校庭に、虹は落ちる


プロローグ

「もうよそうよ、ねえ」
 と、一人の少女が言った。
「どうして? 大丈夫だよ! 走って! ほら!」
 と、もう一人がかけ声をかける。
「だって――もう間に合わないよ」
「間に合うって! 急ごう!」
 二人は、再び走り出した。
 正しくは、一人が走り、もう一人は、見えないロープで引張られてでもいるかのように、ヨタヨタと駆け出したのだった。
 二人の手にした学生鞄がガタガタと音をたてて揺れる。――スカートを翻し、二人の女子学生は走った。
 角を曲ると、校門が見えた。
「ほら! 間に合ったじゃない」
「でも――もう疲れた」
 と、一人は走るのをやめた。「もういいよ、私」
「じゃ、私一人で行くよ!」
「うん、行って……」
 馬鹿らしい。――どうせ間に合わないんだったら、もっとゆっくり来るんだった。
 走るのをやめた少女は、息を切らし、汗がふき出すのを感じながら、軽やかに駆けていく、もう一人の背中を見送っていた。
「頑張れ、頑張れ……」
 と、口の中で声援する。
 届くわけもなかったが。
 そして、遅れた少女は、校門へやって来た……。


 まずい日だった。
 教師は舌打ちしていた。
 何も、よりによって、今日でなくてもいいのに……。
 その教師は、その日が何の日か、よく知っていた。
 いや、学校にとって大切な日だということも分っている。文部大臣が――大臣だ! ――やって来る。
「くれぐれも失礼のないように」
 と、県の教育委員会から、厳しく言われていたし、各教師は校長から、少なくとも十回は注意を受けていた。
 しかも、前日には文部省のお偉方が、じかに念を押して来た。
「くれぐれも、大臣のお話のとき、おしゃべりなどないように」
 ――無理な話である。
 いつもの子供たちの状態を知っている者なら、誰だって分るはずだ。
 しかも今日は月曜日で、昨日の日曜日、中学生くらいの男の子たちにとって最大の関心事の一つである――少なくとも、文部大臣が来て話をするなんてことより、ずっと重大なことだ――新しいテレビゲームの発売日だった。
 おそらく、少なからぬ男の子たちが昨日の朝早くから、ゲームショップ前に行列を作り、何時間も待って、憧れのゲームソフトを手にしていたはずである。
 今朝、月曜日の第一の話題はそのゲームのことに違いないと、その教師はよく分っていた。
 その不安は、朝のホームルームで早くも現実になった。――隣の子、前後の子、ともかく方々で三、四人ずつがひっきりなしにおしゃべりして、いくら注意しても止まない。
「大臣のお話のときだけは、しゃべるな!」
 と、くり返し言った。「俺の生活がかかってるんだ! クビになったら、お前たちに養ってもらうぞ」
 と、冗談めかしても言った。
 そして、十一時。――文部大臣は予定を三十分も遅れて学校へ着いた。十時から講堂に入れられていた生徒たちは、いい加減退屈し切っていたのだ。
 しかも、大臣の話というのが、教育と何の関係もない、自分の俳句の碑が建ったという自慢話、次の知事選挙に向けての党の宣伝……。
 壇上で聞いていた校長や教頭の表情も苦虫をかみつぶしたようになっていた。
 大臣の話が始まって十五分ほどたつと、次第にざわつき始めた。
 必死で生徒たちの方をにらむが、どうにもならない。
 ともかく、早く大臣の話が終ってほしいと祈るような思いだった。
 その時――一人の生徒が、講堂中に響きわたるような、甲高い笑い声をたてたのである。