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何が国益を損なうのか。自民党外交族の重鎮に気鋭の学者が迫った異色対談。

国家の矛盾

高村正彦/著、三浦瑠麗/著

842円(税込)

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発売日:2017/02/17

読み仮名 コッカノムジュン
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 236ページ
ISBN 978-4-10-610703-0
C-CODE 0231
整理番号 703
ジャンル 政治・社会
定価 842円
電子書籍 価格 842円
電子書籍 配信開始日 2017/02/24

自民党政権はなぜ集団的自衛権の行使容認に踏み切ったのか。日本外交は本当に「対米追従」なのか。外交・安保論議を一貫してリードしてきた自民党の重鎮が舞台裏を明かす。日米同盟と憲法9条に引き裂かれた戦後日本の安全保障論議に「不健全なもの」を感知する国際政治学者が、平和安全法制の「騒動」に見たものとは──。外交・安保の「現場」と「理論」が正面からぶつかり合った異色の対談。

著者プロフィール

高村正彦 コウムラ・マサヒコ

1942(昭和17)年生まれ。衆議院議員。自由民主党副総裁。弁護士。外務大臣、防衛大臣、法務大臣などを歴任。

三浦瑠麗 ミウラ・ルリ

1980(昭和55)年生まれ。国際政治学者。東京大学政策ビジョン研究センター講師。株式会社山猫総合研究所代表。博士(法学)。

目次

はじめに 一世代分の改革と保守政治の矜恃 三浦瑠麗
第一章 安全保障の矛盾
安全保障は「確率のゲーム」
戦前の「翼賛勢力」に似ているのはどっち?
「原罪としての敗戦」という考え方
「国益」の縛りがあった方が軍隊の派遣は抑制的になる
個別的自衛権の拡大解釈が孕む危うさ
トランプの「安保ただ乗り論」
SEALDsの学生は「日本のいい子」
「中国の脅威」はどの程度なのか
尊重すべき「砂川判決」の法理
もともと「限定容認派」だった安倍総理
高村説、自民党を平定す
25回にもわたった公明党との協議
「安全保障環境の変化」は理解されにくい
原爆で生まれたアメリカに対する道徳的優位の感情
憲法学者の「領海侵犯」
イメージと現実の乖離が激しい自民党
軍事力の行使にリアリティが伴わない日本
自衛隊の現場に溜まるマグマ
憲法改正は可能なのか
第二章 外交の矛盾
「法理」はキープし、「当てはめ」は柔軟に
米軍駐留の必要性と国民感情の相克
対北朝鮮政策に「正解」は存在しない
「ガツン」とやっても拉致被害者は帰ってこない
「トランプ大統領」で日本外交の選択肢は増える
安全保障論議はなぜ深まらないのか
安倍、石破、小沢の政治スタンス
与党内タウンミーティングという「擬似国会」
集団安全保障の議論はしなかった
北方領土問題は解決するのか
「イラン、ミャンマー、キューバに行きたい」
アメリカのメッセージをイランに言伝
第三章 政治の矛盾
小選挙区制が生んだ「政治主導」
「政高党低」か「党高政低」か
筋金入りの平和主義者・河本敏夫
候補者発掘をどうするのか
政界に自浄作用は働いているか
議員の能力は人それぞれ
許せるポピュリズム、許せないポピュリズム
構造改革を支持する層が投票できる政党はあるのか
「一本の矢」ではなく「千本の針」を
「国益」がタブーだった時代
自民党議員は「お勉強」をしない
国会も「グローバルスタンダード」にせよ
来るべき二大政党制のかたち
おわりに  高村正彦

担当編集者のひとこと

ガラパゴスの論理とグローバルスタンダード

 2015年の平和安全法制の議論で中心的な役割を果たした高村自民党副総裁と、国際政治学者の三浦さんの対談です。

 平和安全法制は「戦争法案」などと呼ばれ、「徴兵制になるぞ」などのデマも飛び交いましたが、三浦さんと一緒に高村さんの話を聞いていた時に抱いた私の印象は、その正反対でした。自民党は、武力行使に過剰なくらいに「抑制的」なのです。

 でも、考えてみれば当たり前な話。外国のことに関心が薄く、国内の平和を何よりも優先する国民の支持を取り付けなければ政権は維持できないわけですから、日本の政権政党は好戦的になりようがない。
 かといって、先進国の一員である以上、国際社会の平和と安全の維持にも一定の責任を負っているので、いつまでも「ウチとこは何もできませ~ん」とは言いにくい。現在問題となっている南スーダンへの自衛隊施設部隊の派遣が始まったのは民主党政権の時です。そこで、平和安全法制のような法案の整備が必要になってくるわけです。

 そもそも論で言うと、国連憲章51条で国連加盟国には個別的、集団的を問わず自衛権は認められています。韓国だって中国だって持っている。だから、日本が従来、内閣法制局の憲法解釈によって「集団的自衛権は有するが、行使できない」としてきたのは、典型的な「ガラパゴスの論理」です。

 ただ、戦後の日本は「日米安保」と「憲法9条」という、普通では絶対に架橋できない二つの論理をむりやり架橋して、アクロバティックな論理を積み上げてきましたから、論理のあちこちに無理やゆがみが生じてしまうのは仕方ない。大きく言うと、その無理やゆがみにつじつまをあわせるのが政府与党の役割だったわけで、そこにはある種、名人芸とも言うべき論理操作があります(もっとも、その「名人芸」が反対派には「ウソつき」「ごまかし」に映ってしまうわけですが)。

