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――星の光る夜、きよしこは我が家にやってくる。すくい飲みをする子は、「みはは」という笑い声で胸をいっぱいにして、もう眠ってしまった。糸が安いから―― おかしな言葉をおかしなぐあいにつないだ、おかしな文章だ。 ノストラダムスの予言詩? 残念ながら不正解。 これは、昔むかし、ある町に住んでいた少年が勘違いして覚えた『きよしこの夜』の歌詞だ。 「きよし、この夜」を「きよしこ、の夜」と間違えていた。「救いの御子」が「すくい飲み子」になり、「御母の胸に」は「『みはは』の胸に」になった。「眠り給う」は「眠りた、もう」、「いと易く」は「糸、安く」……。 ひどい勘違いだった。少しさびしい勘違いでもある。歌詞には書いていない「我が家にやってくる」という箇所を、想像で勝手にくっつけたところが、さびしい。 星の光る夜、きよしこが訪ねてくる。少年はそう思っていた。真夜中、きよしこが子ども部屋の窓をトントンと叩いて、「やあ」と笑って、二人でいっしょに遊べるんだと夢見ていた。 『ピーターパン』のお話とごっちゃにしていたのだろう。それとも、『ムーミン』に出てくる妖精かなにかを重ね合わせていたのだろうか。サン=テグジュペリの『星の王子さま』を読んで、砂漠に不時着したパイロットがあの頃の自分みたいだと思ったのは、ずっとあとになってからのことだ。 少年は小学一年生だった。そびえたつ大きなガスタンクの足元に貼りついて、夕方になればガスタンクの影にすっぽり覆われてしまう町の一角で迎える、初めての冬だった。 きよしこ――そんな名前の奴、いるわけない。ちゃんとわかっていた。真夜中に社宅の四階の窓をノックする友だちなんて、どこにもいない。いたとしたら、それは夢の中の出来事だ。 なのに、きよしこのことばかり考えていた。窓を開けて夜空を見上げ、星が瞬いていたら、今夜こそきよしこが来てくれるんじゃないかと胸をはずませて布団に入り、朝になるとしょんぼりして歯を磨く、その繰り返しだった。 少年はひとりぼっちだった。思ったことをなんでも話せる友だちが欲しかった。そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたから、きよしこに会いたかった。 この町に引っ越してきたのは十月だった。父親の転勤で、二学期の途中にやってきた。 いままで住んでいた町には田んぼがたくさんあったのに、ここには工場しかない。川のかわりにトラックの行き交う国道があり、山のかわりにガスタンクがあって、幼稚園の頃からの仲良しだったモリくんやナカネくんのかわりに、ランドセルを狙って跳び蹴りをしてくるタナカや上履きを隠すマツザキがいる。 タナカもマツザキも本気ではない。怒らせたいのだ。少年が怒るのを待っている。興奮して顔を真っ赤にした少年が、体をこわばらせ、口をひくつかせるのを見たいから、にやにやと笑いながら、いたずらを仕掛けるタイミングをうかがっている。 怒ったら負けだ。興奮したら、あいつらの思うつぼだ。 少年はうまくしゃべれない。言葉の最初の音がつっかえてしまう。「カ」行や「タ」行と濁音はいつも、緊張や興奮で息を吸い込みそこねたときには、ほかの音で始まる言葉もすべて。 つっかえたのを無理に吐き出そうとすると、けつまずいて前につんのめってしまうみたいに、最初の音が勝手に繰り返される。 こここここここここんにちは。 さささささささささようなら。 やややややややややめろよ。 ぶぶぶぶぶぶぶぶぶん殴るぞ。 転校した日に、自己紹介でしくじった。苗字と名前の間に息継ぎをしたのがいけなかった。「きよし」の「キ」をすんなりと言えなかった。みんなに笑われた。真っ先に笑い声をあげたのはタナカで、いちばん大きな声で笑っていたのはマツザキだった。 それ以来、少年はめったに自分から口を開かなかった。黙り込んでいても、友だちの輪の端っこにいて、みんなのおしゃべりに笑って相槌を打っていれば、意外とうまくやっていけるものだ。 でも、おもしろいことを思いついても言えない。ちょっと違うんだけどなあと思っても言えない。授業中、ほかの子がとけない難しい問題の答えがわかっても、手を挙げられない。国語の本読みの順番が近づいてくると、「カ」行や「タ」行で始まる言葉を探して、その前で息継ぎをしちゃだめだぞ、と自分に言い聞かせる。マツザキやタナカがどんなにしつこくちょっかいを出してきても、怒らない、絶対に。 わかっている。いつまでも口を閉ざしてはいられない。自分の思っていることをしゃべれないのは、言葉がつっかえて笑われるよりも、ずっとくやしくて、さびしいことだ。笑われたって気にするな。笑うほうがバカなんだ。こっちが気にしていると、よけいあいつらはおもしろがって意地悪を仕掛けてくるだけだ。わかっている。ほんとうに、ちゃんと、しっかり、わかっている。 |