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撮影現場から姿を消した人気女優と、あとを追うベテラン俳優。よみがえる禁断の恋の記憶――。

いにしえの光

ジョン・バンヴィル/著、村松潔/訳

2,268円(税込)

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発売日:2013/11/29

読み仮名 イニシエノヒカリ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 332ページ
ISBN 978-4-10-590105-9
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,268円

最愛の娘を失った老俳優と、今をときめく人気女優の、奇妙な逃避行。その途上で彼の脳裏によみがえるのは、友人の母親との禁断の恋の記憶だった。二人きりで過ごした短い時間があんなにも光に満ちていたのは、なぜだったのか? 数十年の後、その手がかりが不意に明らかになる――。ブッカー賞、カフカ賞受賞作家による最新長篇。

著者プロフィール

ジョン・バンヴィル Banville,John

1945年、アイルランド・ウェクスフォード生まれ。12歳よリ小説を書き始める。1970年、短篇集Long Lankinでデビュー。アイルランド紙で文芸記者として働きながら執筆を続け、『コペルニクス博士』(1976)でジェイムズ・テイト・ブラック記念賞、『ケプラーの憂鬱』(1981)でガーディアン賞、『海に帰る日』(2005)でブッカー賞受賞。2011年、フランツ・カフカ賞受賞。現代アイルランドを代表する作家であり、The New York Review of Booksなどで批評家としても活躍している。ダブリン在住。

村松潔 ムラマツ・キヨシ

1946年東京生れ。主訳書は、R・J・ウォラー『マディソン郡の橋』、T・E・カーハート『パリ左岸のピアノ工房』、T・ケイ『光の谷間』、J・ヴェルヌ『海底二万里』、I・マキューアン『未成年』、C・ペロー『眠れる森の美女』、J・バージャー『果報者ササル』など。

書評

波 2013年12月号より 思い出を生き直す

川本三郎

小説とは記憶だ。
失なわれてしまったかけがえのないものへの愛着、思い出なくして小説はありえない。
アイルランドの作家、ジョン・バンヴィルは前作『海に帰る日』で、遠い夏の日、海辺の町で過ごした子供時代の思い出を語ったが、新作『いにしえの光』でもまた、少年時代に恋した年上の女性のことを思い出す。
初老の舞台俳優が、五十年も前、十代の頃に、友人の母親に恋をした日々を振返る。大人になり、結婚し、子供も生まれ、いま人生の秋になって、少年時代を思い出す。
絶ちがたい思い出だったのはもちろんだろうが、この初老の主人公にとっては、いま、思い出すことが生きる証しになっている。大事な記憶があるから思い出す。それだけではない。思い出すことによって思い出が作られてゆく。実際の少年時代と、思い出され、脚色された少年時代の二つを生きることになる。
時と場所は小説のなかで明示されていないが、一九五〇年代のアイルランドの小さな町が舞台のようだ。
当時、十歳か十一歳だった「わたし」は、四月のさわやかな日、教会の前で、突然現われた、自転車に乗った女性に会う。まさに出現(エピファニー)だった。
その時、風が吹いて彼女のスカートが舞い上がり、腰まですっかりむき出しになった。少年の「わたし」には鮮烈な印象だった。
フランソワ・トリュフォー監督の第一作「あこがれ」の、あの白いスカートをはいて自転車に乗る大人の女性に憧れた少年のように、「わたし」は彼女に惹かれてしまう。
彼女は、友人の母親だった。十五歳になった「わたし」は、彼女――、ミセス・グレイに、ある日、車に乗せてもらったのをきっかけに、思いを深めてゆく。
コレットの「青い麦」にあるように、少年が年上の女性に導かれて大人になってゆく話はフランス文学の常套だが、このアイルランドの小説でも、少年の「わたし」はミセス・グレイに性の手ほどきを受ける。
少年と有夫の女性の関係。無論、人に知られてはならない。二人は、森のなかで、古ぼけた廃館で密会を重ねてゆく。ただ、この逢いびきは「わたし」の思い出で語られてゆくから、ミセス・グレイがどういう思いだったのかは分からない。大人の女性の戯れだったのか、少年を大人にしようとする義務感だったのか。だから、初老の「わたし」は、五十年たったいま、もし彼女が生きているのなら会いたいと思う。

「わたし」は小さな劇団に所属する俳優だったが、ある時、舞台でセリフを忘れるという失態を演じ、引退を決意した。そこに、インデペンデントの映画会社が、映画への出演を依頼してきた。地味な映画だが、相手役はスター女優。「わたし」は映画に出ることにする。
その現在と、少年時代が交錯してゆく。
『海に帰る日』では、子供時代に心惹かれた少女が海に消え、また、妻が癌と思われる病いで死んでいったが、『いにしえの光』もまた、死におおわれている。
「わたし」の娘は、頭がよく学者になったが、精神が不安定で、イタリアの海に身を投げて死んだ。まだ二十七歳だった。そのあと、妻の精神状態も不安定になった。
「わたし」が、少年時代の恋をいまになって思い出そうと努めるのは、娘の自死、妻の不安という現在の苦しさから逃れるためかもしれない。あの春の日、自転車に乗って現われたミセス・グレイの姿は、海で死んだ娘とは対照的に、輝かしい生の象徴になっている。

近代小説のひとつの特色は、思い出を文学の大きな主題にしたことだろう。時間があまりに速く過ぎてゆく近代にあっては、過去と現代の連続性が失なわれてゆく。過去と断ち切られた人間は、なんとか自分の統一性を取り戻そうと、思い出にすがる。思い出し、時には思い出を作り直そうとさえする。
「わたし」は映画の仕事で知り合った、調査の仕事をしている女性にミセス・グレイのその後を調べてもらう。その結果、自分の思い出とは違った、もうひとつの過去が明らかになる。そこに死が関わっていることはいうまでもない。思い出はつねに死と共にある。

(かわもと・さぶろう 評論家)

短評

▼Kawamoto Saburo 川本三郎
『海に帰る日』で遠い夏の日の少女を描いたアイルランドの作家ジョン・バンヴィルが再び、少年の日の失なわれた恋に戻ってゆく。初老の俳優が、五十年も前の初恋を思い出す。十五歳の少年は、友達の母親に惹かれた。そして年上の彼女に恋の手ほどきを受けた。記憶のなかの女性がいま、鮮やかによみがえる。二人は町の人々から隠れるようにして林のなかの廃家で密会を重ねた。隠れた恋だった。秘密だった。だからこそ五十年もたったいまも輝いている。バンヴィルは現代文学にとって、思い出が大きな主題になっていることを知っている。

▼The Independent インディペンデント紙
光を放つ、息を呑むような作品だ。青年期の精神を、性体験に焦がれる肉体を、理性を失うほどの官能と情動を、バンヴィルは完璧に捉えている。

▼The Observer オブザーバー紙
知の立った文章で、どの言葉も額面どおりには受け取れないのではないかと思わせられる。しかし、作中人物たちの生き生きとした心の動きや、彼らの生きる世界に向ける細心の注意も、バンヴィルはひとときも怠ってはいない。

▼The Wall Street Journal ウォール・ストリート・ジャーナル紙
ツルゲーネフの名作「初恋」に比肩する、青年期の恋の物語。滑らかで、深遠である。心をかき乱す、美しい作品だ。

▼The New Yorker ニューヨーカー誌
この本においてもっとも衝撃的なのは、その言語である。一行一行が詩的効果に満ち満ちている。

▼London Evening Standard イブニング・スタンダード
ラブストーリーに必要なすべてがここにある。セクシーで、説得力があり、不可解で、滑稽で、悲しく、忘れがたい。

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