ホーム > 書籍詳細:《純文学書下ろし特別作品》血の味

生の悲しさ、不可解さ。殺人を犯した少年の二十年後と、封印した過去の記憶――。深い闇の奥へ、細い光の糸をおろす長篇小説。

《純文学書下ろし特別作品》血の味

沢木耕太郎/著

1,728円(税込)

本の仕様

発売日:2000/10/26

読み仮名 チノアジ
シリーズ名 純文学書下ろし特別作品
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 250ページ
ISBN 978-4-10-600666-1
C-CODE 0393
ジャンル 文芸作品
定価 1,728円

中学三年の冬、私は人を殺した。少年院を出て、小さな事務所で働きながら国立大学の二部に入学。卒業後は公認会計士の資格をとった。結婚をし、子供もできた。私は殺人の記憶を封印することに成功し、静かに暮らしていたはずだった。しかし、その過去の暗闇へ強引に私を連れ戻したのは、不意に遭遇したあの眼だった……。

著者プロフィール

沢木耕太郎 サワキ・コウタロウ

1947年、東京生れ。横浜国大卒業。ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。『若き実力者たち』『敗れざる者たち』等を発表した後、1979年、『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1982年に『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、1985年に『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞を受賞。1986年から刊行が始まった『深夜特急』三部作では、1993年、JTB紀行文学賞を受賞した。ノンフィクションの新たな可能性を追求し続け、1995年、檀一雄未亡人の一人称話法に徹した『檀』を発表、2000年には初の書き下ろし長編小説『血の味』を刊行している。2006年に『凍』で講談社ノンフィクション賞を、2014年に『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞。近年は長編小説『波の音が消えるまで』『春に散る』を刊行。ノンフィクション分野の仕事の集大成として「沢木耕太郎ノンフィクション」が刊行されている。

インタビュー/対談/エッセイ

波 2000年11月号より 〔インタビュー〕 沢木耕太郎 新しい航海に関する二、三のこと  *いい旅は文章にしたくなる *敢えて結論は求めない *一つの旅につき、一冊のノート *自分の目で見て、自分の心で考える

沢木耕太郎

――端的にお聞きします。この『血の味』という作品はフィクションなのですか、ノンフィクションなのですか。

沢木 完全なフィクションです。

――完全な、ということはモデルとなるような人物や事件はないということですか。

沢木 そう、ありません。

――この作品の主人公は十五歳で、殺人を犯しますよね。

沢木 ええ。

――そこには最近多発している十代の殺人がなんらかの形で影響していると思えるんですが、そういうことではないのですか。

沢木 基本的にはまったく影響されていないと言っていいと思います。それはこの作品の成り立ちを説明すればわかってもらえるような気がします。後記にも書いたんですけど、この作品はいまから十五年くらい前に書きはじめて、その数年後には九割方書き上がっていたんですね。ところが、ひとつは人称の問題に引っ掛かったこともありますけど、それ以上に、自分が何を書いているのか、何を書こうしているのかわからなくなって書きあぐんでしまったんです。それで、一時中断することにしたんですけど、それが十年以上にもなってずるずると今日に至ってしまったというわけです。

――つまり、その時点で、すでに現代の少年の問題を予見していたというわけですか。

沢木 いや、そんなことはまったくありません。その時点で、僕が少年の殺意を主軸に据えたとすれば、それは、むしろ僕の過去にさかのぼってのことでした。

――そういえば、十八年前に書かれた沢木さんの『テロルの決算』の文庫版の「あとがき」に《あなたは十七歳の時、人ひとりを殺したいと思ったことはないのか。少なくとも、私にはあった……》という一節がありますよね。

沢木 そうです。出発点はそこだったと思います。たまたまそこには十七歳という年齢が出てきただけで、十五歳でも十六歳でも十代の殺意という意味においては同じことです。僕が『血の味』で取り上げたかったのは、さまざまな事件を起こしている十代の「彼ら」の殺意ではなくて、十代の「僕」の殺意だったんです。だから小説というかたちが必要だったんだと思います。

――それでも、なんとなくどこかにヒントとなる事件があったのではないかと思ってしまうのですが。

沢木 これはどのように読まれてもいいものなので、どこかにこれに近い事件があったのだろうと考えられたとしてもかまわないと思っています。あるいは、僕自身がモデルだと思われてもね(笑)。ただ、長くノンフィクションを書きつづけてきた者からすると、現実に起こった事件の外枠だけ借りて、あとは事実を都合よく改変するだけというようなフィクションなら書く必要はなかったんです。それならノンフィクションの方がはるかに面白いですからね。そうではなくて、あえてフィクションを書こうとしたのは、自分でも不分明なイメージや夢の切れっぱしや頭の中に残っている言葉の断片をひとつの流れの中に置いて考えてみたいという欲求が強くなったからなんです。

――それはどうしてなんでしょう。

沢木 よくわからなかったからです。それらはぽつんぽつんと孤立したまま永く僕の内部に存在していて意味を捉えることができない。それを理解したかったんです。

――それで、理解できましたか?

