本文の流れを止めたくないから。註に目を移したとたんに現実に引き戻される、という感じにはしたくない。


  和蘭陀風捩堅麺麭(ダッチ・プレッツェル)?


――英語圏の人たちもすんなりとは読めなさそうな英語ですが、それをさらに日本語で再現するとなると、相当に大変ですよね。たとえば、ただ訳文を江戸時代の日本語に近づけたら、専門家しか読めなくなってしまいます。いったいどんな日本語にすればいいのか……。
柴田 そのあたりのことは意外と単純で、要するに自分の使える限られた日本語の範囲でやるしかない。何か実現不可能な目標を設定して努力するのではなくて、自分の使える範囲の日本語を使って、できるだけ古っぽくする、ということですね。具体的には、たとえば普通名詞は全部、とにかくカタカナを使わずに漢字にする。「パン」と書かずに「麺麭(パン)」と漢字にルビを振る。適当な漢字がなければ、発明する。「ニコチン」なら「煙草毒素(ニコチン)」というように。
――註もいいですが、ルビの存在感もすごいですよね。漢字とルビの関係が異常なほど創造的だと思いました。僕が特に好きなのは「和蘭陀風捩堅麺麭(ダッチ・プレッツェル)」。おかしいし、確かに十八世紀風かなという気までします。「ジレンマ」は「両不可窮境(ジレンマ)」。ピンチョンが作った味わいの延長線上で訳者も遊んでいる。
柴田 原文でピンチョンが名詞の頭を大文字表記にしているのと、方向性は一緒のつもりです。擬古文といっても、まあなんとなく古めかしいというようなもの。送り仮名は異様にひらがなを少なくしたりしています。
――たとえば「気持ち」の「ち」を削ったりですね。話者や状況によっても、漢字の分量や密度が少しずつ変わっている。
柴田 そういうのを楽しんでもらえるとうれしいですね。


  翻訳でアメリカを発見する


――ルビについてはいろいろと発見がありました。たとえば普通は、漢字と仮名の配分や句読点の打ち方で、文章の読みやすさをコントロールします。ところがこの本ではルビでもやっている。
柴田 そうですね。たとえば「阿弗利加地図」と漢字が六文字つづいていても、上の四文字にだけルビを振って「阿弗利加(アフリカ)地図」としてあれば、難なく四・二に意味を区切って読み進められると。
――それから、訳すときに漢字を使うことで、新たな意味が入ってきますよね。たとえば……
柴田 「ベンガル」を「辨加拉(ベンガル)」にするとか、固有名詞のときには単に音の問題で意味とはほとんど関係ないんですが、普通名詞の場合には確かにそうですね。「トレモロ」を「震音」と書いてみることで、それがどういうものかを考えさせられる。漢字を当てることは、未知のものを飼いならしていく作業かもしれないですね。
――それが、この作品の登場人物たちの体験と重なっているようにも思えるんです。はじまりの生々しさというか。新しい道具を発明したり、ネイティブ・アメリカンに出会ったり、町を命名したりして、まさにアメリカを作っていった人々の体験と、訳文中の文字表記の工夫がつながっているようにも思いました。
柴田 なるほど。翻訳自体も、アメリカ発見の物語になっているわけですね。
――それは日本語の発見でもある。ある時期からどうも、外来語はただカタカナにしておけばいい、という流れになっていると思うんです。でもこの翻訳は、それ以前の日本語に立ち戻っている。忘れられた古風な言い回しを掘り返しているのもそうですが、新たに漢字表記を発明している部分について言えば、これはピンチョンに促されるまま、明治に行われていた作業を再びやっているわけですよね。よく「翻訳によって近代日本語が作られた」と言われますが、それと同じです。
柴田 それは畏れ多い指摘ですね。まあ、基本的には面白がって捏造した漢字表記なので、そのいい加減さを笑ってもらえればいいんですけどね。


