愛のひだりがわ



第一章 デ ン

 母が死んだ。
 母が、遠い、会えないところへ行ってしまったとか、星になってしまったとか、そういう言いかたは、わたしはしない。死ねば何もなくなるのだ。
 争いで死んだ男のひとたちを、わたしはたくさん見ている。夜のあいだに争ったらしく、朝がた、血を流して、道路にころがっている男のひとたちは、日本人も、それより数が多い日本人以外の外国のひとも、ときにはその中に白人や黒人がいたりもするのだが、みんなおそろしい、うらめしそうな顔をして死んでいた。あんなこわいひとたちが、母と同じところへ行ったとは思わないし、星になったなんて、とても思えない。
 英知さんは、母が死ぬとすぐ、わたしの知らないあいだに、母がためていたお金をぜんぶ取ってしまった。母は、お金を銀行に預けないで、部屋にしまっていた。銀行はよくつぶれるし、今じゃもう、つぶれるとお金は返してもらえないからね、と、母はいつもいっていた。部屋からお金がなくなったので、わたしは警察に行こうとした。そのわたしのようすをじっと見ていて、どこへ行くのかとたずねてから、英知さんはこういった。
「愛ちゃんは、これからこの店で働かせてあげるよ。二階の部屋にも、今までどおりいてもいいよ。だからお金なんか、いらないだろう。愛ちゃんは可愛いから、きっと店でアイドルになるよ」
 英知さんがお金を取ったのだ、と、わたしは思った。でも、だまっていた。それでも警察に行こうとしたり、何かいったりすると、また打たれたり、ひどい目にあわされるにきまっていたからだ。英知さんは昔、中学校で母と同級生だったという。東南アジアのひとみたいに浅黒い顔をしていて、なかなか男前だが、怒るととてもこわい顔になる。
 母は生きているとき、よく働いた。朝早くから、遠くまで食料の仕入れに行き、店にもどるとすぐ、料理の下ごしらえをはじめる。昼がだいぶ過ぎて、昼のお客がいなくなるときまで働きづめだ。土曜と日曜にはわたしも手伝う。二時ごろから四時ごろまでは少しひまになるので、母は二階の部屋にあがってくる。それが土日以外の日なら、学校から帰ってきたばかりのわたしに、母はいう。
「ちょっと死ぬからね」
 そういってお昼寝をする。その言いかたがおかしいので、わたしはいつも笑った。ほんとに死にそうな言いかたをしたのだ。でもほんとに、母がほんとに死ぬなんて思ってはいなかった。きっと働き過ぎたのだろうと思う。ずっと前から、からだが悪いのをかくしていたのかもしれない。死んだ原因は、脳内出血だったということだ。
 母はいつも明るかった。母の子どものころの写真を見ると、とても可愛いが、わたしを生んでからは、ずいぶん苦労をしたのだという。だから痩せて、老けたのだともいっていた。でも母は、死ぬまで美しかった。
 母のお葬式に、父は来なかった。いるところがわからないから母の死を知らせることができず、だから来ないのはあたりまえだったのだが、わたしはやはり、もしかして来るんじゃないかと思い、待っていた。でも、来なかった。母やわたしにだまって家を出ていったその父とは、もう三年も会っていないけれど、わたしは父をはっきりおぼえている。
 英知さんは、父がわたしたち母娘を捨てたのだといっているが、母がいうように、父はそんなひとではないと思う。気が弱いので、誰かにだまされて、商店街にあった荒物・雑貨の大きな店を取られてしまい、そんな自分が自分にも家族にもはずかしく、立ちなおるために、どこかで働いているのだと、母はいっていた。わたしもそう思うし、少しは父を恨みもしているけれど、やっぱり会いたい。でも、会えばちょっとだけ、わたしたちをほったらかしにしたことを怒ってやりたい。わたしは、ほんとは、母がわたしに残してくれたお金で、父をさがしに行きたいと思うのだけど、そのお金は英知さんが取ってしまい、返してくれるつもりはまったくないようだ。母の葬式が終わると、わたしはすぐ、店で働かされることになった。店は「おかめ」という小料理屋で、夜おそくまで酒を飲む客に、食べものや飲みものを、運びづめに運ばなければならないのでたいへんだ。
「愛ちゃんが店に出るようになってから、客がふえた」
 英知さんはそういって喜んでいるが、千代子さんは母が働いていた時と同じで、ずっときげんが悪い。千代子さんは肥っていて、顔色が悪く、額の下へ目がひっこんでいて、うわ目でひとをにらむくせがある。母が働いていたときも千代子さんは、母ほど客から好かれてはいなかったのだ。
 そのうち千代子さんがわたしに、昼も働いておくれよ、というようになった。昼は学校があるから、といったのだけど、英知さんも同じようにいうので、とうとうわたしは学校を休んで働かされることになった。でもこの時は、一週間ほどしてから、ナナエ先生がやってきて、わたしを登校させるよう英知さんにいってくれたので、わたしはまた学校へ行けるようになった。ナナエ先生はわたしの担任で、中年の、ころころとふとった男の先生だ。ナナエというのは名字で、「七飯」と書く。
 千代子さんはますますふきげんになって、客の前でもわたしにどなるようになった。わたしは左の腕が自由に動かないので、ときどき皿を落としたりする。そんなとき千代子さんは大声でどなるのだ。英知さんやお客さんがとりなしてくれたりすると、ほとんどヒステリーのようになる。だからやがて、千代子さんがわたしに怒るときは、誰も何もいわなくなった。
 五歳の時、わたしはダンに二の腕をかまれた。傷はなおっても、腕は動かなくなった。かまれてすぐに、わたしがつれて行かれ、それからも何度かかよった病院では、医師がろくに治療もせず、笑いながら母にいったという。
「リハビリしていれば、そのうちなおるよ」
 リハビリをあまりしてもらえなかったからでもあるのだろうけど、左の腕はなおらなかった。いつまでもだらりと垂れたままで、そのうち痩せて細くなってきた。そのときの医師とはそのあとも、病院や道で何度も出会っているが、わたしを見るといつもばつが悪そうにして、顔をそむけてしまう。
 それでも母はそのとき、ダンをつかまえてくれるよう自警団のひとにたのんだりしないで、それまでと同じように、毎朝ダンとデンに昨夜の店の残りものをやりつづけた。ダンとデンは夫婦の野良犬だ。グレート・デーンという種類の、犬のなかでももっとも獰猛で、大きさは、いちばん大きなセント・バーナードにちょっと負けるくらいの犬だ。

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