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スロー・ラーナー

トマス・ピンチョン/著 、佐藤良明/訳

3,520円(税込)

発売日:2010/12/22

  • 書籍

怪物はいつから怪物だったのか? 世界文学の巨人唯一の短篇集、新訳で登場。

世界は熱的な死を迎えるのだろうか――? 終わらぬパーティと変わらぬ気温。だが、ドンチャン騒ぎの階下と静謐なる上階はやがてそれぞれの終焉を迎え……。天才作家の若き日の傑作「エントロピー」を含む全五篇に仰天の自作解説を加えた著者唯一の短篇集。当代随一のピンチョン者・佐藤良明が新訳、目から鱗の解説と訳註付き。

目次
イントロダクション
スモール・レイン
ロウ・ランド
エントロピー
アンダー・ザ・ローズ
シークレット・インテグレーション
解説
訳註

書誌情報

読み仮名 スローラーナー
シリーズ名 全集・著作集
全集双書名 トマス・ピンチョン全小説
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 320ページ
ISBN 978-4-10-537206-4
C-CODE 0097
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 3,520円

書評

波 2011年1月号より 「あなた」の若さがとても眩しいっ

豊崎由美

一九七九年、国書刊行会から『V.』。一九八五年、サンリオSF文庫から『競売ナンバー49の叫び』。一九八八年、筑摩書房から『スロー・ラーナー』。一九九三年、国書刊行会から『重力の虹』。一九九八年、新潮社から『ヴァインランド』。一九六一年生まれのわたしは、トマス・ピンチョンという大きな作家に鍛えられた読者の一人だ。それだけに、二〇一〇年の六月からスタートした「トマス・ピンチョン全小説」シリーズの刊行には、勝手な感慨ではあるのだけれど、自分のささやかな読書人生のひとつの読点のような思いを抱いている。『メイスン&ディクスン』や『逆光』という未訳の新しい作品が読める歓びと、かつて頭が一回転するくらい首をひねりながら頑張って読み通した作品に出会い直す懐かしさ。なかでも、「自分みたいなバカはピンチョンの小説を開く資格がないんじゃないか」とうなだれていた時、救いになってくれた一冊『スロー・ラーナー』との再会には、大袈裟でも比喩でもなんでもなく、悩み多き若い頃を共に過ごした旧友に久しぶりに会って声を失うような感激を覚えた、そのくらいの歓びに包まれたのである。
ピンチョンにも若くて生意気で、カッコつけたがる時期があって、憧れている作家がいて、そりゃあピンチョンだからまだ学部学生の頃に書いた作品だって驚くくらい巧みなんだけど、でも、やっぱり背伸びしている姿は丸見えで。処女長篇『V.』に圧倒され、『競売ナンバー49の叫び』はそれと比べれば愉しく読めたとはいうものの、自分には一生ピンチョンをきちんと堪能することはできないのかもしれないと怯えていたわたしは、初期作品ばかりを収めた『スロー・ラーナー』を読むことで、気を取り直すことができたのだ。
陸軍の通信兵で、無気力なんだけど、その無気力な自分を笑う知性は備えているダメ男、レヴィーンを主人公にした「スモール・レイン」。妻から悪友と一緒に家を追い出された元海軍士官のフランジが、廃棄場で妖精のように小さなジプシーの娘と出会う「ロウ・ランド」。〈宇宙はいつの日か熱死(ヒート・デス)を迎え、すべての地点の熱エネルギーが等価となって一切の形態も運動も成り立たない、辺獄(リンボ)のようになる〉と信じ、〈アンリ・ルソー風の幻想熱帯園〉を作り上げ、愛人と二人閉じこもって出てこない男の話と、その階下でどんちゃん騒ぎをしている連中の話を交互に描く中、二十世紀の文化と社会の無秩序化を考察する「エントロピー」。二十世紀半ばまでは存在した紳士協定に基づく英国式スパイ活動が、人間性を軽視し、合理的アプローチによって任務を遂行するドイツ式スパイ活動によって敗れ去るさまを描いた「アンダー・ザ・ローズ」。秘密の隠れ家での作戦会議や笑っちゃうようないたずらといった、子供時代への郷愁で胸がいっぱいになる少年少女のエピソードを多々ちりばめる中、黒人を差別をしたり、自分たちとは違う者を排除しようとする大人たちの狭量と愚かさをリアルに浮かび上がらせる「シークレット・インテグレーション」。
これら五つの短篇は読んでわかって面白いだけでなく、後に偉大な長篇をものしていくピンチョンの萌芽が見てとれる。ダメ男をはじめとするキャラクタライゼーション、歴史や陰謀に対する関心と知識の深さ、熱力学第二法則のような科学的概念をメタファーとして扱う手法、子供っぽい所業の肯定、非人間的行為に対する抗議、リベラルな精神。その上、この作品集にはピンチョン自身が自作を解題したり小説観を説く「イントロダクション」と、訳者・佐藤良明さんによる懇切丁寧な註までついているのだ。つまり、若い皆さんは、この『スロー・ラーナー』を端緒に、ピンチョンの全小説を読んでいけばいい。きっと、『V.』や『重力の虹』を理解して愉しむ助けになってくれるから。
二十二年ぶりにこの本を再読したわたしは、佐藤さんの若々しい訳文でピンチョン初体験ができる「あなた」のことが、とても羨ましい。新潮社のこのシリーズによって、ピンチョンという壮大なクエストにこれから挑んでいける「あなた」の若さがとても眩しいっ。

(とよざき・ゆみ 書評家)

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著者プロフィール

1963年『V.』でデビュー、26歳でフォークナー賞に輝く。第2作『競売ナンバー49の叫び』(1966)は、カルト的な人気を博すとともに、ポストモダン小説の代表作としての評価を確立、長大な第3作『重力の虹』(1973)は、メルヴィルの『白鯨』やジョイスの『ユリシーズ』に比肩する、英語圏文学の高峰として語られる。1990年、17年に及ぶ沈黙を破って『ヴァインランド』を発表してからも、奇抜な設定と濃密な構成によって文明に挑戦し人間を問い直すような大作・快作を次々と生み出してきた。『メイスン&ディクスン』(1997)、『逆光』(2006)、『LAヴァイス』(2009)、そして『ブリーディング・エッジ』(2013)と、刊行のたび世界的注目を浴びている。

佐藤良明

サトウ・ヨシアキ

1950年生まれ。フリーランス研究者。東京大学名誉教授。専門はアメリカ文化・ポピュラー音楽・英語教育。代表的著書に『ラバーソウルの弾みかた』。訳書にグレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』、ボブ・ディラン『The Lyrics』(全2巻)など。〈トマス・ピンチョン全小説〉では7作品の翻訳に関わっている。

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