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短編小説より愛をこめて
阿刀田高

読書はすばらしい。何より楽しい。安価で、どこでもいつでも一人で楽しめる。なかでも、読者に時間をとらせず負担をかけない短編は、「礼儀正しい文学である」。著者は作家デビューから30余年、手がけた短編は800編を超える、自他共に認める短編のスペシャリスト。「心中してもいい」とまで言う短編ファンによる、愛のこもったエッセイ集。〈私の愛した短編小説20〉を収録。

ISBN:978-4-10-125531-6 発売日:2008/07/01


| 420円(定価) |
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短編小説より愛をこめて
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私は短編小説のファンである。
もちろん長編小説もよく読むけれど、短編は多彩で、技が冴えている。いろいろな趣向がちりばめられている。さまざまな人生が提示されている。
長編の場合は、ときどき自分の好みに合わないものにめぐりあうことがあって、それでも、
――今になんとか――
と読み進み、読み終えて、
――まいったなあ。時間のむだだった――
腹立たしく思うことが、けっしてまれではない。その点、短編は礼儀正しい文学であり、長くはお邪魔しない。二、三時間くらいのことならトンデモナイしろものでも、
――まあ、いいか。世の中には、こんなこと考えて書くやつもいるんだな――
と許容することができる。
それに、私たちは、まず初めに短編から文学の道に入るのではあるまいか。童話や昔話はほとんどが短いストーリーだし、いきなり〈ハリー・ポッター〉からというケースは少ない。
私自身の十代は〈落語全集〉〈銭形平次捕物控〉〈芥川龍之介集〉の三冊だった。どれもみな短編と言えば短編だ。太平洋戦争直後の苦しい時代だったから新しい本を……自分好みの本を自由に入手するわけにはいかない。父親の本棚にあるものから、おもしろそうな本を見つけてページを開く。
落語というジャンルは本来は高座で演じられるのを聞いて、
「円生はやっぱりいいねえ」
と鑑賞するものなのだろうが、それはできなかった。もっぱら本で読んだ。暗記するほどよく読んだ。おもしろいから読んだのだが、私がショート・ストーリーの楽しさをここから学んだことはまちがいない。
野村胡堂が描いた平次親分は、ほとんどが短編の読み切りで、エンターテインメントとして上質なものだった。確か総ルビつきの本。むつかしい漢字や、古風な表現を知り、さらには遠い時代の風俗習慣に思いを馳せることができた。
芥川龍之介が短編小説の名手であることは疑いない。スケッチのような小品にも楽しさを覚えた。そして、このあたりをとば口にして私はいろいろな文学作品に触れるようになった。また、コナン・ドイルの〈シャーロック・ホームズの冒険〉から(これも短編だ)入って海外ミステリーの味を覚えた。
当時の私の読書は“自分にとっておもしろいものだけが価値がある”という方針、充分にわがままな読書だった。そして私は今でも基本的には、
――読書はそれでいいのだ――
と考えている。まず読書を好きになること、その楽しさを知ることが肝要だ、と思う。
若いころから小説家を志していたわけではない。図書館員となり、雑文を書いて小遣いを稼ぐことを覚え、いつのまにか小説家になっていた。なにしろ直木賞受賞作が短編集〈ナポレオン狂〉だったから以後ずっと短い作品を書き続けている。長編小説も十数冊上梓しているし、この先も絶対に書かないとは思わないけれど、昨今は、
――短編小説と心中してもいいかな――
そのくらい短編の魅力に取りつかれている。
短編連作集もすでに二十数冊に達し、最新の〈こんな話を聞いた〉は、われながら、
――おもしろい連作集になったかな――
と納得している。
短編小説の技法についても、中じめのような整理が必要となり〈短編小説のレシピ〉〈海外短編のテクニック〉など小冊子を綴ってみた。
とにかく短編はすばらしい。長編とあいまって文学の両輪を作っている。その片方をひたすら担当する者がいてもいいだろう。
名作を一つ挙げろと言われれば夏目漱石の〈夢十夜〉を思いつく。最近の発見と言われればジュンパ・ラヒリが浮かぶ。インド系のアメリカ女性作家で、目下のところ〈停電の夜に〉を読んだだけだが、この先が楽しみだ。
まったくの私事だが、私の妻が朗読をやっている。朗読も短編小説を読むケースが圧倒的に多い。その仕事ぶりを横目で見て、あらためて藤沢周平、向田邦子、三浦哲郎などなどをめくる。また〈川端康成文学賞全作品〉――これは各年の優秀短編に与えられた賞の集大成だが、二冊本で二十五年をふり返っている。これも読んで楽しい。
あ、そうだ、ここ二、三週間は意図的にチェーホフの短編小説を読んでいる。チェーホフは劇作家として名高いが、短編小説もうまい。

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