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法隆寺の智慧 永平寺の心

立松和平/著

748円(税込)

発売日:2003/10/22

  • 新書
  • 電子書籍あり

人生の大事とは。般若心経、法華経、さとり……修行を通して仏教の精髄に迫る現代人のための仏教入門。

釈迦の教えは今も人びとを導いている。私は仏教を積極的に学びたい。学びたくて学びたくて、じっとしていられない。般若心経はなぜ心の良薬なのか。法華経は何を説いているのか。「悟り」とはどういうことか。……聖徳太子の精神が至るところに輝いている法隆寺。道元の思想があまねく染み渡っている永平寺。両寺における修行を通して、身と心で仏教の精髄に迫る。

目次
まえがき
第一部 法隆寺の智慧
第一章 斑鳩でのわが修行
金堂修正会
承仕として
戒と律
懺悔は生き直すチャンス
第二章 ただひたすらに祈る
古代仏教のおおらかな智慧
土地に力をください
食作法
第三章 伽藍を読み解く
時代が層をなしている
五重塔を登る
現世に浄土を
第四章 菩薩行のすすめ
生の矛盾
法華経の世界観
釈迦は誰の心の中にも
第五章 聖徳太子の願い
三経義疏の誕生
この国を菩薩の国に
在家とは
不意の涙
第二部 永平寺の心
第一章 門前にて
器から器へ
「春は花」を味わう
諸法実相を見る
第二章 越前でのわが参禅
不立文字
自己をわするるなり
「正法眼蔵」の言葉
自分の弱さ
第三章 伽藍を読み解く
行雲流水
龍門から山門へ
大陸的な風格
七堂伽藍
第四章 修行のすすめ
袈裟の由来
法堂での読経
食事の作法
一粒の米も
第五章 わが心の道元
身心脱落
光は万象を呑む
参考文献

書誌情報

読み仮名 ホウリュウジノチエエイヘイジノココロ
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 208ページ
ISBN 978-4-10-610037-6
C-CODE 0215
整理番号 37
ジャンル 宗教
定価 748円
電子書籍 価格 660円
電子書籍 配信開始日 2011/12/28

インタビュー/対談/エッセイ

波 2003年11月号より 人生の現在位置  立松和平『法隆寺の智慧 永平寺の心』

立松和平

 とぼとぼと歩きつづけてきて、今どのあたりを歩いているのかよくわからない。いつも迷っているのである。ある時、私はロンドン郊外の大きな公園を歩いていて、迷ったことがあった。それでも歩いていくしかないので先に進んでいくと、道傍に地図があった。地図上に赤い点が打ってあり、こう書いてあった。
「YOU ARE HERE.」
君はここですよということである。この地図によって、私は迷いから脱したのである。なおも歩いていくと、また同じ地図の看板があり、赤い点の位置がずれている。私の現在位置が変わったのだ。
とぼとぼと歩きつづけている人生の現在位置というのも、このように地図があれば、自分が今どこにいるのかよくわかる。いつしか私が法隆寺で行いをし、また道元を書くため永平寺に参籠や参禅をするようになったのは、人生の現在地を確かめるためではなかったのか。もちろんその目的のためにいくのではないのだが、足繁く通ってみて、「YOUARE HERE.」の場所が変わっていることに気づくのである。
道元の『正法眼蔵』は難解な書物だ。しかし、何度も読み返していると、時々氷解するように理解がおよぶことがある。そんな瞬間こそ、あの地図の中の赤い点の位置が大きく変わったことが実感できる。
『正法眼蔵』は言葉の無尽の宝庫である。私が『法隆寺の智慧 永平寺の心』を書いた実感についても、まるで道元はすべてを承知しているかのようにこう書いている。「弁道話」の一節である。
「草や花や山水にひかれて、仏道に流れ入ったということもある。土や石や砂や小石を握って、いつの間にか仏の印形を身につけていたということもある。まして真実を説いている広大な文字は、すべての現象の上に書きつけられていて、なお余ってなお豊かである。真実を説くすべての説法は、また一微塵の中に完全におさまっている」
私はこのような言葉に魅かれる。在家の人間として俗にまみれて日々の暮らしを送りながら、縁をいただいて私は永平寺に参禅にいき、正月には法隆寺に千二百年以上もつづいている金堂修正会のために参籠する。永平寺は道元禅の清新な気迫に満ち、法隆寺は聖徳太子の原始仏教の香りを残す溌剌たる意欲にあふれている。「慕古心」という言葉があるが、決して古びることのない精神が過去から未来に向かって凜として貫き通っていることを感じるのである。そして、その中に私は静かに坐していたい。
『法隆寺の智慧 永平寺の心』は、私の仏道修行の記録である。人生の現在位置を確かめる探究の旅の記録といってもよい。

(たてまつ・わへい 作家)

蘊蓄倉庫

「曹洞宗の座禅」と「臨済宗の座禅」の違い

 道元の曹洞宗と栄西の臨済宗はともに禅宗で、いずれも中国禅宗の南宋禅の系統に属している。その違いは一般人にはわかりにくいが、座禅というものに対する考え方にしても、また実際の座禅のやり方にしても、それぞれがはっきりとした特徴を持つ。
 曹洞宗の禅は黙照禅(もくしょうぜん)といい、ひたすら座禅を実践し、やがてさとりに至る。一人の師から一人の弟子へ一筋に仏法の真実を伝えるとするのも曹洞宗独自の考え方である。
 一方、臨済宗の禅は看話禅(かんなぜん)といい、公案(問答)の課題を師が弟子に与え、その解決や解答を求める過程を通じて座禅の心境をすすめ、やがてさとりに至る。
 座禅のやり方も異なっている。曹洞宗が面壁(めんぺき)すなわち壁に向くのに対して、臨済宗では壁に背を向ける。
 この曹洞宗の座禅について、実際に永平寺で修行した作家の立松和平氏が『法隆寺の智慧 永平寺の心』で熱く論じている。
掲載:2003年10月24日

著者プロフィール

立松和平

タテマツ・ワヘイ

(1947-2010)栃木県生れ。早稲田大学政治経済学部卒。在学中に「自転車」で早稲田文学新人賞。卒業後、種々の職業を経験、故郷に戻って宇都宮市役所に勤務した。1980(昭和55)年「遠雷」で野間文芸新人賞、1993(平成5)年『卵洗い』で坪田譲治文学賞、1997年『毒─風聞・田中正造─』で毎日出版文化賞、2002年歌舞伎座上演「道元の月」台本で大谷竹次郎賞、『道元禅師』で2007年泉鏡花文学賞、2008年親鸞賞を受賞。

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