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わたしのいるところ

ジュンパ・ラヒリ/著 、中嶋浩郎/訳

1,870円(税込)

発売日:2019/08/23

  • 書籍

「孤独はわたしそのもの。孤独に動かされてわたしは書いてきた」――ジュンパ・ラヒリ。

歩道で、仕事場で、本屋で、バルコニーで、ベッドで、海で、文房具店で、彼の家で、駅で……。ローマと思しき町に暮らす45歳の独身女性、身になじんだ彼女の居場所とそれぞれの場所にちりばめられた彼女の孤独、その旅立ちの物語。大好評のエッセイ『べつの言葉で』につづく、イタリア語による初の長篇小説。

目次
歩道で
道で
仕事場で
トラットリアで
春に
広場で
待合室で
本屋で
自分のなかで
美術館で
精神分析医のところで
バルコニーで
プールで
道で
ネイル・サロンで
ホテルで
チケット売場で
日だまりで
わたしの家で
八月に
レジで
自分のなかで
夕食に
ヴァカンス中に
スーパーで
海で
バールで
お屋敷で
田舎で
ベッドで
電話で
日陰で
冬に
文房具店で
夜明けに
自分のなかで
彼の家で
バールで
目覚めに
母の家で
駅で
鏡に
墓地で
すぐ近くに
どこでもなく
電車の中で
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 ワタシノイルトコロ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 yasuko oki/Photograph、Roonee/Photograph、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 168ページ
ISBN 978-4-10-590159-2
C-CODE 0397
ジャンル 文学・評論
定価 1,870円

書評

世界が恩寵を所有している

津村記久子

 四十六歳の、イタリアに住む独身の女性の日常における四十六の場面が描かれる。女性は大学で研究か何かを生業にして暮らしている。起伏を強調した場面はほとんどなく、彼女が体験する激しい他人との感情のやりとりは、ほとんどが回想である。それよりも、彼女が日々何を考えて暮らしているかということが詳らかに書かれる。
「待合室で」「チケット売場で」「文房具店で」「バールで」「電車の中で」といった目次を見ているだけで楽しい。彼女はあらゆる場で本当にいろいろなことを考える。例えば冒頭の「歩道で」では、道で亡くなった四十四歳の男性を悼む大理石の碑板の横を通りかかりながら、立ち止まって息子の死に思いを巡らせてくれる人への母親からの感謝の手紙を読む。彼女は碑板の前に人がいるのを見たことがないのを思い出しながら、その母親のことを気にかける。まったく同じシチュエーションはないだろうし、頻繁に書かれることではないかもしれないが、このような中庸に近い気持ちは誰の日常にも確かに存在している時間なのではないだろうか。
 彼女は、ときどき恋愛をしたりするし、家に招く長い付き合いの友達もいるし、パーティに呼んでくれる知人もいるけれども、本質的には孤独であるということに軸を置いて生きている人だ。母親とは軋轢を抱えている。仕事をちゃんとしていても、それに打ち込む自分に酔ったりしない。幸せだとか楽しさだとかを見せびらかして自身を追認したりしない。言うなれば読者に対してとても淡泊に振る舞う人なのだが、そっけないかというとそうでもない。とても真摯に日常を生き、さまざまな心の揺らぎをつかまえながら、その場その場を厚く観察して、一つ一つ考える。そのことが、読んでいる自分にとても喜びを感じさせてくれたのが不思議だった。本書は、他者の心という複雑な街路のガイドブックのようでもある。基本的には計り知れない、ダイジェストとして示されることのないその複雑な場所が、整理されて来し方と見所が説明されることが、行ったことのない街を旅した話を読むようでとても楽しかった。
 彼女の街路は別の人の街路へとつながっている。特徴的なのは、両親や元恋人や友人という近しい人々以外にも、生活していたら当然すれ違うけれども重要とはされにくい、お店の人や近しい人々の親族などについての言及が、距離の遠近に関わらずたくさんあることだ。自分の前に仕事場を使っていた詩人、トラットリアの店主の親子、友人の娘たち、仲良くできない友人の夫、学会が開催されているホテルで隣り合った異国から亡命してきた学者、病院の待合室で一緒になった女性、行きつけの文房具店を経営している家族、駅のバールの店主夫婦など、重要さや近さのソートを取り払って、彼女は他者が自分の世界を横切っていくことを認め、その様子を丹念に記述する。
 特に「お店の人」を彼女がよく見ている様子が興味深い。たとえば、妻=母親を失ったことによる強い絆を持つ店主とその娘が営んでいるトラットリアで、お客の側の父親と娘がぎくしゃくしている。かつてはそのお店で妊娠を祝ったのに、両親は離別している。父親が娘に繰り返し話しかける様子に、彼女は心を痛める。また、昔からなじみの家族で経営する文房具店がスーツケースと傘ばかり置いてある店に様変わりし、彼女は一家の行方を気にかける。「お店の人」もまた彼女を気にかける。最終盤に近い「駅で」における、電車に乗り遅れそうになった彼女からお金を取らずに送り出す駅のバールの店主の夫婦は、彼女の律された孤独に不意に差し出された労いのような印象を残す。
 最後の章で彼女は、電車の客室で外国人の五人組の男女に出会う。話はせず、あいさつがあって、食べ物を勧められるだけだ。陽気で楽しげな彼らは、持ってきた食べ物を食べさせ合い、音質の悪い携帯電話で音楽を聴きながら心を奪われ、一緒に歌う。彼女は彼らの仲間ではなく、彼らを見ているだけだけれども、それでもこの場面は感動的だ。「この世」が彼女に最良に近いものを見せるからだ。彼女が「わたしのいるところ」を他者が横切っていく様子を誠実に見つめてきたことに報いるようだとも思った。最良のものを「わたし」が所有していないとしても、世界がそれを所有していて、ときどき恩寵のように彼女に垣間見せることを、彼女は確かに受け取ることができている。
 内面の旅への同伴を許してくれた彼女に、感謝したくなる読書だった。どうもありがとうと言いたい。