  混ざりそうにないものを混ぜる


――史実に関する膨大なリサーチに基づいて作品全体が書かれている、という気配と、にもかかわらず各々の人物やエピソードはやたらとインチキくさい、という印象が、渾然一体になっていますね。
柴田 渾然一体というのは重要なポイントですね。詳細なリサーチといい加減なエピソードが混ざり合うことで、ピンチョンらしくなるんだと思います。
――事実なのか作り話なのかということは、訳すときどうやって確かめるんですか
柴田 だいたいインターネットですね。この作品についてのかなり充実した註釈サイトもあって、それを参考にあれこれ拾っていくだけでもかなりのことがわかります。それでもわからないところは、マイケル・エメリックさんやテッド・グーセンさん(※ともに日本文学の研究者・翻訳者)に訊いて、それでもまだわからないと、作者に訊けば、すごく丁寧に答えてくれます。
――「ほのめかし」もたくさんありますね。何かのフレーズを踏まえたパロディとか。
柴田 ありますね。たぶん、そういうのは拾いきれていないんだろうなと思います。「フィラデルフィア・ガールズ」の歌というのが出てきたら、ああこれビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」を踏まえているなとか、それぐらいはわかるけど……でもまあそれを言い出したらほかの作家の作品だって同じだけど。
――冒頭では、いきなり語り手が「チェリコーク牧師」ですが、これは当然「チェリー・コーク」のことですよね。
柴田 そうでしょうね。
――とにかく冒頭からインチキくさい。しかもメイスンとディクスンを彷彿とさせる「義(シー)」と「和(ホー)」という中国人の二人組まで出てきます。
柴田 日食を予測する天文学者のエピソードですね。
――点心を食べたあとに手を拭かずにそろばんを弾いたら、珠が粘って計算を間違ったという……
柴田 日食を予測し損なって死刑になった人がいるというのは、ピンチョンが作った話ではないみたいですよ。インターネットでも出てくるし、中国人の留学生に訊いたら、知ってました。
――もっと徹底的にバカバカしいのは、しゃべる犬の話です。
柴田 「博学英国犬」。あれもいいですよね。
――より人間に近づけば殺されにくくなると知り、努力の末に人間の言葉をしゃべれるようになった、なんて納得できるようなできないような。それから、磁気の強い土壌で野菜を作ると、磁石をかざすだけで野菜が飛んでくるからすぐ収穫できるとか。
柴田 あれはケン・スミスという人の小説に出てくる話なんですよ。セルフピッキング・ポテト。
――史実と引用と作り話の区別がつかないですね。
柴田 混ざっているんですよね。とにかく、普通だったら混ざらないものを混ぜるっていうのは、ピンチョンの書き方の大原則だと思うんです。重い主題とふざけた語り口、現実的なものと幻想的なもの、中心と周縁、などなど。
――中心的なプロットがあり、ときどき脱線がある、というよりは、すべてのエピソードが脱線みたいなものですよね。でもそのエピソード一つ一つの完成度が高くて楽しい。
柴田 異様に気合いの入った周縁的エピソード満載、というのはポイントですよね。


  熱くてストレートな作家


――もちろん、ただただ面白おかしい話を積み重ねているだけではなく、シリアスな主題を含んだ作品でもあります。
柴田 作品の中のシリアスで重要な主題をひとつ挙げるとしたら、やっぱり奴隷制でしょうね。イギリスから旅を始めた二人はいくつかのイギリス植民地滞在を経てアメリカ大陸に到着しますが、とにかくどこに行っても奴隷制がある。「亜米利加だけは、そういうのがいない筈だったじゃありませんか」とディクスンが言う。
――青くさいといっていいほどストレートなメッセージが込められています。奴隷制ってどうなんだろう、白人なら誰でも貴重ってどういうことなんだ、というような。ピンチョンって意外と熱くてまっすぐな人なんじゃないかと思いました。
柴田 徹底してスラップスティックのノリで語ってはいるけど、そのとおりですね。アメリカに自由をもたらしたとされているフランクリンとかワシントンがけっこう邪悪に描かれているのも印象的。偉そうにしている奴が生理的に嫌いで、だらしなくて世の中からこぼれ落ちたような人にはつい共感してしまうようなところがピンチョンにはあると思うんです。そのへんは意外に素朴。
――異常に高い知性と、熱くてまっすぐな感受性。最強の組み合わせかもしれませんね。

(しばた・もとゆき/とこう・こうじ)

