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安部公房全集 30 1924.3-1993.1

安部公房/著

8,800円(税込)

発売日:2009/03/06

  • 書籍

[補遺II・書誌・索引・年譜]

[1924.3-1993.1]かつてない完全編年体個人全集、ついに完結。最終第30巻――新たに発見された作品、幻の映画用シノプシスなど70篇を収録。全巻を自在にナビゲートする詳細な書誌(CD-ROM付)。愛娘が書き下ろし、人間・公房の真実に迫る伝記。いま明かされる天才の全貌。

書誌情報

読み仮名 アベコウボウゼンシュウ30
シリーズ名 全集・著作集
全集双書名 安部公房全集
発行形態 書籍
判型 A5判
頁数 904ページ
ISBN 978-4-10-640150-3
C-CODE 0395
ジャンル 全集・選書、文学賞受賞作家
定価 8,800円

書評

安部公房ほど日本的な作家はいない――『安部公房全集』の完結に寄せて

ドナルド・キーン

 安部公房を非日本的と考える人は多い。ものの見方が大陸的だとする評論家もいる。満州育ちの安部は、確かに一般的な日本人とは違う。「我が国の山は青く、川の水は美しい」と書かれた教科書を読んだ小学生の安部は、違和感を抱くしかなかっただろう。彼がいた「国」には、山があっても青々とした景色はなく、川は汚れていた。中学生になって日本の古典文学を数多く読んでも、自分との有機的な関係を感じなかったためか、小説家になった後年、日本の伝統的な文学からは何も学ばなかったとそっけなく語っていた。安部の小説や芝居に登場する人物は多くの場合、名を持たない。「砂の女」の女は最後まで女と呼ばれるだけであり、代表的な戯曲「友達」の人物たちは、男、婚約者、祖母、父、母、長男としか呼ばれず、日本人かどうかも定かではない。日本を喚起させるのは、男の冷蔵庫に入れられたカリントウ、鯖の切身、タクアン、梅干だけである。
 しかし、観点を変えれば、安部公房ほど日本的な作家はいない。まず、安部は外国語が出来なかった。十五、六歳までは中国語に堪能で、通訳の資格まで取ったにも拘らず、完全に忘れたという。十六までしゃべった言葉は、忘れることのほうが困難ではないか。学校で習う英語さえ片言も覚えなかった。医学部の学生としてドイツ語も学んだはずだが、安部の口からドイツ語の最も簡単な表現すら聞いた記憶がない。つまりは忘却の天才であった、あるいは、日本語以外の言語を無意識に拒否し続けたと言うべきかも知れない。
 反面、安部ほど日本語のあらゆる面に強い関心を抱いた作家はいなかった。特に、日本語はどこから来たのかという根本的な問題を追求し続けていた。日本語がアルタイ語の一種と主張する言語学者はかなりいて、古代には日本語と朝鮮語は同じ言語であったという学説、アイヌ語との類似点を重視する学説もあるが、安部はどれも信じていなかった。日本語とは、祖先のないクレオール語ではないかと考えた安部は、ハワイや南米ガイアナに存在するクレオールを調べ、また、日本人の脳の研究で知られた医科歯科大学の角田忠信教授の学説に非常な関心を示し、研究資金の援助さえしていた。教授の学説は、日本人が言葉、雑音、音楽、動物の鳴き声を聞く時、他の民族とは異なり、すべて左脳で処理すると結論づける。中国語から借りた言葉があろうと文法が朝鮮語に類似していようと、日本語は根本的に別の言葉であり、一つの祖先を探すのは無意味であるという。安部も、日本語はいくつかの民族が長く一緒に生活する中で生まれたクレオールの一種で、新言語であると見ていた。
 安部は、決して単なる好奇心からではなく、作家という職業に従事する者が扱う何より大事な言葉を、掘り下げた考察で論じていたのである。私は安部の直筆原稿を何度か見たが、満足できるまで言葉を変え続け、書き足したり削ったりと、言葉との激しい戦いの跡が残されていた。日本で最初にワープロを使って小説を書いたのも安部である。言葉に極めて敏感で、無限に書き直す安部にとっては最高の道具だったが、最適と思える表現を得るまで満足せず、原文がすっかり変わってしまうほど手直しすることも珍しくなかった。
 評論家はそんな安部の小説を「観念アイデア小説」とたびたび呼び、しかし魅力的な文章を褒めることはなく、その手の紋切り型の批評が彼を失望させた。常に独特の思想が貫かれていた彼の作品は、思想という苦い薬を読者に呑ませるのではなく、思想そのものを越える「人間」という存在を表現したものだった。そこに気づかない書評を書いた友人と絶交したことさえあった。
 安部の小説や戯曲には幻想的な一面がある。例えば「砂の女」に描かれた、砂の穴の中での生活などはあり得ないにも拘らず、正確な描写が読者の常識を覆して、不可能な世界を可能にしてしまう。そして、どれほど幻想的であろうとも、日本人の深いところを極めて正確な表現で描写するのだ。その表現には滑稽な一面もある。安部公房の文学は常に悲劇と喜劇の交差点にあって、日本の社会の明と暗を確実に映し出している。

(ドナルド・キーン 日本文学研究者)
波 2009年3月号より

著者プロフィール

安部公房

アベ・コウボウ

(1924-1993)東京生れ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年「壁」で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。その他、戯曲「友達」で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。2012年、読売新聞の取材により、ノーベル文学賞受賞寸前だったことが明らかにされた。

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