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日本人が知らない幸福

武永賢/著

748円(税込)

発売日:2009/09/17

  • 新書
  • 電子書籍あり

ベトナム難民から帰化し、医師となった著者が見つめるニッポンの姿。「彼の二十二歳までの人生は、それだけで日本人の十人分の歴史にもあたりそうな波乱に富んだものであった」(曽野綾子・著『貧困の僻地』より)

わたしはボートピープルだった――。サイゴンに生まれ、七回の亡命失敗の後に合法難民として日本に移住。その後、言葉の壁や経済的苦境を乗り越えて医師となった著者の目に、日本はどう映っているのか。蛇口をひねれば水が出てくる、親子が一緒に暮らせる、健康保険が存在している……日本には私たちが気づいていない数多くの幸福がある。波乱に満ちた人生を送ってきた著者が日本を見つめる、優しくそして鋭い眼差し。

目次
まえがき
水の幸福
ミネラルウォーターの価値
塾に通いたかったわたし
貧乏に感謝するとき
果物と友人の選び方
親と子は与えあう
略奪の誘惑
ジャングルで暮らした父と姉
日本という異国
東欧から逃げた友人たち
税金を払える喜び
十代の自立心
歌手になりたかった頃
あとがき

書誌情報

読み仮名 ニホンジンガシラナイコウフク
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 192ページ
ISBN 978-4-10-610328-5
C-CODE 0236
整理番号 328
ジャンル 社会学、ノンフィクション
定価 748円
電子書籍 価格 660円
電子書籍 配信開始日 2012/05/25

担当編集者のひとこと

凄まじい人生の記録

 月刊誌『新潮45』掲載の曽野綾子さんの巻頭エッセイ「休日医者(上)」を読んだのは2008年6月。発売直後のことでした。このエッセイで紹介されている武永賢さんという人に私は強く興味を惹かれました。
 そこで触れられていた武永さんの人生は凄まじいものでした。
 その経歴を簡単にまとめると、次のようになります。
 1965年、ベトナムに生まれ、ベトナム戦争後にボートピープルとして家族と共に7回も亡命を試みたものの失敗。最終的には17歳のときに合法難民として日本に移住。日本語がまったく話せない状態から苦学の末に医師国家試験に合格。同時期に帰化して日本名を取得。現在は外国人労働者たちが来院しやすいように、土、日診療のクリニックで院長を勤める――。
 こういう人生を送ってきた人に、今の日本はどう映っているのか。
 武永さんに、連絡を取ったところ、会っていただけることになりました。
 挨拶と雑談の後に、本を書いてみませんか、とお願いしたところ、武永さんは「そういうお話が来ることは光栄ですが、お断りしたいと思います」と答えました。いろいろと考えていることはあるが、それは他人様に言うほどのことではない、と。
 私も無理をして書く筋合いの話ではないと思いました。
 それでもいろいろと話をしているうちに、「とりあえず試しに少し書いてみて、駄目ならやめましょう」というところで話は落ち着きました。実はこういう結論になったときは、原稿が出来上がるまでかなり時間がかかることが多く、結局まったく進まないまま終わり、ということも珍しくありません。
 ところが、今回は違いました。その後、すぐにメールで原稿が届きました。しかも読んでみると武永さんにしか書けない内容です。読み終えた直後、感動してちょっとぼうっとしてしまいました。こういうことがあるのが、この仕事の一番いいところかもしれません。
 武永さんはもう40歳を過ぎていますが、幼少期の記憶が驚くほど鮮明です。略奪の現場に立ち会ったこと、政府の弾圧から逃れてジャングルでの生活をしたお父さんのこと等、いずれも平和で呑気な日本人には想像も出来ないような経験ばかりです。
 その後も次々と原稿が送られてきて、驚くほど早く、一冊分となり、今月刊行できることになりました。最初に届いたエッセイは「水の幸福」という題で本書の冒頭に収録されています。とりあえず、この一編だけでも読んでいただければと思います。

2009/09/25

著者プロフィール

武永賢

タケナガ・ケン

1965年ベトナム・サイゴン生まれ。ボートピープルとして亡命を企てるが失敗。1982年に合法難民として日本移住。1988年杏林大学医学部入学、1994年医師国家試験に合格、帰化して日本名を取得。現在、都内のクリニックで院長を務める。著書に『それでも日本人になった理由』。

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