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説き語り 中国書史

石川九楊/著

1,540円(税込)

発売日:2012/05/25

  • 書籍

三千五百年にわたる、豊かでわくわくするドラマを楽しもう!

真筆が存在しない王羲之の書はどのような姿をしていたのか? 顔真卿が切り拓いた書の新しい表現とは何か? 蘇軾の卓越した書はどこから生まれたのか? 甲骨文、金文から篆書、隷書、王羲之、北魏石刻、初唐三大家、狂草、顔真卿、蘇軾、黄庭堅、明末連綿草、金農、さらには篆刻まで。中国の書の歴史が面白いほどわかる!

目次
はじめに 書史とは何か
第一章 古代宗教文字の誕生――甲骨文・金文
文字の誕生/甲骨文の美学/金文の美学/春秋戦国時代の列国正書体金文
第二章 政治文字の出現――篆書体
字界の成立/字画の成立/途上段階の篆書「石鼓文」/篆書の典型「泰山刻石」/「書きつける」ことと、「書く」こと/描線や字画を「引く」時代
第三章 石に溶けこむような文字の魅力――古隷
古い隷書とは何か/拓本の美学/摩崖の美/風化・風蝕の美学/骨格刻法の美学/簡を石に刻る
第四章 石に刻られた政治文字――ふたとおりの漢代隷書
漢代の碑とは/書くことの成立/石に刻りつけた隷書体の進化過程/刻法の進化論/刻法から見る八分体の歴史/行書体を石碑に刻る方法
第五章 「書聖」とは何か――王羲之
書の原郷/「始まり」としての王羲之/二折法の新たな段階/「終わり」としての王羲之/王羲之の「普遍」/手紙文表現の新しさ/王羲之以上に評価された王献之
第六章 刻られた書の美学――北朝石刻
劇的な変化の時代/行書体刻法の発達史/石刻の書の歴史/石刻の万華鏡「龍門造像記」/石板に刻られた墓誌
第七章 書の典型――初唐代楷書の成立
楷書、典型の美/中国書史の分水嶺/初唐代楷書の三大名品 「孔子廟堂碑」「九成宮醴泉銘」「雁塔聖教序」
第八章 交響曲化する書――狂草の誕生
反動的な王羲之風草書――孫過庭「書譜」/第二の草書=狂草の歴史/書の劇(ドラマ)的展開
第九章 書の文体(スタイル)の誕生――顔真卿
顔真卿の新しさ/「多宝塔碑」を読む/蚕頭燕尾という書法/書きぶりの生々しさのきたるところ
第十章 書史の合流・結節点――北宋三大家
歪んだ文字の誕生/書のなかの書――蘇軾「黄州寒食詩巻」/多折法の誕生――黄庭堅「松風閣詩巻」/王羲之ゆずりの行草書――米フツ「蜀素帖」/北宋三大家の新しい表現/文人の書、士大夫の書
第十一章 書史の変調――元代諸家
啓蒙的な書の出現――元代前期/元代の書の多様性/特異な姿を見せる「章草」の書きぶり――元代後期 章草体「急就章」 康里キキ「李白古風」 方形の書きぶり/カスレの登場/条幅の出現
第十二章 書の最後の楽園――明代諸家
明代の書の三つの特色/拡張する筆蝕の姿態 筆蝕の一大パノラマ――祝允明「前後赤壁賦巻」 筆蝕の円舞曲――解縉「文語」 めくるめく転調――徐渭「青天歌」
第十三章 亡国への恨み歌――明末連綿草
明末連綿草の歴史的位置/連綿の印象のきたるところ/「草」の意味/十人十色、十人十蝕/明代に本格化する長条幅
第十四章 伝統的な書法の解体、書の自立――清代諸家I
書法の解体を象徴する揚州八怪/折法解体の前史/無限微動筆蝕は奇抜な造形を生み出す/書の近代化、そして芸術化/隷書と揚州八怪たち/無限微動筆蝕の傑作――金農、鄭燮、楊法/無限微動筆蝕は多彩な書をもたらす
第十五章 篆書・隷書という書の発明――清代諸家II
篆・隷、筆文字の発明/表現の上で小粒化する清朝の書/無限微動筆蝕の展開/王羲之の書の終焉/清朝の書論/石の北、紙の南――北碑南帖論/石刻文字を書くための逆入平出法
第十六章 篆刻という名の書――明清篆刻
印の歴史/印と書のちがい/印と篆刻のちがい/朱文と白文/トウ石如の革命/書に転じようとする印/露わになる刻蝕/革命後の中国の書

書誌情報

読み仮名 トキガタリチュウゴクショシ
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 242ページ
ISBN 978-4-10-603708-5
C-CODE 0371
定価 1,540円

