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最後にピアノを聴いたのはいつですか? ちょっと切ない傑作ノンフィクション!

パリ左岸のピアノ工房

T・E・カーハート/著、村松潔/訳

2,160円(税込)

本の仕様

発売日:2001/11/30

読み仮名 パリサガンノピアノコウボウ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 318ページ
ISBN 978-4-10-590027-4
C-CODE 0398
ジャンル 評論・文学研究、ノンフィクション、音楽
定価 2,160円

パリに住みついた著者が、カルチェ・ラタンで見つけたピアノ工房。その扉の向こうには、古今東西の名器から愛着のあった思い出のピアノまで、あらゆるピアノを扱う職人たちの世界が広がっていたのです……。音楽を愛するすべての人に!

著者プロフィール

T・E・カーハート Carhart,Thad E.

アイルランドとアメリカ、二つの国籍を保有。幼少時をフランス国内やワシントン、東京などで過ごす。イエール大、スタンフォード大で学んだのち、カリフォルニアでメディアコンサルタントとして活躍。その後ヨーロッパに渡り、大手コンピュータ会社に勤務するが、50歳を機にフリーライター/ジャーナリストに転身した。現在は妻、二人の子供とともにパリに住み、執筆活動を続けている。『パリ左岸のピアノ工房』は著者のデビュー作である。

村松潔 ムラマツ・キヨシ

1946年東京生れ。主訳書は、R・J・ウォラー『マディソン郡の橋』、T・E・カーハート『パリ左岸のピアノ工房』、T・ケイ『光の谷間』、J・ヴェルヌ『海底二万里』、I・マキューアン『未成年』、C・ペロー『眠れる森の美女』、J・バージャー『果報者ササル』など。

書評

波 2001年12月号より ピアノの夢・夢のピアノ  T・E・カーハート『パリ左岸のピアノ工房』

山之口洋

 ピアノ教室は子供が通うもの、と思っていたら、最近は熟年向けの教室が盛況だと言う。五十代から定年後あたりのお父さんが、圧倒的に多い。娘ほども若いピアノの先生に「ピアノははじめてですか」と聞かれて、「まったくの初心者である、と考えてください」などと、なけなしの見栄をはったりしているのが、ほほえましい。どうせすぐ、ばれちゃうのに。教室側にとっては、お父さんたちは、ちゃんと通ってくるし、子供みたいに騒がない、たいして上達もしない(失礼)、ありがたいお得意様だろう。

 なにが、このお父さんたちを、照れくさいレッスンに駆り立てるのだろう。そこには、単にピアノという楽器を弾けるようになりたいばかりではなく、《ピアノのある生活》への漠然とした憧れがあると思う。ついでに、昔々、ピアノを習っていた少年時代へのノスタルジーも――。ピアノは不思議と、人生に寄りそい、思い出に入り込む力を持っている。

《ピアノのある生活》は、ない生活となにが違うのか――もちろん一言では言い切れない。それは「音楽とは何か」という永遠の謎とつながっているだろう。音楽がなくても死にはしないし、プロでもなければ《生活》に困ることもない。むしろ、自分の《生活》の中に、どれだけ働きいくら稼いだというような、簡単に割り切れることがらだけでなく、曖昧で言い尽くせない部分――楽しみや関心の底知れない源泉があってほしいと願えばこそ、お父さんたちはピアノを習い、買ってみたくもなるのだろう。

 この長編エッセイ『パリ左岸のピアノ工房』の語り手の動機も、技量のレベルや関心の深さこそ違え、やはりこれらお父さんたちと同じものである。話は、セーヌ左岸に住む「パリのアメリカ人」である「わたし」が、昔は弾いていたピアノを、もう一度弾いてみたいと思い、近所のピアノ工房に相談するところからはじまる。そこはピアノの部品や修理工具を扱うほか、中古のピアノに関してあらゆることをする、一風変わった店である。

