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幕末の名優三代中村仲蔵、旅した、食べた、記録した。【信州伊那谷:鮎の唐揚げ/駿府鞠子:とろろ汁/伊勢桑名:白魚/越後岩室:鯖の刺身】

江戸歌舞伎役者の〈食乱〉日記

赤坂治績/著

734円(税込)

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発売日:2011/12/16

読み仮名 エドカブキヤクシャノショクランニッキ
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 190ページ
ISBN 978-4-10-610447-3
C-CODE 0274
整理番号 447
ジャンル ノンフィクション、日本の伝統文化、演劇・舞台
定価 734円
電子書籍 価格 648円
電子書籍 配信開始日 2012/06/22

七代團十郎の鶴雑煮、瀬戸内の海水むすび、松茸出汁の蕎麦、伊勢の舟盛、糸魚川の鯛の潮煮、由比の鱚の蒲焼、五代高麗蔵の牡蠣雑炊……。幕末の名優・三代中村仲蔵の自伝『手前味噌』には、諸国の珍品、名物の記録が数多く遺されている。食べ物だけでなく、東海道から中山道、越後、伊勢、尾道など、旅興行で巡った土地の人情、風俗も活き活きと描写され、江戸時代がいかに豊かだったか実感できる美味しい一冊。

著者プロフィール

赤坂治績 アカサカ・チセキ

1944(昭和19)年山梨県生まれ。江戸文化研究家・演劇評論家。劇団前進座、「演劇界」編集部を経て独立。新聞・雑誌に執筆、テレビ・ラジオヘの出演や、文化・教養講座の講師も務める。著書に『知らざあ言って聞かせやしょう―心に響く歌舞伎の名せりふ―』『江戸っ子と助六』『江戸歌舞伎役者の〈食乱〉日記』(以上、新潮新書)、『浮世絵で読む、江戸の四季とならわし』(NHK出版新書)、『江戸時代 武家政治vs.庶民文化』(朝日新聞出版)、『完全版 広重の富士』(集英社新書ヴィジュアル版)などがある。

目次

まえがき
第一章 山の幸
納豆汁――座頭の祝儀と勘違い
雑煮・おせち――仕初の「仲蔵狂乱」で大出来、大出来
焼き竹の子――首と引き換えの美味しさ
蕎麦――松茸の出汁で食べる甲斐、信濃
ウドン――下野梁田のゆでたてで、人心地
素麺・冷麦――天然の湧水で冷やす「清水の立場」
鰻――木っ葉を噛むような不味さの荒井名物
鮎――カラ揚げをおろし醤油で食べた信州伊那谷の月見
緋鯉の刺身――気が狂っては大変と手をつけず
鶴――江戸では食えない七代團十郎の鶴雑煮
雉と蛇――駕籠舁きが漁夫の利で食った鍋料理
田楽菜飯――江戸まで聞こえた近江目川名物
おむすび――瀬戸内の海水が絶妙の塩加減
とろろ汁――駿府鞠子の名物に母大悦び
嫁菜――尼の摘む姿を詠む甲州道
小倉鹿の子餅――子役時代、三津五郎がくれた褒美の味
東海道名物――雑煮餅、栗の子餅、安倍川餅、飴の餅、柏餅
焼き芋――ポッポと煙のでる柏原の大芋
スイカ――贔屓からの「一舟」二十数玉、根太を落とす
トコロテン――飛騨山中の滝下の水槽に浮かぶ白いもの
白酒――元市場の名物、富士の白酒
甘酒――箱根の道中、笈平の名物
茶――飛騨の山中でも山本山
第二章 海の幸
蟹――二代粂三郎に大きな蟹を贈った新肴場
牡蠣――玉子と一緒に雑炊にしてくれた五代高麗蔵
貝――全国津々浦々、日本人は昔からよく食べた
伊勢海老――舟盛の生魚を仲居が目の前で料理
アワビ――江ノ島で、名物「江ノ島煮」と魚づくしのご馳走
鯛――三河湾佐久島の塩焼き、糸魚川の潮煮
白魚――桑名の海苔を揉み込んだ白魚と菜っ葉の玉子とじ
鮪――スルメイカで釣る越中のマグロ漁
鱚――妻を笑壺にした由比の沖鱚の蒲焼
鯖――越後岩室で刺身をくれたのは吉原角海老の弟
蛸――神奈川の棒手振を驚かせた珍道中
イカ――越後高田の門前の丸煮で口の端まで真っ黒
昆布――琵琶湖に落とした船賃を取りに潜った女三人
海苔――魚に飽いた大森で出会った絶品茶漬け
すし――駿河小吉田の桶ずし、箱根の笹巻きずし
天ぷら――外聞を気にして食べそびれた貝柱
刺身――越後の浜、生の鰯を引き裂いて海の潮で食べる
あとがき/参考文献/年表