(つむら・きくこ 作家)
波 2019年9月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

孤独が背中を押してくれる。

ジュンパ・ラヒリ

2012年、家族とともにニューヨークからローマへと移住したラヒリ。イタリア語による初エッセイ『べつの言葉で』を経て、待望のイタリア語による長篇小説『わたしのいるところ』を昨年発表。訳者による解説を交えた新刊インタビューです。

聞き手:カロリーナ・ジェルミーニ
翻訳・注解:中嶋浩郎

 イタリア語による初の長篇小説『わたしのいるところ』の主人公は、ローマと思しき街にひとり暮らす45歳の独身女性。研究者の彼女は大学で教え、子ども時代から同じ地区に住んでいる。なじみの店や場所に身を置いていても、彼女はいつも孤独だ。孤独であることが、仕事ででもあるかのように。

 名前を取り去る

――『わたしのいるところ』では場所にも人物にも名前がありませんね。

 少し前から、イタリア語で書くときにはすべてをより抽象的、より開かれたものにするために、特殊性をできるだけ排除しようとしてきました。わたしが執筆を始めたころは、あらゆるものごとがアイデンティティーを中心に回っていました。ある名前をもつことをめぐって一冊の本を書いたこともあります[訳者:長篇小説『その名にちなんで』のこと。「ゴーゴリ」と名づけられたインド系アメリカ人の少年とその家族の物語]。名前は一つのレッテルで、何かを説明するけれど、生まれや母語と同じように、自分で選ぶことができません。でも、一人の人間の本質は、押しつけられたものとは別のものですから、そこに衝突が生まれます。この衝突に興味があるんです。
 いまわたしは、すべてをより抽象的なものにしようとする段階にいます。わたしにとって名前を取り去ることは、ある種の重荷からの解放なのです。『わたしのいるところ』では、ローマのようでローマでなくてもかまわない、ある町の名前を取り去っています。名前がなければ、境界ももはや成り立ちません。何かを取り除くことで、いろいろなものの意味が広がる。わたしはこの穴だらけの開かれた状態が気に入っています。

―― 主人公は自分をさらけ出したい欲求と自制する必要とのあいだでつねに揺れ動いています。外からの刺激を求めながら、そこから逃れなくてはといつも感じていますね。

 ええ、それはこの本に出てくる数多くの矛盾の一つです。あらゆる意味で揺れ動いている作品なんです。ここで描かれる町にも二つの顔があって、生き生きしていながら死んでもいる。主人公は、外にでかけてはまた帰宅します。それが彼女の日常ですが、たぶんこれは誰にでも当てはまるでしょう。
 わたしたちは自分の内と外の両方に空間をもっています。二つの空間の境界を突き止めたい。彼女はいつも境にいます。外に引きつけられ、それからまた内側に引っ込むのです。

 揺れ動く主人公

―― 小説は道端の碑板という死のイメージで始まります。あなたはしばしば碑板、服喪、墓などの言葉を使いますね。この作品では場所が重要な役割を果たしていますが、死ももう一つの場所なのでしょうか?