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書評

波 2010年7月号より

未来の作家
都甲幸治

『メイスン&ディクスン』を日本語で読んだあなたは、生まれて初めてピンチョンの過激な面白さと直面することになるだろう。もちろん一九九八年に出た『ヴァインランド』の日本語版だって最高だったし、あの自由奔放な翻訳を成し遂げた佐藤良明が天才だってことは、誰の目にも明らかだ。でも膨大な知識が叩きこまれ、主人公たちが縦横無尽に世界を駆け巡る巨大な作品群、『V.』『重力の虹』『メイスン&ディクスン』を読まなければ、彼の本領はわからない。そしてピンチョンがこの半世紀間、文学という渦の中心に居続けている以上、それは現代アメリカ文学、ひいては現代世界文学を理解し損ねるということだ。
「トマス・ピンチョン全小説」が続々刊行されるという話を聞いて、思い出した光景がある。今を去ること十五年前、まだ四十歳前後の柴田元幸先生を囲んで、学生だった我々はこつこつと『V.』を読み続けた。あの読書会は三年ほど続いたはずだ。そのとき僕がいつも感じていたのは、驚きと怒りだった。あれほど難しいと聞いていたのに、英語で読めばピンチョンはなんてわかりやすくて面白いんだろう。そして、どうして日本語で読んでいたのでは、そんな単純なことさえわからないんだろう。
 だからといって、当時の訳者たちを責めているのではない。ただ日本とアメリカの距離があのころとは決定的に変わってしまっただけだ。航空運賃は劇的に下がり、インターネットで細かい情報を瞬時に調べられるようになった。それにつれて、アメリカ文学は遠い異国からやってきた、見上げるべき文物であることを完全にやめてしまい、水平な目線で楽しむ対象になったのだ。こうした時代の変化のなかで輝きを失ったものも多い。だがピンチョンは違う。それは、彼が尊敬されたいなんて少しも思っていないからだ。ただ極端に優れた言語能力を駆使して、読者を笑わせ楽しませたいだけなのである。だからこそ今、「ピンチョン全小説」が刊行されることには大きな意味がある。
 具体的に見ていこう。どうにも寝坊な船員を起こそうとするだけで、ピンチョンならこんな文章になる。「縄の端で足の裏を叩く、鼻に蜚ブリ(ゴキブリ)を挿入する、体を転がし料理人ルーカスが淹れた悪名高き珈琲で浣腸を施す、(中略)火縄に火を点し、足指の間に入れてみる。吊床(ハンモック)に包んで船外に垂らしたところで、波に触れてもそわそわ身を捩らせ、ぐうぐう鼾をかき始めるのみ」(『メイスン&ディクスン』80-81)。まったくどこまでやるんだろう。往年の『たけしのお笑いウルトラクイズ』よろしく、呆れるほど大げさで多様な責め苦も、とんと効果がないところがおかしい。あるいは人工の鴨が襲ってくるシーン。「鴨はその後新たに、一点に留まったまま非常な速さで前後に細かく身を動かし、従って直線的に進まずとも不可視になれる術を身に付け」る(『メイスン&ディクスン』538)。かの消える魔球、大リーグボールじゃあるまいし、そんなことあるわけないだろう。とにかく、鴨すごすぎるよ。いかにも文章がもっともらしいのも笑える。こんなところはまるで上質な落語のようだ。
 おそらくピンチョンにとっては、今我々が文学だと考えているものなんてどうでもいいんだろう。むしろ彼が見据えているのはもっと大きなものである。今の文学はいったい何を切り捨ててきたのだろう。そのもととなった歴史とは? 植民地主義が世界を吹き荒れ、奴隷制や戦争の悲惨の中からアメリカ合衆国が形成されていく十八世紀という、重要な時代を描いた『メイスン&ディクスン』は、まさにアメリカを始まりから思考し、想像、あるいは創造し直している。そのことはまた、アメリカ文学の、今あるものとは別の形を夢想する作業でもあろう。その意味でピンチョンとは、ただの現代作家ではない。むしろ我々がいまだ見たことのない未来に属する作家なのだ。
(とこう・こうじ 早稲田大学准教授・文芸評論家)

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