インタビュー/対談/エッセイ

波 2012年1月号より 江戸人の主食は?

赤坂治績

『江戸歌舞伎役者の〈食乱〉日記』を上梓した。幕末~明治の名優・三代中村仲蔵の自伝『手前味噌』を手掛かりに江戸時代の食の実情を探ったが、雑穀について書くスペースがなかったので、ここではそれを補いたい。
自伝では、雑穀について二か所で記している。
第一回目は天保十三(1842)年。富山へ行った帰り、飛騨の百姓家で休憩し、稗を食べた。江戸弁を話す四十近い女がいて、「この辺りではみな麦飯を食べています。私たちは麦を食べられないので、稗を食べています。菜(おかず)の蕪のどぶ漬けは不味そうに見えますが、味噌が良いので食べられます」と話した。
第二回は弘化四(1847)年。信州・伊那谷からの帰り、甲府盆地から大菩薩峠へかかる手前にあった茶屋で、麦飯と葱の汁を食した。
日本人の主食は昔から米だった、と勘違いしている現代人は多い。確かに、三都(江戸・京・大坂)では貧乏人も白米を食べたものの、全国的には米に麦や稗・粟・黍などの雑穀を混ぜていた。「かて飯」「まぜ飯」「五目飯」が主食だったのである。
そのことを記録した史料は多いが、たとえば、『守貞謾稿』に「今、三都とも粳米を食べ、他の穀物を交えない。鄙(田舎)は米のみ食べる所もあるが、多くは麦を交えて食べる。粳だけの飯を『米の飯』『白米』という」(現代語訳)とある。
先ほどの江戸弁を話す飛騨の女は、芝居町の隣町で番太(木戸番)をしていた者の家族とのちにわかる。彼女は「自分たちは江戸で白米を食べていたので、麦の入った飯は不味くて食べられない」と言いたかったのである。番太は各町に雇われた最下層の庶民だが、江戸ではそのような者も白米を食べていたことになる。
ところが、田舎で米の飯を食べられた人は僅かだった。江戸時代は人口の八十数パーセントが百姓で、田舎の住人のほとんどは百姓である。その百姓が米を作ったが、年貢として巻き上げられ、米の飯は食べられなかった。
大変皮肉な現象だが、しかし物事には両面ある。
武家の街だった江戸では、飢饉の時も仕事があり、白米を食べられた。しかし、白米ばかりを食べていたため、脚気になる人が多かった。脚気は足が浮腫む病気で、「江戸患い」と言った。精米する時、糠と一緒にビタミンB1を除去する。副食で栄養を補えば問題ないのだが、当時の庶民は大概、一汁一菜だったので、ビタミンB1が不足したのである。
一方、田舎の人は脚気にならなかった。麦には白米の倍のビタミン類があり、カルシウム・鉄分などは四倍ある。つまり、麦を食べていれば栄養不足にならないのだ。現代でも長寿の人は田舎に多いが、田舎では戦後まで雑穀が主食だったことと関係あるのではないか。

(あかさか・ちせき 演劇評論家・江戸文化研究家)

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