『わたしのいるところ』には、神話的な鍵があると思います。彼女はペルセポネ[訳者:ギリシア神話の最高神ゼウスと穀物豊穣の女神デメテルの娘。冥界の神ハデスに見初められ、冥界に連れ去られて妃となる。デメテルが娘を探して放浪しているあいだ、大地は荒廃してしまったため、ゼウスの取りなしによってペルセポネは一年の三分の一を冥界で過ごし、残りは地上に戻って母と暮らすことになった]のような存在で、死と生のあいだを行き来しなければなりません。主人公と母との関係からも、この仮定は確かなように思えます[訳者:主人公が小さいころ、ひどく孤独を恐れる母は娘を片時も離そうとしなかった。主人公は「わたしたちは変質したアマルガムのよう」だったと回想する。いまは二人とも一人暮らしで、主人公は定期的に年老いた母に会いにいっている。母が「心の底ではあのアマルガムをつくり直して孤独を追い払いたいと思っている」ことを知りながら、この暮らしをやめるつもりはない]。
 彼女は死や亡霊ととても深い関係をもっています。この本に神話的な表現がよく出てくるのは、わたしがローマを知り、この町の精神を吸収した結果かもしれません。子どものころから、物語や歴史の読みものを通して、ローマに古典的なイメージをもっていました。主人公の女性は場所とつながり、死や、もう存在しないものともつながっています。そして光のほうへも向かうのです[訳者:主人公の仕事場を前に使っていたのは詩人で、その研究室の静けさを愛し、泊まり込んで詩を作ることもしばしばだった。亡くなったのはその部屋でではなかったが、主人公は彼の何かが部屋に残っていると感じている。またべつの章では、神話の世界の生き物たちの彫刻に囲まれた庭を散歩する老齢の男女が描かれる。女性のほうは難しい手術を終えたばかりらしい。手術のあいだはべつの世界にいて、ふたたびこの世界に戻ってきたのだろうと主人公は思う]。

―― 彼女を外の世界と隔てる境は生と死を分けている境と同じということですか?

 もちろんその通りです。これが境です。この本には、存在することとしないことの絶え間ない緊張があります。自分が世界に存在していると感じるのは、彼女にとって一つの挑戦です。

―― 彼女は結びつきや従属関係を望まず、自分の家族にも属していないと感じています。彼女を不安にさせるのは、この根無し草の状況なのでしょうか?

ジュンパ・ラヒリ そうとも言え、違うとも言えます。彼女は住んでいる地区、自分の日常生活に強く結びついていますが、そこに属することと離れることとのあいだでいつも揺れ動いています。英語で小説を書くようになってから、ずっと考えつづけているこのテーマを発展させ、掘り下げてみようと思いました。彼女は根を張ることの難しさに苦しんでいると同時に、自分の家を離れることに不安を感じてもいます。とどまりたい欲求とあらゆる境界を越えたい欲求に突き動かされているんです[訳者:主人公は変化を恐れている。「わたしに足りなかったのは前に踏み出す力だ」と感じ、自分の場所を離れるための一歩がなかなか踏み出せずにいるが、最後にある決心をする。「どこでもなく」の章にはその心境が記されている。「じっとしているどころか、わたしはいつもただ動いている」「通りすぎるだけでない場所などあるだろうか?」]。

―― 主人公の女性は、「八月に」の章で隣家の男が売り出すさまざまな中古品を買いますが、その次の章では、無駄なものを買うと不安な気持ちになると言っています。

 こうした品物の交換にわたしはいつも心を打たれます。わたし自身も、ポルタ・ポルテーゼ[訳者:テーヴェレ川右岸地区にあるポルテーゼ門を起点とした道路で毎週日曜日の午前中に開かれるローマ最大の蚤の市]でいろいろなものを探すのが好きですし。無言のままあちこち移動してゆく品物のことを思うのも好きです。茶碗は自己表現ができませんが、このような交換によって、所属するということの意味がもっと広がるように思います。
 これは彼女にとって、自分の孤独な生活に他人を迎え入れる手段なんです。そこにはつねに死との関係が存在します。もうこの世にいない女性の毛皮のコート、それを着ることは自分の存在確認であり、「今日、わたしは生きている」と言うための一つの手段なのです。

 頭のなかの三つの部屋

―― この小説では、時を表すタイトルのいくつかの章を例外として、多くの空間を表すタイトルがつけられています。また、「自分のなかで」というタイトルの章もいくつか出てきます。彼女がほんとうに生きているのは「自分のなかで」だけと言ってもいいのでしょうか?

「自分のなかで」というのは、このような二重構造の中で彼女が存在している世界です。彼女がいて、べつの自分がいます。これらの章を「わたしのなかで」ではなく「自分のなかで」と呼ぶところに彼女の疎外感があります。このようなタイトルを選んだのは、彼女があらゆるものにより困惑した、よそよそしい視線を向けるようにしたいと思ったからです。不安定な状態がつづくのです。

―― これはあなたがイタリア語で書いた最初の長篇小説ですね。あなたを育てた言語である英語を離れることは、ご自分のルーツから離れる一つのかたちなのでしょうか?

