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遁走状態

ブライアン・エヴンソン/著 、柴田元幸/訳

2,310円(税込)

発売日:2014/02/28

  • 書籍

幻想と覚醒が織りなす、19の悪夢。驚異の短篇集、待望の邦訳刊行!

前妻と前々妻に追われる元夫。見えない箱に眠りを奪われる女。勝手に喋る舌を止められない老教授。ニセの救世主。「私」は気づけばもう「私」でなく、日常は彼方に遁走する。奇想天外なのにどこまでも醒め、滑稽でいながら切実な恐怖に満ちた、19の物語。ホラーもファンタジーも純文学も超える驚異の短篇集、待望の邦訳刊行!

目次
年下
追われて
マダー・タング
供述書
脱線を伴った欲望
怖れ 絵/ザック・サリー
テントのなかの姉妹
さまよう
温室で
九十に九十
見えない箱
第三の要素
チロルのバウアー
助けになる
父のいない暮らし
アルフォンス・カイラーズ
遁走状態
都市のトラウブ
裁定者
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 トンソウジョウタイ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 352ページ
ISBN 978-4-10-590108-0
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,310円

書評

波 2014年3月号より こんな小説群があっていいのか?

古川日出男

何篇もの傑作が収められているのだが、傑作が多すぎて、それらは傑作ではないような気がする。このような読後感がブライアン・エヴンソンの短篇集『遁走状態』を、ある側面からはひと言でいい表わしていると感じる。なんという奇妙さか。たとえばこの本では、「人と人とは理解し合えない」ということが、正確に理解できる。そして、「人は自分を理解しえない」ということが、正確に理解できる。しかしそれらは理解なのか?
この本に収められた諸篇は、かなりの割合で要点をまとめられない。そのバックグラウンドはわかりそうでわからない。真実はわかりそうでわからない。なぜ要点をまとめられないのか?
その理由はやすやす説ける。
必死に「要点をまとめよう」と試みているのが、大概、作品の語り手その人だからだ。読者は、語り手のその試みになんとか縋りつこう、齧りついていこうとする以外、手段がない。すなわち異様な読書体験である(異様にならざるをえない)。だが、それは難解ということでは全然ない。スリルがあるのだ。そして、スリリングすぎるのだ。読書とは「ひもとかれる未知」に飛び込む行為である。一種の、決死のダイブである。そう確信している読者ならば、これほどダイブし甲斐のある19篇を揃えた本もないだろう。
が、ダイブした果てに必ず生きて還れるという保証は、ない。
そこにフィクションとしての禁じ手がある。すなわち著者のエヴンソンは、「読書はフィクション内の体験なのだから、安全」という掟を破ったのだ。しかも平然と破っているのではない。戸惑いながら破っている。その戸惑いが、読者に感染する。
だが著者固有の感染力は他にもあって、それは何篇かの冒頭を抜き出して並べれば、伝わるだろう。
「何年も経ったいまも、彼女は依然姉に電話をかけて、いったい何があったのか理解しようと努めていた」(「年下」)
「自分がいかにして中西部のジーザスとなり、そこからいかなる惨事が生じたか、正直に供述書を書くよう私は命じられた」(「供述書」)
「それは異常な事故だった」(「助けになる」)
「父のいない暮らしは父が実際に亡くなる何週間か前、父が自分の頭を、オレンジ色のビニールのメッシュにくるんで撚り糸できっちり縛ったときから始まった」(「父のいない暮らし」)
ここにあるのは、読んだそばから強引にその“世界”に引きずり込まれる、という恐怖を伴う快楽だ。なにしろ“世界”は始まってしまっている。一行めに触れた途端に、逃げられない、という羽目に落ちる。しかも、その“世界”はどうしたって何かが間違っている。そう、私たち読者は「間違い」という世界に迷い込むのに、語り手はそこからの出口を示してはくれないのだ。なぜならば、語り手自身もつねに迷っている最中だから――。
こんな小説群があっていいのか?
おそらく『遁走状態』という短篇集は、表題作を一つ読むことで(立ち読みするには分量があり過ぎるが)、極めて正確に把握される。その傑作性も(もろもろ異論はあるだろうが)理解しうる。しかし、他に18篇も収録されており、それらを併せて読むという体験を経ることで、実のところポジティブな理解は消えてしまう。迷わされてしまうのだ。いったい、これは何なのか?
ここであえて、表題作の「遁走状態」は採らずに、「アルフォンス・カイラーズ」なる人名を冠した作品の話でこの文章を終えたい。この作品は、
「十月十二日の夜、いまだにどうにも説明しがたいいくつかの理由ゆえに、私はアルフォンス・カイラーズなる人物を殺すことを強いられた」
との一文で始まる。もちろん、その理由は説明しがたいのだから、やはり作中での説明はなされない。それ以上に、作品のバックグラウンドはほとんど説明が抛棄されている。だが、読み終わるや、ストンと落ちる。アルフォンス・カイラーズは殺されなければならなかったのだ、と。なぜならばアルフォンス・カイラーズは私だったからだ、と。その私とは、読者のことだ。それに気づいて、私たち読者はみな戦慄する。戦慄するだろう。

(ふるかわ・ひでお 作家)

短評

▼Furukawa Hideo 古川日出男

そこでは確実におそろしい何かが起きていて、あなたは「何かが起きている」ということはわかっている。しかし、そこまでだ。そもそも「何かが起きている」とわかっているというあなたとは誰か? 19篇のすべてがそれを問う。世界は、あなたの目に見える範囲にしか存在していない。けれども本当に見えているのか? 誰が見ているのか? 目に見えるとはどういうことなのか? そして、再び――あなたとは誰か? ブライアン・エヴンソンはそれを知っている。だから、ここに収録された19篇を書いた。


▼George Saunders ジョージ・ソーンダーズ

今日のアメリカ作家で、ブライアン・エヴンソンほど強烈で、多産で、世界の終わりを見据えた書き手はほかにいない。


▼SamueI R. Delany サミュエル・R・ディレイニー

我々は彼の小説を、細心の注意をもって、油断を怠らず読む。なのにいつしか、それらの物語は私たちのなかに入り込んでいて、我々の感情を、ビジョンを、人生をより精緻なものに作りかえている。


▼Kelly Link ケリー・リンク

これらの短篇は、人を戦慄させ、不安にし、魅了するだろう。暗い部屋に置かれたランタンや、地下の水流を運ばれる紙の舟のように、それらは読者を、神秘と脅威に満ちた領域に導いていく。危険を承知で読んでほしい。

著者プロフィール

1966年アメリカ・アイオワ州生まれ。敬虔なモルモン教徒として育つ。モルモン教系のブリガム・ヤング大学で教職に就き、妻も信者だったが、1994年に発表したデビュー作Altmann's Tongueが冒涜的であるとして2001年に破門、離婚して職も失う。“Two Brothers”(1998)、「マダー・タング」(2007)、「ウインドアイ」(2011)で0・ヘンリー賞を計3度受賞。ジャック・デュパン、クリスチャン・ガイイらの著作の翻訳のほか、ゲームソフトやホラー映画のノベライゼーションも手がけている。2016年11月現在、カリフォルニア芸術大学で教鞭を執る。

柴田元幸

シバタ・モトユキ

1954年、東京生れ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。アメリカ文学専攻。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳するほか、『ケンブリッジ・サーカス』『翻訳教室』など著書多数。文芸誌「Monkey」の責任編集を務める。

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