出身県でわかる人の性格―県民性の研究―



 プロローグ――県民性を知れば、人間関係がもっと楽しくなる

 歴史や自然環境がつくる独自の県民性
「県民性」を取り上げた本を近頃よく目にする。以前はごく一般的なものとしてしかとらえられていなかったが、最近は、異性とつきあうときのコツ、上司(部下)にもったときの対処のしかたなど、事細かにわたっているのが特徴である。なかには、営業や商品開発という分野でも県民性に配慮することが必要と、それに関する情報提供をビジネスにしているところもあるようで、その商魂のたくましさには脱帽してしまう。だが、ことほどさように、日本には、国民性とは別に県民性というものが存在し、それがまたさまざまな面で意味をもっているのだ。
 もちろん、県民性といっても、そこに住んでいる人が全員、同じような性格や気質をもっていることを意味しているのではない。個人差もあるし、その人がどれだけ長くそこに住んでいるのか、一代だけなのか、それとも先祖代々なのかといったことによってもちがう。また、商売を営んでいるのか、家庭の主婦なのか、サラリーマンなのかなどによっても、変わってこよう。
 ただ、どこの県(都市)にも、それぞれ独特の雰囲気があるのは誰もが認めるところだ。それは単なる外観によるものではない。見かけがどんな大都会であっても、そこに住んでいる人は田舎的な気質・感性をもっているというところもある。逆に、それほど大きな街ではないのだが、意外と国際的な感覚が感じられることもある。
となると、県民性はいったいどのようにしてつちかわれるのだろうか。まず考えられるのは、その県を取り巻く自然環境である。実際、山や海、川、湖、島といった地理的特徴が人間の生活に与える影響は、私たちが考えている以上に大きい。同じ山でも、険しい山とゆるやかな山とでは人々の生業にちがいがあるだろうし、盆地部と平野部とでは行動範囲も変わってこよう。
 また、海も、それが南にあるのか北にあるのかによって、人間の感性は大きく左右されそうである。さらに、その海がそれこそ一八〇度以上の角度でパノラミックに開けているのか、それとも狭い角度でしか面していないのかによって、人間に与える影響はちがうことが想像できる。川もそうだ。同じ川の流域であっても、水源に近い、山また山のような地域に育った人と、河口部に近く、かなり川幅の広い地域で生まれた人とでは、気質にもおのずと差が出ることだろう。なお、こうした着眼については、いまからおよそ一〇〇年前(明治三六年)に出版された牧口常三郎の労作『人生地理学』から大きなヒントを得たことも付記しておく。
一方、年間平均気温や日照時間、降雨量、雪の降る回数、積雪量といった気候条件が人々のライフスタイルを大きく変えるのは、東北地方と九州地方の人々のちがいに思いを寄せるまでもなく、誰もが事実として認めざるをえない。
 このように、地理的特徴や気候条件、それらと不可分の自然環境は何より、そこに生きる人たちの生業、暮らし方を規定づける。それが人々の所作振る舞いやものの考え方、人との接し方などにも多大な影響を及ぼすのだ。
 日本は狭いようで広いといわれるが、それは事実で、そうしたことをとことん追求したらさぞかし興味深い事実が浮かび上がってくるにちがいない。筆者がここ数年興味を抱いている、大都市とそこに住む人々の比較は、そうしたことも踏まえての作業である。そして、そこにはかならず歴史というものがからんでくる。大都市だけでなく、県も同じだ。
 江戸時代、幕府の天領であったところ、ひんぱんに藩主が替わっていたところ、あるいはしょっちゅう戦場になっていたところ、何百年も同じ殿様が治めていたところ、外国と長く、またひんぱんに接していたところ、もともと日本の領土でなかったところ、それも古い時代に同化されたところと、最近(といっても百年以上は経過しているが)同化されたところとでは、それぞれまったくちがう気質がはぐくまれるのだ。
 こうしたことは簡単に計量化できるものではないが、NHK放送文化研究所(本文では単にNHKと記した)が過去二回(一九七八年、一九九六年)全国県民意識調査をおこなっており、その結果を見ると、なるほどと思わせる数字が出ていることも少なくない。また、各県の新聞社やテレビ局が独自におこなっている世論調査・意識調査なども大いに参考になる。それに加え、近頃はインターネットというひじょうに便利なものがあり、それを見ると、また別次元の情報に触れることができる。

 土地の気質に合う人・合わない人
「住めば都」ということわざがあるが、これはすべての人にあてはまることではない。何年住んでもフィーリングが合わない、そこにいるだけでストレスを感じてしまうこともありうる。本来なら、それを我慢する必要などないようにも思えるが、現実には、結婚や転勤など、さまざまな手かせ足かせのため、そこから動きたくても動けない人もいる。
 そうした人たちにとって、その県の、あるいはもっと限られた地域の人々の気質はひじょうに大きな意味をもつ。あまり他人とかかわらずに生きていきたいのに、その地域・県の県民性がそれを許さなかったり、あるいは誰とでも仲よくしたいと思っていても、排他的な県民性のために、それがかなえられないこともあるだろう。逆に、誰でも受け入れる県民性が、引っ込み思案だった人を積極的な人に変えたりするなどということもある。
 ある県に転勤を命じられたビジネスマンが、その県民性になかなかなじめず、成績もふるわなかったため、退職に追いやられたことがある。逆に、ある県のA支店に配属されていたときはまったく鳴かず飛ばずだったのが、同じ県で別の地域のB支店に移ったらメキメキ頭角をあらわしたなどという人もいる。さらに、本人はどこに住んでもなじめるタイプだったので県民性などまったく問題にならなかったのだが、奥さんのほうがどうしても水が合わず、ノイローゼのような状態になり、家庭が崩壊してしまったケースもあった。
 地位や立場が人を変えるとはよく指摘されるが、県民性もしばしばその人の生き方を変え、ときには人生そのものを変えてしまうこともある。その意味で、県民性というのは、ただ単に飲み屋での酒肴にとどまるものではなく、一人ひとりの人生を左右する、けっこう重大な要素といえそうだ。
 県民性はときとして、企業の経営にも影響を与えることがある。とくにワンマンタイプの社長がいる会社やオーナー企業に多いのだが、その県のものさしで人を使おうとするからだ。それと齟齬をきたす県民性をもった県の出身者も当然いるはずで、その場合、ひじょうにいづらいということになる。せっかくの才覚が芽を摘まれることだってありうるわけだ。
 また、経営戦略の立案に際しても、県民性が影響し、全国展開や海外進出に二の足を踏んだりする社長もいる。逆に、時期尚早であるにもかかわらず、拡大戦略をとろうとするオーナーもいる。いずれも、それによってうまくいけばよいが、失敗した日には目も当てられない。
 つまり「住めば都」といっても、どこでもOKということではない。その人にとって「住めば都」になるところがかならずあるということなのだ。そうした地を早くに見いだすことができれば、たいへん幸せといえる。

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