エイジ




 十票入った。黒板に「正」の字が二つ、縦に並ぶ。
「決まりだな」
 隣の席からツカちゃんが小声で言った。ガキの頃ブリッジ矯正がうまくいかなかったという乱杭の前歯を覗かせて、にやにや笑う。
「そんなことないって」とぼくはしかめつらで返した。まだ開票はつづいている。逆転の可能性がないわけじゃない。
「人気者じゃん、エイジ」
「うっさいなあ」
「あきらめろって、決まりだよ、もうぜったい」
 ツカちゃんは腰を浮かせ、「だよな、五位以内に入ってるよな」とつぶやきながら、黒板に記された開票の途中経過を目と指で確認していった。クラスの人数は男女合わせて三十五人。一人につき男女二名ずつの、たしか連記投票っていうんだっけ、その方式でぼくは十票……いま、十一票になった。
「やった、エイジ、おまえ四位」
「いいじゃんよ、うっさいよマジ」
「おっ、照れてます照れてます。ダルマねえのか? 早く出せよ」
「いいから座れっつーの」
 教室の後ろにいたクラス担任の土谷先生が「こら、塚本、おまえなにやってんだ」と言った。ほらみろ。ぼくは正面を向いて座り直し、背中を少し縮めた。でも、ツカちゃんは中腰のまま先生を振り返り、ムースで固めて立てた前髪を手で流しながら言った。
「いやあ、オレ何票入ったかなっつーて数えてたんすよ。したら、一瞬で終わっちゃったけど」
 教室がどっと湧いた。ツカちゃんの名前は黒板の端にあった。名前の下には、横棒一本きり。「自分で自分に入れてどーするんだよ」とぼくが言うと、教室はさらに湧いた。土谷先生も、しょうがねえなあ、というふうに笑った。クラスでいちばんの不良顔のツカちゃんは、クラスでいちばんのお調子者でもある。そして、それを支えるのが、ぼくのツッコミなのだ。
 みんなにウケたので満足して席についたツカちゃんは、じつはちょっとだけプライドが傷ついていたのか、「言っとくけど、オレ、マジ自分で入れてねえからな」と軽くぼくをにらんだ。
 わかってる、それくらい。ツカちゃんに投票したのは、ぼくだ。男子二名のうち、一人はクラスでいちばんの秀才のタモツくん、もう一人はいちばんのお調子者のツカちゃんを書いた。クラス委員なんて、そんなふうにして決めちゃえばいいんだと思う。
 でも、現実は違う。ツカちゃんに気を取られているうちに、黒板の真ん中あたりに記されたぼくの名前──高橋の下には、三つめの「正」が完成していた。十九人いる男子のなかで、いま、三位。あと何人ぶんの票が残っているか知らないけど、上位五人に入るのは間違いないだろう。
 机に突っ伏して顎を腕に載せ、ぼんやりと窓の外を見た。いい天気だ。ゆうべの雨が埃を洗い流してくれたのか、空も街も、色や輪郭がくっきりとしている。八月に入っても梅雨が明けなかった今年の夏は、終わるのも早かった。試合の途中にピンチヒッターで出てきて凡退し、次のイニングには守備固めの選手と交代する、そんな感じのあっけなさだった。
 あくびをひとつ。眠くて、だるい。二学期が始まって三日めだけど、まだ体は夏休みモードのままだ。
 中学二年生の二学期――中学生活の、ちょうど真ん中。始業式の日のホームルームで、土谷先生は「中だるみの時期ですから、各自しっかり目標を立ててがんばるように」と言い、「まあ、紐でもなんでも、たるんでるうちはキレないんですけど」と付け加えた。本気なのかシャレなのかよくわからなかったけど、それを聞いたとき、だよな、と思った。
「おっ、エイジ、二位になったぜ」とツカちゃんが言う。しつこい。選挙とか運動会とか台風とか地震とか、そういうのがやたらと好きな性格なのだ。委員になりたがってる奴なんて一人もいない選挙も、ツカちゃんに盛り上げてもらって本望だろう。
「ツカちゃんはどうよ」とぼくは空を眺めたまま訊く。
「オレ? まだ一票だよ、オンリー・ワンだよ、文句あんのかよ」
「ねえよ」
 黒板をちらりと見て、女子の票をチェックした。相沢志穂は現在九票。当落のボーダーラインだ。たしか一学期は六位で落選したはずだ。
 視線を横に滑らせる。相沢はぼくの席から三つ右の列の、いちばん前に座っている。月に一度の席替えで、今月は、このポジション。かなり遠い。来月の席替えに期待をつないでいる。
 ぼくは相沢が好きだ。
 好きになりたての、ホヤホヤだ。
 二学期の始業式の朝、それまで肩まで伸ばしていた髪を思いきりショートカットにした相沢を見た、その瞬間から、だから今日で三日めの片思いということになる。
 相沢は小柄で、ちょっとだけ太めで、よくダイエットの話をしている。でも、テニス部で最強のボレーのパワーはその体つきから生まれるんだし、ぼくはアイドルでもアニメのキャラでも丸顔のショートヘアのコが大好きなのだ。