書評

波 2012年6月号より 無筆の時代

奥本大三郎

少し前の話になるけれど、突然、或る書道展の招待券が送られてきた。なんでまた私に、と思ったが、その書道展に私の文章を書いて出展した人があるとのことであった。場所はうちの近くでもあるし、どんな風に書いてくれたのか興味もあるから出かけてみた。ところが会場は驚くべき広大さで、出展者の数も多く、整理番号を頼りに、その作品のあるべき場所にたどりつくのが大変というありさま。しかも、期間が二つに分かれていて、それが展示されるのは二週間ほど後とのことで、目当てのものは結局見られずじまいであった。
それでもついでだからと、会場を一巡りして見たけれど、草書を習ったことのない私などには残念なことに、ほとんどが読めない字ばかりであった。中には、墨象作品もあって、これは読めない道理である。「楷書なしの書道展……」と、悔し紛れにつぶやいて、私は会場を出てきた。
そもそもこういう書展で楷書の作品を見ることは稀である。「楷書で書くと下手なことがばれるからだろう」と私は自分の基準で思ってきたが、この「説き語り 中国書史」を読むと、楷書というものがいかなるものであるのかよく分かる。これを読んで、書道展の作を好意的に解すれば、今さら楷書の作を出品しても仕方がない、という面もあるのであろう。
ところで、最近、沖縄の米軍基地の移転問題で、大臣らが東京から、まるで、わざわざ失言するのが目的であるかのように沖縄県知事に会いに行くけれど、その会見の場に、端正な楷書で書かれた屏風がある。内地では見たことのないような、綺麗な、規矩の正しい、お手本にしたいような字である。ニュースの度に、私は、心ならずも頭を下げる大臣と、出来るだけ頭を下げないようにしている沖縄県知事のほうではなく、その背景の屏風のほうに目を凝らして見るのだが、カメラはそっちの方を映すのが目的ではないから、誰の書か、よく読み取れないでいる。
本書より前に出た、「説き語り 日本書史」には、日本人は中国人が、それこそ血みどろの歴史を通じて造り上げた漢字を借用して日本語を表記し、やがて、平安の三筆、三蹟の時代になって漢字を日本式に書くようになると、中国書史から離れる。つまり、漢字という列車に途中乗車し、途中下車したと書いてある。
しかし、この沖縄県知事の部屋の屏風などを見ると、沖縄県人は、漢字との付き合いが、内地の人間より密接で、どうも途中下車しなかったのではないかと思われてくる。それで、あんなに生真面目で、いわば無色透明な漢字が書けるのではないか。
もうひとつ、台北の大きな書店で、元代の鮮于枢の手になる「行書詩賛巻」と題した法帖を買って、時々、臨書していたが、その字がなんとなく上手すぎ、綺麗すぎて物足りなく思っていた。今、本書を読むと、鮮于枢の書について、

 そのままで現在の書道の手本として使えるほど通俗的であり、その意味では現代的でもあります。こすりつけるような筆蝕が反復されていますが、これまた能面のように生気がなく、無表情です。

とある。なるほど、そういうことか。そして、そんな字になった事について、四つの理由を上げている。

1)宗代以降、大衆の成熟が進展します。文学でいえば、白話文、詞、曲(戯曲)などが発達し、それまでは教養に乏しいとされてきた商人など民間人の知識が向上してきます。また逆に、知識人とされてきた士大夫が卑俗とされてきた民間の文学に参加するようにもなります。
2)蒙古による征服王朝のもとで、蒙古族の嗜好にかなう音楽や演劇が流行します。そして西域(西アジア)から文化が流入し、定着していきます。
3)趙孟フは宋の宗室の一族出身でありながら、元朝に仕えました。そのような二君に仕えた知識人たちは仮面のようなふるまいを強いられたことでしょう。自らの思想を表明することが極めて危険である場合、自説を述べずに済む中立的で無害の教師的立場をとりがちです。
4)></td><td><span class=宋代以降、活字による印刷が発達してきます。この印刷文字が書字の場に逆流することにより、活字のような機械的構成、無表情な書きぶりの書が誕生することになります。

何だかこの状況は、今の日本にも通じるものがあるように思われる。サブカルチャーばかりが盛んで本来の教養が衰退し、戦争に負けてから、戦勝国の音楽、演劇に席巻され、中立的で無害な言説が横行し、ボールペンどころかパソコンでしか字が書けなくなった我々。おまけに、国技たる相撲まで蒙古人に……といえば、もはや力無く笑うしかあるまい。

(おくもと・だいさぶろう フランス文学者)

担当編集者のひとこと

説き語り 中国書史

「書の美」とは何かを理解するには欠かせない一冊 展覧会などで書を見たとき、端正だとか勢いがあるとかは感じられても、なぜその書が素晴らしいのかわからないという人は多いのではないでしょうか。そんな人におすすめの本です。
 著者の石川九楊さんによると、書というのは筆記具の尖端(筆尖)が紙に触れ、紙の反発する力に抵抗しながら書きすすめられるものです。その、筆尖と紙が接触し、摩擦するところに、筆蝕というドラマが生まれるそうです。実は、書を読み解くというのは、この「筆蝕のドラマ」を読み解くことにほかなりません。そして、筆蝕のドラマを読み解くことによって、はじめて書の美を理解することができるというのです。
 中国書史は、甲骨文、金文から篆書、隷書、王羲之、北魏石刻、初唐三大家、狂草、顔真卿、蘇軾、黄庭堅、明末連綿草、金農、さらには篆刻まで、三千五百年にわたる、とても豊かなドラマをもっています。筆蝕が織りなしてきた、楽しくて奥深いドラマをぜひ味わってください。
 本書は『説き語り 日本書史』につづく、書史入門の第2弾です。前作同様、細かいことは省いて、中国の書の歴史の大きな流れを理解できるようにしました。200点以上ある図版をたどるだけでも、中国の書の豊潤な魅力が十分楽しめるはずです。

2016/04/27

著者プロフィール

石川九楊

イシカワ・キュウヨウ

書家、評論家、京都精華大学客員教授。1945年、福井県生れ。京都大学法学部卒業。評論活動、創作活動を通じ、「書は筆蝕の芸術である」ことを解き明かす。著書に『中國書史』(京都大学学術出版会)、『日本書史』『近代書史』(名古屋大学出版会)、『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫)、『やさしく極める“書聖”王義之』『ひらがなの美学』(新潮社)、『石川九楊著作集』全12巻(ミネルヴァ書房)、編著に『書の宇宙』全24冊(二玄社)など。

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