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叶わない夢。得体の知れない恐怖。二十一世紀のアメリカ人たちの姿を鮮烈な言葉で切り取る九つの物語。

奪い尽くされ、焼き尽くされ

ウェルズ・タワー/著、藤井光/訳

2,052円(税込)

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発売日:2010/07/30

読み仮名 ウバイツクサレヤキツクサレ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 271ページ
ISBN 978-4-10-590084-7
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,052円

夏休みを持てあます少女、認知症の父と過ごす中年男、移動遊園地に集う人々、暴虐の限りを尽くすヴァイキングの男たち。多彩な視点と鮮烈な語りで、人々の静かな絶望、消えずに燃え残った願い、湧き出す暴力の気配を切り取る全九篇。ニューヨークタイムズブックレビューほか各紙誌が絶賛、驚異の新人によるデビュー短篇集。

著者プロフィール

ウェルズ・タワー Tower,Wells

1973年バンクーバー生まれ。ノース・カロライナに育つ。ウェスリアン大学で人類学と社会学を学んだ後、コロンビア大学創作科で修士号を取得。2002年に短篇「茶色い海岸」でパリス・レビュー新人賞を受賞。『奪い尽くされ、焼き尽くされ』の表題作は、ジュンパ・ラヒリやアンソニー・ドーアの作品とともに『The Anchor Book of New American Short Stories』に収録された。『奪い尽くされ、焼き尽くされ』はフランク・オコナー賞最終候補となり、ニューヨーク公共図書館ヤング・ライオン賞を受賞、9カ国語に翻訳された。現在、コロンビア大学で教鞭を執るかたわら、ニューヨーク・タイムズ、ニューヨーカー、マクスウィーニーズ、パリス・レビュー等に小説およびノンフィクションを寄稿している。ブルックリンおよびノース・カロライナ在住。

藤井光 フジイ・ヒカル

1980年大阪生まれ。同志社大学准教授。訳書にウェルズ・タワー『奪い尽くされ、焼き尽くされ』、テア・オブレヒト『タイガーズ・ワイフ』、セス・フリード『大いなる不満』、ダニエル・アラルコン『夜、僕らは輪になって歩く』等。著書に『ターミナルから荒れ地へ』。

書評

波 2010年8月号より ブルースすら生まれない、とほうもない荒涼

青山南

アメリカを豊かな国とかんがえるひとはいまはもういない。ピカピカのでかい車に乗っている、なにごとにもハッピー・ゴー・ラッキーなひとたちがアメリカ人だ、とおもうようなひとは、半世紀も前の人間たちくらいだろう。
アメリカ人はものすごく太っている。アメリカ人の多くは貧しい生活をしている。
これが、昨今のアメリカ人の姿だ。太っていることと貧しいことが両立しているのがいかにもアメリカ的なところで、太っているのは安いジャンクフードをたくさん食べるからである、というのももはや定説だ。アメリカの金持ちは、したがって、肥満でないことをステイタスシンボルにしている。
日々の生活に追われるばかりで、だれにでもチャンスが開かれているという「アメリカの夢」など文字通りの夢である、と承知しているアメリカ人が多く出現するようになったのは一九七〇年代あたりからだが、そういうひとたちを描こうとする小説が多く出てきたのは一九八〇年代になってからである。レイモンド・カーヴァーやリチャード・フォードやトバイアス・ウルフといった面々が書く短編小説群を「ダーティ・リアリズム」と名づけたのはアメリカを捨ててイギリスに移住していたアメリカ人の名編集者だったが、アメリカ社会の片隅の吹きだまりのようなところでひっそりと、というと聞こえがいいが、夢を抱くことなど忘れて生きているひとびとをみごとなまでに簡潔な言葉で書いた。
ウェルズ・タワーの短編を集めた『奪い尽くされ、焼き尽くされ』を読んでいてまっさきに思いだしたのはその作家たちの作品群である。なにしろ、どの短編も、生活に行き詰まった人間たちの話なのだから。どれも都会の裕福な華やかさとは無縁で、名もないような田舎のどこかが舞台。登場人物たちは、借金から逃げていたり、妻に逃げられていたり、家から叩きだされていたりする。
しかし、似ているのはそこまでだ。「ダーティ・リアリズム」と呼ばれた作品群には、夢を持てなくなったことを嘆く淋しいブルースみたいな音楽がただよっている雰囲気があって、それが独特の魅力ともなっていたのだったが、タワーの作品群にはそういうものがまったくない。夢を持てなくなってしまった面々は、ただただ、不機嫌なのだ。苛立っていて、トゲトゲしている。そして、ひとに八つ当たりをくりかえす。憤懣をぶちまけるというのでもない。どうして自分がこんなにも不機嫌なのか、自分でもわからないまま、身近な人間に当たり散らす。登場人物のひとりは言う。
「馬鹿にされるくらいなら悪者になれ」
そうなのである。みんな、自分は馬鹿にされている、とかんじていて、その怒りをだれかに向けたくて、とりあえず身近な人間を狙う。なにしろ、アメリカという国はたいへんなところなのだ。登場人物のひとりは言う。
「この遊園地に一分もいないうちに、もうこの巨漢に八十五ドルの借金をしている」
タワーの作品群は、9.11のあとに書かれたものがほとんどだ。二十一世紀の大不況のさなかに書かれたものがほとんどだ。「奪い尽くされ、焼き尽くされ」た二十一世紀のアメリカは、ブルースすら生まれない、とほうもない荒涼のなかにあるということか。
興味をそそられるのは、随所にあらわれるいっぷう変わった比喩の数々である。いったいなにを言いたいのか、いまひとつはっきりしないが、しかし、どこかユーモアをかんじさせる。おもわず膝を打ったのは、これ。
「半分火が通った消しゴムが、いつの日か売春婦になりたいという夢を持っていたら、こんな見かけになるだろう」
シニカルを超えた、ほとんどシックなユーモアだが、ブルースのようなセンチメンタリズムを拒む姿勢は、表現の隅々にまでゆきわたっている。