 今回の安保法制も、そのアクロバティックな論理操作の流れの延長上にあります。

 もし、「日本も普通の国になるべきだ」という世論が大半なら、ストレートに「国連加盟国は、国連憲章で集団的自衛権を認められているんだから、いい加減に日本も行使可能ってことにしましょうよ。時代も変わったし。ひとつヨロシク!」と言えば、話は済んでしまう。

 しかし、日本の世論は「武力」と名のつくものには極端に警戒的です。なので、平和安全法制では、集団的自衛権による武力行使の要件として、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」という限定条件がしっかりついています。
 この限定条件は、集団的自衛権の行使を初めて公式に「違憲」と表明したとされる1972年10月の内閣法制局見解の文言を踏襲したものです。おそらく、政権政党が自民党だけだったなら、もう少しストレートな表現というか、限定条件も緩くなったのかも知れませんが、「護憲政党」の公明党がいますから、従来の政府見解や法理をできる限り踏襲するように配慮している。そうしなければ法案は通らなかった。
 公明党との調整役を担った高村氏の口からは、その時の様子が具体的に語られますが、自民党は従来の憲法解釈や法理を重視する公明党の顔をずいぶんと立てていたようです。

 本文中で高村さんは、ご自分を「立憲主義の権化みたいな人間」とおっしゃっていますが、その意味するところは、「憲法の最終的な守り手は、憲法学者でも内閣法制局でもない。最高裁である」という立場です。その高村さんが、集団的自衛権の行使容認にあたって論拠としたのは、一九五九年の砂川事件最高裁判決です。

 この判決の中では、最高裁判事十五人が一致して、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使」とし、「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」と記しています。つまり、集団的自衛権は最高裁が認めている。
 その上で高村さんは、「必要な自衛のための措置」の内容は、時代によって変わるのだから、その時代に統治を担う政治家がその内容を一生懸命考えればいい(その内容には司法はタッチしない)との立場を取ります(いわゆる「統治行為論」)。
 平和安全法制の議論では、その「必要な自衛のための措置」に「集団的自衛権」と呼ばざるを得ないものが入ってくるから、それは認めないとまずいよね、ということになったわけです。

 高村さんも現行の憲法には不満をお持ちですが、「日本がグローバルスタンダードじゃない憲法を持っている以上、論理がグローバルスタンダードじゃなくなるのは仕方ない」と割り切っている。「国連憲章で認められているのに、なんで集団的自衛権に限定なんかつけなきゃならないんだ」と思っている人は、外交関係者や国際政治学者には多い(というか、それが普通な)ようですが、その意見に対しても高村氏は「立憲主義」の立場から意見を述べています。
 例えば「集団的自衛権は有するが、行使できない」という従来の日本の立場を「行使できない権利など権利と言えるか!」と批判した故・岡崎久彦氏に、「集団的自衛権は国連加盟国に与えられた権利であるが、その権利を主権国家の判断で行使を制限するのはおかしくない」と切り返したりする。この辺の、立憲主義者として「ガラパゴスの論理」であってもスジを通そうとする姿勢が、何とも面白い。

 こんな言い方をしたら怒られるかも知れませんが、高村さんのような論理の運びを出来る政治家は、ガラパゴス日本で独自の進化を遂げた希少生物みたいな感じがします。そして、その論理のアクロバットができる政治家たちがいたからこそ、「論理の整合性を通して非武装中立」みたいな事態にはならなかった。ソ連の属国にも中国の朝貢国にもならず、それでいてギリギリ法治国家としての体裁も保つことができた。

 これに対しては、「そうは言っても、日本はアメリカの属国だろ!」というツッコミも入ると思いますが、本書の記述を信ずれば、実は水面下ではアメリカとも相当にやりあっている、みたいです。「日米安保は堅固である」というメッセージを発し続けることが抑止力の中核なので、日本の外交関係者はアメリカとガチガチやりあっているところは表面に見せない。高村氏の口から語られる日本外交の姿は、一般の人が抱くであろう「日本はアメリカの言いなりの国」というイメージとはけっこう違っていると思います。

 戦後日本の安保論議に「不健全なもの」を感知する三浦さんが、学者として「筋道」で考えるのに対し、政治家である高村さんは筋道は理解した上で、徹底的に「現実はこうなっているんだから、その現実の中でできることをやるしか仕方ないだろう」と割り切っている。こういう考え方の違いが浮き彫りになるところが、この政治談義の面白さです。

 むしろ、安保法制に反対し、「イケイケの安倍総理に率いられた日本はヤバいところに連れて行かれるんじゃないか……」「だいたい自民党って、戦前を肯定するような連中ばっかりで信用できねえよ」と漠然と思っているような方にこそ、読んでほしいと思います。

2017/02/24

薀蓄倉庫

「国益」がタブーだった時代

 今でこそ「戦略的に国益を追求する」などという表現は当たり前に使っていますが、1998年に外務大臣を務めていた高村氏によると、外務省では当時、この「国益」「戦略」という言葉はタブーに近かったそうです。高村氏はある講演で「国益」という言葉を使って日本外交の基本的立場について論じたところ、「大臣が言ってくれたので、ようやく安心して国益という言葉が使えます」と、後で若い外務官僚に感謝されたそうです。


掲載:2017年2月24日

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