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時は流れ、ゆらぎ、やがて跡形もなく消える。2011年度ブッカー賞受賞作。

終わりの感覚

ジュリアン・バーンズ/著、土屋政雄/訳

1,836円(税込)

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発売日:2012/12/21

読み仮名 オワリノカンカク
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 188ページ
ISBN 978-4-10-590099-1
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 1,836円

歴史とは、不完全な記憶と文書の不備から生まれる確信である――。二十代で自殺した親友の日記が、老年を迎えた男の手に突然託される。それは、別れた恋人の母親の遺言だった。男は二十代の記憶を懸命に探りつつ、かつての恋人を探しあてるが……。記憶の嘘が存在にゆすぶりをかけるさまをスリリングに描くバーンズの新境地。

著者プロフィール

ジュリアン・バーンズ Barnes,Julian

1946年、イギリス・レスター生まれ。オックスフォード大学卒業。OED(オックスフォード英語大辞典)の編集者等を経て作家に。おもな作品に『フロベールの鸚鵡』『10 1/2章で書かれた世界の歴史』『ここだけの話』『海峡を越えて』『イングランド・イングランド』、エッセイに『文士厨房に入る』など。2011年、『終わりの感覚』で、ブッカー賞を受賞。

土屋政雄 ツチヤ・マサオ

1944年、松本生まれ。東京大学中退。訳書にカズオ・イシグロ『忘れられた巨人』『日の名残り』『わたしを離さないで』、マイケル・オンダーチェ『イギリス人の患者』、フランク・マコート『アンジェラの灰』、デイヴィッド・ミッチェル『出島の千の秋』、ヘミングウェイ『日はまた昇る』ほか多数。

書評

波 2013年1月号より 不完全な記憶がかたちづくる過去

川本三郎

ジュリアン・バーンズだから何かとてつもないことが起るとは思っていたが、最後にこんな大どんでん返しのような意表をつく結末が待っているとは。
物語はごく普通に、平穏に始まる。
語り手の「私」(トニー・ウェブスター)は現在、六十代のなかばと思われる。長くアートセンターで働いたが引退し、ロンドン郊外で一人暮しをしている。
妻のマーガレットとは結婚して十二年目に別れた。いまも親しくしている(と「私」は思いこんでいる)。娘のスージーは結婚して二人の子供がいる。娘ともうまくいっている(と「私」は思いこんでいる)。
「思いこんでいる」と書いたが、この小説は「私」という一人称で語られていて、どこまでが事実かよく分からないところがある。
別れた妻とうまくいっているといっても、三十年近くも前に別れた妻に連絡をとって、昔のガールフレンドとのごたごたの相談に乗ってもらおうとする「私」のことを元の妻が快く思っているとは思えない。「私」の主観と他者が見る「客観」にはずれがある。このずれが物語を面白くしている。期せずしてずれがユーモアも生む。ちなみに「私」の頭にはもう髪がなくなっている。活字ではあまり感じられないが、もし映画化されたら、髪のなくなった引退生活者が昔の恋人を思い出し、四十年ぶりに会おうとするさまは、かなり笑えるだろう。
「私」は思春期のことを思い出す。年齢(とし)をとると人生を振返ることが多くなる。懐旧は年寄りにとって日々の大きな仕事でもある。
ロンドンでの高校時代。一九六〇年代に高校生だったと思われるから日本でいえば団塊の世代になるだろうか。
ビートルズとローリング・ストーンズの時代だが「私」は案外、おとなしい青春を送っていた。誰もが六〇年代を生きていたわけではない。「私」はまだ五〇年代の尻っ尾をつけていた。ガールフレンドもいなかった。
「私」の高校にエイドリアンという転校生が入って来る。すこぶる頭がいい。難しい哲学を語る。ひと昔前の青春とは友情の季節だったが、「私」は明晰なエイドリアンに惹かれてゆく。
大学生になった「私」にようやくベロニカというガールフレンドが出来る。セックスの体験もする。エイドリアンとは大学は違ったが友情は続く。
このあたりまでは、六十代の引退生活者が青春時代を懐しく思い返しているという平凡な形をとっている。どこかE・M・フォースターの小説を思わせたりもする。ジュリアン・バーンズにしては普通だなとうっかり思ってしまう。
平穏な青春時代だが事件らしい事件がふたつ思い出されてくる。ひとつは、週末にベロニカの家に遊びに行った時、居心地が悪く、屈辱を覚え、そのあとベロニカと別れたこと。
もうひとつは、エイドリアンがそのベロニカと付合い始めたこと、そのあとエイドリアンがなぜか二十二歳の時に自殺してしまったこと。
六〇年代世代にしては平穏な青春を送った「私」だが、このふたつの出来事が記憶のとげになっている。
さてここからようやく物語が大きく動き出す。
静かに引退生活を送っていた「私」のところに突然、四十年前に別れたベロニカの母親から弁護士の手を通して五百ポンドの金が届く。「私」自身、忘れかけていた、そして、読者の記憶にもほとんど残っていなかったベロニカの母親がなぜここで登場するのか。
しかも、すでに死亡したベロニカの母親は「私」になぜかエイドリアンの残した日記を遺贈しようとしていたらしい。
このあと、なんとかその日記を手に入れようと「私」が相手の弁護士としつこくやり合うドタバタ劇があり、そこは大いに笑わせるが、その笑いのあとに思いもかけない展開になってゆく。さすがジュリアン・バーンズと驚かされる。
ミステリ仕立てにもなっているのでこの先を書くのは控えるが、主観と客観のずれの大きい「私」が気づかなかった、思いもかけない過去があらわになる。
高校時代、「私」は歴史の授業で教師に、あるフランス人のこんな名言を得意になって披露した。「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である」。この「歴史」を「青春時代の思い出」と置き換えればこの小説にぴったりかもしれない。

(かわもと・さぶろう 作家)

短評

▼Kawamoto Saburo 川本三郎
生きることとは過去を思い出すことなのかもしれない。年齢を重ねるほど過ぎ去った時がよみがえる。とりわけ多感な青春時代が。決して懐かしいのではない。長く忘れていた、いわば「音信不通」だった過去はあくまでも苦く重い。リタイアした六十代なかばの主人公が青春時代を思い出してゆく。はじめての恋人。若くして自殺した頭のいい友人。そして隠された謎が明らかになってゆく。思い出すとは悔恨に向き合うことなのだろう。

▼Anita Brookner アニータ・ブルックナー[『秋のホテル』]
この本の短さにだまされてはならない。そこにふくまれる謎は、太古の記憶同様、小説の奥に深く深く隠されている。

▼TLS タイムズ文芸付録
素直な物語と卓抜なアイデア――二兎を追って二兎とも手に入れてしまうという力業は、内部にイギリス的なるものとフランス的なるものを抱えているバーンズならではだ。彼は自分の才気に小説の邪魔をさせない。それほどに頭がいい。

▼Telegraph テレグラフ
バーンズの最高傑作。そのセンテンス一つ一つは簡潔で明確だが、同時に熱帯魚のように玉虫色だ。一匹一匹は個性的で紛れなく、それぞれに一つの啓示を、思想を、イメージを、ジョークを語るが、寄り集まると摩訶不思議なほどに調和のとれた魚群をなす。類まれな、目もくらむ天才の業。

▼The Independent インディペンデント
ゆっくり燃える導火線のようだ。導火線はやがて燃え尽き、フィナーレで爆発する。結末のシーンはまるでスリラー、記憶と道徳のフーダニット。読み手の心に黙示録的世界を出現させる。

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