(あおやま・みなみ 翻訳家・アメリカ文学研究者)

目次

茶色い海岸
保養地
大事な能力を発揮する人々
下り坂
ヒョウ
目に映るドア
野生のアメリカ
遊園地営業中
奪い尽くされ、焼き尽くされ
訳者あとがき

短評

▼Minami Aoyama 青山南
かつてレイモンド・カーヴァーやトバイアス・ウルフは、アメリカ社会の吹きだまりのようなところでひっそり生きるひとびとを、簡潔な言葉で書いた。そこには夢を持てないことを嘆くブルースみたいな音楽がただよっていたのだが、タワーの作品群にはそういうものがまったくない。彼らはただただ不機嫌なのだ。苛立ち、トゲトゲしている。「奪い尽くされ、焼き尽くされ」た21世紀のアメリカは、ブルースすら生まれない、とほうもない荒涼のなかにある。シニカルを超えた、ほとんどシックなユーモアが、リアルなアメリカをつかまえる。

▼Esquire エスクァイア
我々が必要としているのは『奪い尽くされ、焼き尽くされ』のような本だ。タワーはむやみに希望を与えない。エレジーを歌うこともない。彼の描写するものに壮麗さはないが、その代わりに正確さがある。登場人物たちは物事をうやむやにし、酒に酔い、悲しみ、破産し、ねじれた親切心を起こし、あるいは理由もなく小さな国を侵略したりする。つまり、それは我々アメリカ人の姿なのだ。

▼Michael Chabon マイケル・シェイボン
ウェルズ・タワーの短篇は、紛れもないアメリカの日常のことばで、スリリングに書かれている。暴力的で、滑稽で、荒涼としていて、そして美しい。いますぐ読むべき作品だ。

▼Publishers Weekly パブリッシャーズ・ウィークリー
傑出したデビュー短篇集である。巧みに声色を統御し、さまざまな人物に共感する彼の能力は類まれなもので、それが登場人物たちの中に渦巻くねじれたユーモアと根源的な怒りの間に繊細な緊張感を作り出している。

