ご新規熱血ポンちゃん




ポン式美味追求


 この間、夏の試験まっただ中の知り合いの大学生の男の子から電話がかかって来た。明日までに、特殊な職業を持つ人についてのレポートを書いて提出しなくてはならないと言う。で、他の学生が滅多に知り合えないであろう職種の作家である私を思い出して、あ、ラッキー、と思ったのでしょう。でもねえ……。
「どうして作家になろうと思ったんですか」
 とか、
「小説書くのって大変ですか」
 などの、今でも、どうしようもないインタビューアーがするこの手の質問には、素人さんなので目をつぶってあげよう。しかし。
「詠美さんて、文学賞とか受賞してるんですよね」
「うん、まあ」
「なんていうのもらったんですか?」
「いっぱいもらい過ぎて忘れたよ(これは精一杯の嫌味)」
「その中で有名なのって何ですか?(一向に意に介してない)」
「……直木賞とか?」
「あ、そうですか。で、ナオキショウって、どういう字を書くんですか?」
 ……まじかよ? このやりとりって信じられます? はっきり言って気が狂いそうになったよ。これって、今の大学生のアヴェレージなの? それとも、文学部以外は、そんなもの知らなくても良いのか? それでは、もしかしたら、アクタガワショウも、漢字で書けないのだろうか。直木三十五も芥川龍之介も知らないのだろうか。まさか賞をショウタイムのショウと思ってるんじゃねえだろうな。うおーっ。文部科学省も、私の作品を検定にかけて、あーだこーだ言ってる場合じゃないだろう。漱石と鴎外を、すぐさま教科書に復活させなさい。余計な親切をするから、学生の脳みそが退化するのである。色々と知った後で、文学なんか嫌いだと思うのは自由。直木賞も芥川賞も何の興味もない。そう感じるのも結構。しかし、直木賞受賞者のレポートを書こうと思った時に、その存在すら知らないってのは、問題なんじゃないのか。必要な時に取り出せる。知識って、そうあるべきものなんじゃないのか。それが出来ないものに取り掛る場合、調べておくか、手を出さないでおくか、その選択を頭に置く見識すら、学校では教えないのか(もっとも、学校ではなく、本人の問題かもしれないが)。ああ、この学生さんは、一応、東京六大学と呼ばれるところに籍を置いているのだが……日本の未来は暗い。
 と、ここまで書いて思ったが、私は、直木賞も芥川賞も知らない、という人が決して嫌いではない。それどころか、私の友人にもそういう人は少なからず、いる。私だって、物書きになる前に、文学賞のシステムなんか何ひとつ知らなかった。では、何故、腹立たしく思うのか。それは、彼が、何ひとつ調べようとはせずに門外のことに手を出そうとしたこと。そして、彼が大学生であること。その二つに尽きるだろう。学生が楽しようとしちゃいかんよ。楽したきゃ、私みたいに、さっさと途中で止めて、他の道を捜したらどうだろう(もっとも、こっちの方が本当は大変なんだけどさ)。学生の本分は勉強である。それが出来ない私のような奴は、真面目な学生の邪魔をしないよう、すみやかに学校を去り、ドロップアウト道を極めた方がよろしい。そうすれば、作家にはなれるかもしれない。しかし、教師にはなることが出来ない。そこがつらいところだ。
 と、いうのも。この間、知り合いの男の子と喋っていたら、彼の初体験は、高校の古文の先生だったと言うのだ。え? 祇園精舎の鐘の声、とか朗読しながらしたんじゃないでしょうねっ、という私の言葉に、彼は笑っていたけれど、これって、すごーく、ロマンティックな背徳ではないか。向田邦子さんの「隣りの女」という作品では、山手線の駅名を順番に口にする男が描かれていたが、男女がお布団の中に入って語る言葉って、すごーく興味ある。セックスとかけ離れていればいる程、睦言はエロティックである。古文なんてさー、いいよねー。で、話は戻り、私だって教職を取っていたのだから、きちんと卒業さえしていれば、高校生の耳許で平家物語を暗誦してあげられたのになーという不埒な後のまつりの話に行き着くのである。そして、齋藤孝さんの向こうを張って、『裏本・声に出して読みたい日本語』を監修するのである。ひそやかに、口承文学の発展に貢献する私。などと悦に入っていたら、女友達が言った。そうかなー、あの時にぺらぺら喋ってる男ってうざくない? うーん、人それぞれである。黙々とことに及んでる男より、ずっと楽しい、と私などは思うのだが。これって、言葉をなりわいとする人間の性なのか。以心伝心って好きじゃないなあ。
 私の友人は、皆、喋る人ばかり。だから、グループで酒飲んでる時のうるさいことと言ったら。声が低くて大きい上に、皆さんそろってビバ自分の方々。おれ節ばんざーいの面々に私だって負けちゃいない。声がかれるまで喋っちゃう。この間なんて、寝不足だったのと喋り疲れのせいで、二人の男の子を膝枕と足置きにしてしまい、大口開いて、飲み屋で眠りこけていた(そうだ)。これでは、ひそやかな口承文学云々と言う資格などない。うーん、人生変えなきゃ。そう言ったら、膝枕の男の子が言う。いったい、何回人生変えれば気がすむんですか? そういう彼は、一生のお願いというフレーズを連発して、あんたの一生何回あるの? と私に言われている。くー、人生も一生も、ワン・アンド・オンリーよ。おまけにその時の私は、服に下着のラインが出るのが嫌で、パンツをはいてなかった。自分ちのベッドと勘違いして寝返りを打った私に慌てた膝枕は、ああっ、この人今日パンツはいてませんからねっ、もし、ちらりと何か見えたら、それ黒い毛糸のパンツと思って下さいねーっ、と叫んだとか。面目ないことです。この年齢になって、どうして、まだやんちゃやってるかなあ。近頃の私の座右の銘は「年甲斐もない」なの、なんて開き直ってるけど、これって、ただの自己弁護かも。