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豊臣大坂城―秀吉の築城・秀頼の平和・家康の攻略―

笠谷和比古/著 、黒田慶一/著

1,540円(税込)

発売日:2015/04/24

  • 書籍
  • 電子書籍あり

大坂の陣から四百年。天下の名城はどのように作られ、いかに落城したか。

豊臣秀吉は四度の工事を経て、自らの根城(ねじろ)を惣構えで固めた難攻不落の巨城へと変貌させた。秀頼統治下の大坂は「パクス・オーザカーナ」ともいうべき繁栄を謳歌するが、徳川豊臣二重公儀体制のバランスが崩れた時、両軍は激突、城は灰燼に帰した。その城内の様子や真田丸などの堅固な防御を、考古学的発見と歴史的文献を駆使して再現する。

目次
はじめに
第一章 秀吉の大坂築城
第二章 惣構え堀の掘削
第三章 慶長大地震と町中屋敷替え
第四章 関ヶ原合戦後の政治体制――「太閤様御置目の如く」
第五章 秀頼の「パクス・オーザカーナ」
第六章 大坂の陣に至った経緯
第七章 方広寺鐘銘事件
第八章 冬の陣と真田丸
第九章 和議と城堀破却
第十章 夏の陣と落城
あとがき
参考文献

書誌情報

読み仮名 トヨトミオオサカジョウヒデヨシノチクジョウヒデヨリノヘイワイエヤスノコウリャク
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 320ページ
ISBN 978-4-10-603766-5
C-CODE 0321
ジャンル 日本史
定価 1,540円
電子書籍 価格 1,232円
電子書籍 配信開始日 2015/10/16

書評

子宮だった巨大城塞

徳川家広

 今年は徳川家康の400回忌ということで、展覧会からフェスティヴァルまで、様々な行事が開催される予定だ。だが実は、それは私の周辺の話でしかなかった。関西、特に大坂の人々にとっては、今年は大坂城落城400年だったのだ。
 そのような節目の年に刊行されたのが本書『豊臣大坂城―秀吉の築城・秀頼の平和・家康の攻略―』だ。戦国史、特に関ヶ原合戦前後の政治史の権威である笠谷和比古帝塚山大学教授と、大阪文化財研究所の元学芸員の黒田慶一氏の共著だ。ちなみに、同コンビには『秀吉の野望と誤算 文禄・慶長の役と関ケ原合戦』という好著もあるから、秀吉の薨御から大坂落城まで「豊臣家の衰退と滅亡」を全部カバーしていることになる。
 黒田氏は考古学、笠谷教授は実証史学と、異なる学問領域だ。その2人の文章が交互に登場することで、豊臣大坂城(江戸時代の大坂城と区別するためにこう称せられる)の全貌が立体的に伝わってくる。冒頭、大坂の地勢から入っていき、以後、最新の考古学的成果、文献、当時の外国語の記録、絵画資料、現在の建築技術の知見を総動員して、巨大要塞であり、一個の都市でもあった秀吉の城を描き出していく。大阪に疎い私にはわかりにくいのだが、現在の地名でもって過去の構造物を再現していく筆法は、大がかりな映画のセットの裏をちらちらと見せる趣きがあって楽しい。
 特に強烈な印象を残したのは、「秀吉は伏見城において死去する前、目に入れても痛くないほどかわいい“国主”秀頼を守るため、大坂城の大改造を命じる」という一節だ。巨大な城塞が一転、化け物じみた子宮に見えて来るではないか。
 笠谷教授が担当する政治史は、これは考古学にまさるとも劣らない科学的な考証となっている。関ヶ原の合戦と徳川家康の征夷大将軍任官でもって江戸時代が始まったという、通念を庇う類いの通説に対する丁寧な反論は、私自身の時代区分論と合致するということもあって、胸のつかえが取れるような爽快さを感じた。そう、本当の江戸時代は、豊臣氏の滅亡を待って、ようやく始まるのである。
 徳川家康は、豊臣家の滅亡、大坂落城を待って「元和偃武げんなえんぶ」を発表した。長い戦乱の世から戦いのない世の中への転換を公約したのだ。それもまた、今を去ること400年の昔である。そこで本書に対する疑問となるのだが、黒田氏のいう「パクス・オーザカーナ」は本当にその名に値いしたのだろうか? 秀頼支配下の大坂の賑わいがどれほどのものであろうとも、文禄・慶長の役の後始末がすんでいないとあって、そこには常に戦争の影が差していたはずである。笠谷教授が論証した「徳川・豊臣二重公儀体制」が持続不能だったのは、何より朝鮮出兵を命じた秀吉の後裔が西日本に君臨する限り、日本が東アジアの貿易に参画できなかったからではないか。この問いに対する答えがはっきりしない限り、豊臣氏の「悲劇」の真相は解明されないように思える。

(とくがわ・いえひろ 作家・翻訳家)
波 2015年5月号より

担当編集者のひとこと

豊臣大坂城の唯一の遺構が残る意外な場所とは?

 現在、大阪にそびえ立っている大阪城の天守閣は昭和初期のコンクリート製。大坂の陣で落城した豊臣大坂城の建物は炎上し、残った石垣や堀は徹底的に破却された後、盛土に新たな石垣を積んで徳川大坂城が築かれたので、今「大阪城公園」に訪れて「太閤さんが……」などと感慨にふけろうとしても、残念ながら当時の遺構は残っていません。
 それでは、秀吉やおね(ねね)、淀君がいた頃の大坂城の遺構はまったく残っていないのでしょうか。いえ、そんなことはありません。たった一つだけ、当時の建物が意外な場所に存在します。滋賀県の琵琶湖に浮かぶ竹生島にある宝厳寺の唐門がそれです。そのことがわかったのは、オーストリア・エッゲンベルク城で近年見つかった豊臣期大坂城の屏風絵に、唐門の以前の姿である「極楽橋」が描かれていたからです。秀吉が本丸北側に架けたのち、この橋は京都の豊国神社に移築される際に巨大な門に改修され、さらに竹生島に移されたというわけです。現在、この門は補修工事中ですが、平成30年には屋根葺の葺き替えなどが終了する予定です。豊臣時代を偲ぶ新たな観光スポットとして注目を集めそうですが、琵琶湖で静かな余生を過ごす、この唐門の数奇な運命の詳細については、ぜひ本書をご一読ください。

2015/04/24

著者プロフィール

笠谷和比古

カサヤ・カズヒコ

1949年神戸生まれ。京都大学文学部卒業。同大学院博士課程修了。博士(文学)。国際日本文化研究センター名誉教授。専門は歴史学、武家社会論。著書に『主君「押込」の構造』、『関ヶ原合戦』、『徳川吉宗』、『江戸御留守居役』、『武士道と日本型能力主義』、『関ヶ原合戦と大坂の陣』、『武士道 侍社会の文化と倫理』、『豊臣大坂城』(黒田慶一氏との共著)、『徳川家康』、『信長の自己神格化と本能寺の変』など多数。

黒田慶一

クロダ・ケイイチ

1955年神戸生まれ。神戸大学経営学部卒業。同大学文学部大学院修士課程修了。(公益財団法人)大阪市博物館協会大阪文化財研究所学芸員を経て現在、城郭研究家。専攻は日本史学。著書に『韓国の倭城と壬辰倭乱』、笠谷和比古氏との共著に『秀吉の野望と誤算―文禄・慶長の役と関ケ原合戦―』がある。

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