訳者あとがき

 本書の原書Everything Ravaged, Everything Burnedは、二〇〇九年に発表されたウェルズ・タワーのデビュー短篇集である。それ以前から、本国アメリカではタワーの名は広く知れ渡っていたが、本書は改めて彼の力を見せつけるものとなり、二〇〇九年だけでなく、二〇〇〇年代のアメリカ文学を代表する作品の一つとして推す声も出始めている。
 タワーは一九七三年生まれ。大学卒業後、ナイキの倉庫や移動遊園地(「海賊船」で一週間だけ働いたという)での仕事を経験したのち、創作活動を開始した。本書の表題作である短篇「奪い尽くされ、焼き尽くされ」が発表されたのは二〇〇二年のことだった。ヴァイキングの男たちが繰り広げる鮮烈な人間ドラマを描いたこの短篇はすぐに話題を呼び、ベン・マーカス編による現代アメリカ作家の短篇アンソロジー、The Anchor Book of New American Short Stories (2004)に収録された。このアンソロジーにはジュンパ・ラヒリアンソニー・ドーアなど、まさに気鋭の現代アメリカ作家たちが顔を揃えており、タワーも一躍その仲間入りをしたことになる。その後、彼の作品は『ニューヨーカー』や『ハーパーズ』誌など、名だたる文芸誌に次々に掲載され、タワーは短篇小説の名手としての地位を確立していった。
 しかし、短篇集が発表されるまでには、周囲の予想よりもはるかに時間がかかった。「放っておいたら、頭がおかしくなるまで書き直しを続けてしまう」と語るタワーの完全主義者ぶりがその一因になったようだ。一篇一篇、視点や構成に至るまで修正を続けているときは、一冊の本にまとめることを特には意識しなかったと本人は語っているが、結果として本書には、徹底的に磨き上げられ、多彩な語り口と豊かな内面描写を兼ね備えた、完成度の高い短篇が揃うことになった。
 表題作における鮮烈な暴力描写の印象が先行したタワーだが、本書に収められたほかの作品は、むしろ味わい深さを強く感じさせるものとなっている。七歳の少年から八十三歳の老人、失業中の中年男から夏休み中の女の子まで、現代のアメリカ社会でのさまざまな人間関係のドラマを語りつつ、タワーは登場人物たちが人生にかける儚い願望や夢を丹念に描き出していく。力強さは保ちつつも、細やかな心理描写と絶妙なユーモア感覚に満ちたタワーの世界は、否応なしに読者を主人公の心象風景に引きずりこむ力を備えている。
 その特徴が典型的に現れているのは、「茶色い海岸」や「保養地」、さらには「下り坂」といった、失業や離婚など人生の曲がり角を迎えた中年の男たちを主人公に据えた短篇である。ぶっきらぼうなようでいて気弱さを抱え込み、うまく行かなくなった人生をどうにか軌道に乗せようと奮闘する男たち。そんな男たちを、タワーは自虐的なユーモアを交えつつ、実に生き生きと描き出している。
 短篇集中盤の主題となる親子間での葛藤もまた、タワーの得意とする主題であるが、設定や語りに工夫を凝らした作品が続く。「大事な能力を発揮する人々」では、発明家の息子と原因不明の痴呆症に苦しむ父親の一晩のドラマを巧みに語ってみせるし、「ヒョウ」では語り手が少年に親しげに話しかけながら、成長を願うなかで継父への反発を強める少年の心理に潜り込む。かと思えば、「目に映るドア」の主人公は八十三歳の老人であり、娘の家を訪れた際に通りの向かいに住む女性と知り合う。こうした短篇は、いつの間にかぎくしゃくしてしまった人間関係を語る物語の魅力と同時に、語り口や視点のユニークさを存分に味わえるものとなっている。
 短篇集の後半には、長さをまったく感じさせない緊張感に満ちた作品が並んでいる。「野生のアメリカ」の語りは、郊外の自然を舞台として、思春期の少女のコンプレックスや将来への不安をあぶり出していく。続く「遊園地営業中」は群像劇のように進行し、移動遊園地で発生した事件をめぐってサスペンスを巧みに盛り上げつつ、登場人物たちが幾重にも織りなすドラマを組み立てる。そして「奪い尽くされ、焼き尽くされ」は、一気に舞台を十世紀ほどさかのぼり、イングランド北部を襲撃するヴァイキングの姿を語りつつも、人生での葛藤や愛憎をえぐるように語るという点で他の短篇と深く響き合い、短篇集全体の世界を凝縮してみせている。
 そして、それぞれの物語をじっくりと読み進めた先に待っている結末の見事さが、タワー作品の大きな魅力となっている。表題作を始めとして、決して予定調和ではなく、意外ですらある光景や言葉で各短篇は締めくくられ、ときには深い余韻、ときには衝撃を残し、作品全体にさらなる奥行きを与えている。荒々しさと同居する繊細さ、そして忘れがたい「落とし前」のつけかたというタワー独特の間合いを、読者の皆さんにもぜひ味わってほしいと思う。

 まずはヴァイキングたちの鮮やかな描写で読者の度肝を抜いたタワーだが、本書の後、二〇〇九年に発表された短篇 “Raw Water” では、二〇二四年のアメリカ南西部に造られて放棄された巨大な人造湖のほとりを舞台に、妻とともにやってきた中年男の満たされない思いを描き出してみせた。過去も未来も自在に語りに組み込んでみせるタワーの懐の深さと同時に、揺るぎない作風がすでに確立していることを物語る作品である。
 現在タワーは長篇を執筆中だという。作者自身の生い立ちが投影された、一九六〇年代から二〇〇八年にまたがるアメリカ人一家の物語となる予定で、もう前半は書き上げられているようである。まだ概要しか明らかにはされていないが、いかにもタワー的な人物たちが数十年にわたって繰り広げるドラマはどのようなものになるのか、今から楽しみでしかたがない。ただ、いつそれが「完成」となるのか、この人の場合は非常に不安ではあるのだが……。

 この作品が日本の読者に向けて船出をする手助けをできたことは、訳者の僕にとって望外の喜びだった。そのプロセスを振り返れば、感謝以外に言葉は見つからない。
 本書の訳者に抜擢してくれたのみならず、一篇一篇訳ができるたびに的確なコメントと励ましの言葉を送ってくれた、新潮社出版部の佐々木一彦さんに心から感謝したい。佐々木さんとやり取りをするなかで、それぞれの短篇の輪郭はよりくっきりとしたものになった。新潮社校閲部の方にも併せて感謝したい。
 そして、妻に。この本の登場人物たちに接し、かれらの行く末に思いを馳せるたび、僕は自分たちのことを振り返った。ここまで二人で生きてきて、娘という仲間も加わったことは、ささやかだけれど奇跡のように思える。僕たちの住む世界がこの先どうなっていくのかは想像もつかないけれど、それでも僕たちは、二人で娘の成長を見守りながら、すべてを分かち合っていくだろう。

  二〇一〇年六月 京都にて

藤井光

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