 すでに、『べつの言葉で』(新潮クレスト・ブックス)と『本の衣装』[訳者:2015年6月にラヒリがフィレンツェで行なった講演をまとめた六十ページほどの小冊子。未邦訳]という二冊のエッセイをイタリア語で書いていますが、『わたしのいるところ』はたしかに英語を離れて書いた最初の長篇小説です。わたしにとってイタリア語は自分の外にあるものでした。つねに自分のことを、言語的にはよそ者だと感じています。この小説は、どこにいても居心地の悪さを感じて心の底からくつろげない、わたし自身の状況にこだわって書きました。つい自分の考えを英語で表現しようとしてしまうので、そうならないよう始終気をつけていないといけなかったのですが、いまではすっかり逆転しています。すべてがイタリア語で湧きだし、流れていきます。
 いま、わたしの頭のなかには二つの部屋があります。いや、翻訳も加えると三つと言ったほうがいいでしょう。一つの部屋にはわたしが書くことを選んだイタリア語、もう一つには、アメリカの大学で教えている限り続く英語のプロジェクトが入っています[訳者:ラヒリが英語に翻訳したドメニコ・スタルノーネの Lacci 英題 Trick は2018年全米図書賞翻訳書部門の最終選考五作品に残り、クレスト・ブックスより11月に刊行予定。このときの受賞は、多和田葉子の『献灯使』]。

―― この作品はあなたの創作活動における分岐点となりますね。

 そうですね、言語だけでなくスタイルも変えるという選択を示していますから。これまでとは違うやり方で書きたいと思っています。これまでと違うやり方で世界を調べ、経験し、眺めたいのです。同じアイデンティティーをずっと保ちつづけることはできません。イタリア語で書くとき、わたしはもうそれまでとはべつの部屋にいるのですから。

“Dove mi trovo”, il primo romanzo in italiano di Jhumpa Lahiri by Carolina Germini / La Repubblica,15 January 2019.
Copyright © Carolina Germini

波 2019年9月号より
単行本刊行時掲載

短評

▼Tsumura Kikuko 津村記久子

人間の最小単位のような四十代女性の一人暮らしの淡々とした細部。しかしそこには、読む者に「これこそが自分の知りたかったことだ」と思わせる密度と厚さがある。彼女の心の有りようの輪郭が浮かび上がる様子には、他者を知ることの根本的な喜びがある。両親との精神的な距離に影響され、人と関わりつつも孤独な彼女の内面の旅は、橋の上で行き交う人々のあずかり知れない人生の一片でもある。平坦さの中にはむなしさが影を差すが喜びも過ぎる。経てきた時間の傷は消えないけれど、最後には確かに恩寵の兆しが見える。


▼Il Libraio イル・リブライオ誌

落胆と充足、根を下ろすこととよそ者であること。ラヒリのテーマはこの作品で頂点に達した。主人公の女性が暮らし、魅了されている町は、生活の生き生きとした背景であり、特別な話し相手のようだ。季節が移ろう一年のあいだに、彼女に「覚醒」が訪れる。これは、ラヒリが境界を越え、新しい文学言語に自分を移植したいと願って書いた、イタリア語による初の長篇である。


▼La Repubblica ラ・レプッブリカ紙

ラヒリが新しい言語で書いたこの小説では、何も起こらないにもかかわらず、あらゆることが起こっている。


▼Paese Sera パエーゼ・セーラ紙

強烈なできごとで読者をつかむのは易しい。文学においてより困難なのは、取るに足らない生活の側面を描写することで、ラヒリは本書でそれをやり遂げた。

著者プロフィール

ジュンパ・ラヒリ

Lahiri,Jhumpa

1967年、ロンドン生まれ。両親ともコルカタ出身のベンガル人。2歳で渡米。コロンビア大学、ボストン大学大学院を経て、1999年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞、同作収録の『停電の夜に』でピュリツァー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞ほか受賞。2003年、長篇小説『その名にちなんで』発表。2008年刊行の『見知らぬ場所』でフランク・オコナー国際短篇賞を受賞。2013年、長篇小説『低地』を発表。家族とともにローマに移住し、イタリア語での創作を開始。2015年、エッセイ『ベつの言葉で』、2018年、長篇小説『わたしのいるところ』を発表。2022年からコロンビア大学で教鞭を執る。

中嶋浩郎

ナカジマ・ヒロオ

1951年、松本生まれ。東京大学教育学部卒業。フィレンツェ大学留学。長年、フィレンツェ大学で講師を務め、2023年8月現在広島在住。著書に『フィレンツェ、職人通り』『図説メディチ家』、訳書にジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』『わたしのいるところ』、ミレーナ・アグス『祖母の手帖』、『ルネサンスの画家ポントルモの日記』、ステファノ・ベンニ『聖女チェレステ団の悪童』など。

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