沢木 理解できたものもあれば、依然として理解できなかったものもあります。でも、その手掛かりは得られたような気がします。

――ノンフィクションの書き手である沢木さんにとって、これが初めての小説ということになりますね。

沢木 そう、初めての小説と言っていいかもしれません。以前、短編小説をひとつだけ書いたことがありますが、小説を書いたと言えるほどの経験ではなかったように思えます。こんどの作品では、いくつも、なるほどね、と思うようなことがありました。

――たとえば、どんなことですか?

沢木 たとえば……短編小説を書いたとき、僕の頭のどこかに祖型となる作品がいくつかあって、どうにかしてそれに近づけようとしていたような気がするんですね。ところが、この『血の味』を書いているとき、具体的に念頭に置いていた作品はひとつもありませんでした。他人から見れば、何かに似ていると思われるかもしれませんが、少なくともこれを書いている僕には海図のようなものがなかった。この船がいったいどこに行くものなのかわからないという状態でずっと書いていました。

――だから、航海の途中で遭難して十年も途絶してしまったんですね(笑)。

沢木 そうなんです。自分で何を書こうとしているのかわからなくなってしまった。

――どういうきっかけでもういちど航海に乗り出せることになったのですか。

沢木 この小説はとてもシンプルな物語なのですが、そこにもうひとつ別の物語が微妙なかたちで入り込んでいた。それが混乱する原因だったのですが、あるとき、その二つの物語の絡み合い方がはっきりと見えてくる瞬間があったんです。

――それはどんな時でしたか。

沢木 まったく別の作品を書いているときでした。その作品が発光源となって、違う角度から照らされることで、二つの物語の層の違いがくっきりと見えてきたんです。

――後記では『無名』という作品を書いていてとありますけど、それはどんな内容のものなんですか。

沢木 うーん……それは『無名』が書き上がったときにまた、ということにしてください(笑)。

――それもそうですね(笑)。でも、その作品と『血の味』とのあいだには独特の関係があるんですね。

沢木 あります。その関係を自覚したときに見えてきたんです。

――沢木さんはずっとノンフィクションとフィクションの境界ということを考えつづけてきた方ですけど、こんど長編小説を書き終えて、その二つについてどのような感想をお持ちになりましたか。

沢木 そうですね。これを書き終えて、フィクションとノンフィクションについてひとつ腑に落ちたことがありました。それはコントロールの問題です。

――コントロールの問題?

沢木 ええ。ノンフィクションにおいては、素材となる事実を恣意的に改変することは許されませんよね。それを自分に許してしまった瞬間、ノンフィクションはノンフィクションであることをやめることになります。つまりノンフィクションはそれを構成する「部分」について著者は手を加えることができないということなんです。でも、その部分を用いてひとつの作品を生み出そうとするとき、それを完全に支配することが許されます。どの部分を用いてどのように全体化するかは著者の自由に委ねられているんです。一方、フィクションはそれを構成する部分にどのような手を加えることも許されます。どこまでも自由に「創る」ことが許される。しかし、そうして生み出された部分から成る全体は、著者のコントロールの及ばないところができてしまう。細部と細部、言葉と言葉の絡み合いによって、どうしても書き手の支配の及ばないところができてしまうようなんです。つまり、ノンフィクションは部分に手は加えられないが全体を支配できる。一方、フィクションは部分の創造は自由だが全体を完璧にコントロールすることはできない、ということなんですね。それは長編小説を書いてみなければわからないことでした。

――というと、『血の味』も完璧にはコントロールできていないのですか?

沢木 いまでも、『血の味』には、僕には充分に把握し切れていないところがあるのではないか、という思いを捨て切れません。手を入れるため読み返すたびに、認識していなかったことが浮かび上がってくるということを繰り返しているからです。さっき、二つの層の物語という言い方をしましたが、最終稿を読んでいくうちに、いやもうひとつ別の層の物語があったと驚いたくらいでね(笑)。おおっ、と思わずひとりで声を上げてしまいましたね(笑)。

――ずいぶん初々しいことをおっしゃってますね(笑)。

沢木 そう、なんといっても小説を書くということにおいては新人ですからね。その意味では、この『血の味』を書くことで、新人としての新鮮な驚きを受けつづけているといってもいいかもしれません。

▼沢木耕太郎『血の味』(純文学書下ろし特別作品)は、十月二十六日発売

判型違い(文庫)

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