 やがて、一台のベビー・グランド・ピアノが、アパートの部屋にやってくる。そして、春から翌年の春までの一年間、そのピアノをめぐり、さまざまな人々との交流が重ねられていく。日本なら単なるビジネスとしてあっさり済んでしまうあらゆる局面で、意見の対立が起こり、ちょっとした問題が発生し、強くこだわる者がいたりするところが、なんともパリらしい。複雑なことは、複雑なままにしておくのが、この街の流儀なのである。店の主人リュックや、酒呑みの調律師ジョスをはじめ、一筋縄ではいかない頑固な職人たち。個人レッスンや、音楽学校で出会う、または思い出の中の教師たち。交流と言っても、すべてはピアノのことに限られているのだが、それぞれの登場人物たちが、ピアノに関しては実に豊かな語彙をもち、自分の表現で語っているため、まるでさまざまな方向から光をあてられたように、読者の頭に、ピアノという不思議な楽器の姿が立体的に浮かび上がる。

 このあたりが、本書の達し得た境地であり、一見フィクションのような語り口を選んだ理由でもあろう。ピアノに関する知識だけなら、解説書に体系的に整理されて書かれている。しかしそうしてしまうと、この楽器の、一言で言い尽くせない部分は、説明のために切り捨てられてしまう。そのやり方は、自分の知るピアノの魅力を語るのにふさわしくないと、作者は考えたのだろう。

 そして最後に、ピアノを巡る、この静かで情熱的な探求は、十七世紀にイタリアのクリストフォリがこの楽器を発明して以来、三百年以上にわたって持続してきた、もう一つの情熱――最高のピアノを作ろうとする者たちの情熱と触れあう。終盤近く、《イタリアの宝石》の異名をとる世界最高のピアノ、ファツィオーリの工場を訪ねるくだりは、小説ならばクライマックスである。作り手と使い手が注ぎ込んできた膨大な情熱の蓄積こそが、この楽器を、単なる道具を超えたなにものかに高めているのである。

 本書の終章で、作者はこう言う。

「最後の和音が宙にただよい、ゆっくり消えていくのを聞きながら、わたしは椅子から立ち上がって、このわたしのものである、しかしけっして完全にはマスターできないだろう、いつ見ても不思議な楽器の内部をのぞきこんだ。もちろん、どんな音楽かは重要だった――モーツァルトはあくまでもモーツァルトなのだから――けれども、たとえどんな曲を弾くときでも、わたしのピアノはじつに深い満足感を与えてくれた。感情的、肉体的、知的、精神的な満足感はほとんど無限で、わたしの生活にきわめて大きな影響を与えていた。わたしは部屋の反対の端から眺めて、その三角のコーナーが空っぽだったときのことを思い出そうとしたが、それはまるでべつの人生でのことだったような気がした」

(やまのぐち・よう 作家)

▼T・E・カーハート著/村松潔訳(新潮クレスト・ブックス)『パリ左岸のピアノ工房』は、十一月三十日発売

短評

▼Aoyagi Izumiko 青柳いづみこ
ショパンの好んだ銘器プレイエルは、羽根のように軽く、蜂蜜のように甘い音がする。鐘に似た響きをもつベートーヴェン時代のピアノから、4本もペダルがついているイタリアの最新式まで、出てくるピアノというピアノをみんな弾きたくなってしまった。自分だけのピアノに巡りあったときの、音楽の腕にすっぽり抱き込まれるような感覚。すべてのピアノを愛する人々、とりわけ大人になってからピアノを始める人には必携の書だろう。

▼The New York Times ニューヨーク・タイムズ
この奥深い世界をかいま見ることが出来たわれわれは幸運だ。彼は敬意と愛情を持ってピアノを描いた。かつてピアノを習い、今ではまったく忘れきっているような人にはまぶしく感じられるほどに(ピアノを巨大な写真立て置き場として使っている人ならなおさらだ)――本書は、鍵盤の蓋をもう一度開き、昔習った曲をおさらいしてみたいという衝動で、あなたをうずうずさせるだろう。

▼The Guardian ガーディアン
本書は消えつつある職人芸の時代に捧げる賛歌である。

▼Kirkus Reviews カーカス・レビューズ
スタインウェイ、プレイエル、ファツィオーリ、ベーゼンドルファー、ヤマハ、ベヒシュタイン、エラール……ピアノの魅力を余すことなく伝える本書は、ピアノを持っていない人には危険かもしれない。特に、アパート住まいの人は要注意。

▼The Washington Post ワシントン・ポスト
ピアノとピアノを愛する人々、弾く人々、作る人々、直す人々についての本。きわめて魅力的。

▼The Observer オブザーバー
もし著者の望みが、読者の音楽に対する愛情を甦らせることにあるのだとしたら、彼の狙いは実に見事に成功している。

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